第551話 挫折と決意

「ハルト。シュナイダー兄が目を覚ました」

「何? わかった。すぐ行く」


 翌日。群長室で事務作業に勤しんでいた俺の下に訪れた副官にして副長のイリス・シュタインフェルト大佐は、開口一番にそう言った。

 つい数時間前までは同じお布団でイチャコラパンパンしていたとはいえ、今は軍務中。身支度を整えた後は、互いの持ち場へと向かって真面目に勤務していたのだ。


「状態は?」

「うちの医療班は優秀。並みの回復魔法士では直せなかったかもしれない怪我も、なんとか後遺症が無いレベルには落とし込めた」

「そいつは重畳だ。……妹のほうは?」

「未だ予断を許さない状況。命に別条はない……と断言はできないくらいには難しい」

「……そうか」


 昨日今日と俺は築城作業をエンジョイしていたし、昨晩だってイリスと夫婦の時間を持つなど、かなり自由気ままに過ごしてはいた。

 だがそれは決して先の戦いで重傷を負った彼らを蔑ろにしていたわけではないのだ。むしろ俺にできることに関しては、しっかり力を尽くしたといえる。

 『診断』による怪我の状態の確認や、医療班到着までの時間を使った現場での応急処置。魔導艦シュトルム収容後は数時間おきに医務室へと赴いて医官に容態を訊ね、必要とあらばどんな要請にも許可を出したりしていた。

 その上で、俺はあえてリラックスするように努めていたのだ。

 俺は今回のエルフ領進駐作戦の最先鋒かつ中核を担う特殊作戦群全体を預かる群長の立場にある。部下が怪我を負うのは初めから織り込み済みで、最悪の場合、誰かが命を落とすことまで覚悟していた。

 たとえそれが私生活では親しい友人であるシュナイダー兄妹だったからといって、俺が余裕のない姿を晒すわけにはいかないのだ。それが少将という階級に求められる態度である。

 かの有名な陸軍大将、乃木希典は日露戦争で莫大な数の兵を死なせてしまったことを悔い、自分の息子が戦死した報を受けて「よく死んでくれた」と口にしたという。

 その逸話を美談にするつもりは欠片もないが、乃木の責任感はそれだけ大きかったのだとよく伝わってくる話でもある。

 一人の父親にそれを言わしめるだけの責任が、上に立ち、部下の命を預かる者の肩にはのしかかっているのだ。


 ゆえに俺はいつも通りの自分を演出した。不必要に取り乱すことなく、空挺部隊を称え、工兵部隊を労い、医療班を激励した。

 自分自身に対しても愛妻イリスとの時間をしっかり確保することでケアを怠らなかった。


 だがそれは決して彼らを心配していなかったわけではないのだ。だからこそ、こうして一人でも目を覚ましてくれたという報告に心底安堵するのである。


 慌てず、しかし急いで医務室へと向かうと、ベッドに横たわったまま隣のカーテンを眺めるヨハンの姿があった。


「気分はどうだ?」

「最悪だ」


 ハリウッド映画のような言い回しで答えるヨハン。彼の見つめるカーテンの向こうには、未だ目を覚まさないエミリアが寝かされている。

 「今夜が山場」というほど重傷でないのが不幸中の幸いか。だが気を抜ける状態でないのもまた事実だ。命に別条が無いと断言まではできないほどの怪我である以上、無事とは決して口にできない。


「俺は……強くなったつもりでいた」


 全身のあちこちに大怪我を負って立ち上がることのできないヨハンは、横になったまま悔しそうに拳を握り締める。


「実際、数年前に比べたら間違いなく強くなっていたと思う。驕りでも何でもなく、客観的な事実として俺は成長していると自負していた」


 ヨハンの言葉に俺は何も返さない。それは間違いなく事実だが、しかしそれを認めたところで彼にとっては何の意味も無いのだ。


「だがそれでは足りなかった……ッ! 俺は、俺は……たった一人の妹すら守ってやれない駄目兄貴だ……」


 今回は俺が間に合ったから二人とも命を落とさずに済んだが、もしあと数分でも遅れていれば今頃二人は死んでいただろう。俺は上官として、友人として、怒りと悲しみに身を焦がしながら魔人を撃破していた筈だ。

 そうならずに済んだのは、ひとえにシュナイダー兄妹が敵を撃破するには至らずとも、少なくとも俺が駆けつけるまでの間を耐えしのぐだけの実力を持っていたからにほかならない。それは間違いなく彼ら兄妹の強みだし、功績なのだ。 

 だがそんなことはヨハンには関係ないんだろう。彼は兄だ。エミリアにとってたった一人の兄なのだ。

 命を捨てる覚悟のできた軍人であるとか、戦いの中に身を置く魔剣士であるだとかはどうでもいい。ヨハンはただ肉親を守ってやりたかった。ただそれだけなのだ。そして、それができなかった。

 ヨハンにとってこれほど悔しいこともあるまい。何年も修行に身を投じて、厳しい鍛錬に明け暮れ、怒涛の日々を耐え抜いた結果がこの様なのだ。努力が報われなかったという残酷な事実を前に、心が折れてもおかしくない。


 だがヨハンは続ける。


「エーベルハルト。今回、俺は魔剣ディアブロを失った」


 彼の家に代々伝わる魔剣ディアブロは、魔剣術の名門シュナイダー家にとって顔のようなひと振りだ。当主ないし次期当主の地位を確約された者しか所有を許されない伝説の魔剣。

 その内には強大な力を持った悪魔が封印されていると言われ、作られた時代は数百年以上も前と言われている。所有者を誑かし、精神を汚染する両刃の剣ではあるが、完全にコントロールした暁には戦略級の戦力を発揮するという。


「……あれを失ったのか。厳しいな」


 ヨハンはその魔剣ディアブロをかなりの水準でコントロールしていた。少なくともディアブロに精神を汚染されることはなかったし、出力も制御できていた。戦闘力だって、Sランクに準ずるだけのA+ランク程度はあっただろう。このままいけば、もう数年ほどでSランクへの昇格もありえたほどだったのだ。

 が、その魔剣ディアブロを失ったことで、一気に戦力ダウンは避けられない。ヨハンの強さがディアブロありきだと言ってしまうと語弊があるが、ディアブロの強さを引き出すところに大部分のリソースを割いてきたのもまた事実なのだ。


「厳しい。もうこれ以上強くはなれないかもしれない」


 そうは言いつつ、ヨハンの目は死んでいなかった。


「だがエーベルハルト。お前はディアブロなんて持っていないのにそれだけ強いんだ。……俺も同じくらい、と言うのは大言壮語に過ぎるだろうが、俺だってディアブロ抜きでももっと強くなってみせる」


 彼の目に光が灯る。


「だからエーベルハルト。お前に一つ、頼みごとがしたい」

「なんだ?」


 俺にできることなら何でもやってやるつもりだ。ヨハンのためにやったことは、いずれ特戦群群長の俺にも返ってくる。部下一人一人を育て上げた先に待っているのは、俺のピンチを支えてくれる頼れる仲間の存在かもしれないのだ。


「近衛騎士団の現団長、シュバルツ中将閣下にお目通りできるよう、お前の立場を使って調整してはくれないだろうか」

「それは構わないけど……なぜ閣下に?」


 ヨハンは少尉で相手は中将だ。よほどの理由がなければ、一介の少尉と会う時間を用意してはくれないだろう。普通に考えれば無理難題。だがヨハンはそんなこと百も承知で俺に頼んできているのだ。


「シュバルツ閣下は我がシュナイダー流魔剣術の元門下生だ。師範の地位も有しておられる閣下は、当代最強のシュナイダー流剣士だと聞き及んでいる。実家で学べることは既に学び尽くしたが……シュナイダー家当代当主をも超える魔剣士の閣下からならば、俺も何かしら得られるものがあると思うのだ」


 そう言いきるヨハンの目は真剣そのものだ。そして、そんな彼たっての願いを断る俺ではない。


「わかった。俺の持てるすべての地位と人脈を総動員して頼んでみよう」


 近衛騎士団長ともなれば相当に忙しい筈だが、そこは俺も同格の特殊作戦群の長なので事情は同じだ。特に今回の軍事作戦の中核を担う俺からの頼みともなれば、耳くらいは貸してくれるに違いない。


「だが、まずはお前の怪我を治してからだな」

「ああ。悔しいが、それも仕事だと割り切ることにする」


 そう言って目を瞑るヨハン。少し体力を消耗してしまったようだ。


「強くなれよ、ヨハン」


 上司としてではなく、友人として。そう切に願う俺であった。





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