第420話 カルヴァン子爵領

「うぅ、なんか気持ち悪いであります……」

「車酔いか? 参ったな。少し休憩するか」


 皇都を出発してから約二時間。既に景色は一面の草原と化していて、まれに広大な麦畑と小規模な集落、それと小さな森がチラホラと見えるくらいになっている。

 皇都は世界一の大都会とはいっても、それはあくまでこの世界の基準で、だ。前世の東京みたいな三〇〇〇万以上の人口を擁する超々巨大都市と比べれば、随分と小さいものである。

 それでも人口にして二〇〇万近い数の人間が住んでいるんだから、やはり皇都は立派な都市なんだろう。それはそれとして文明の利器たる魔導自動車で二時間近くぶっ通しで走り続ければ、流石に人の営みも目に見えて減るというわけだ。


「うぅ……おえっ」

「おい、待て待て。車の中で吐くなよ! 今止めるから!」


 幸いにして、街道に俺達以外の人通りはない。かなーり遠くに商隊キャラバンが見えてはいるが、あの速度ならここに辿り着くまでに軽く数十分は掛かるだろう。

 急いで車を止め、車を降りた俺は後部座席のドアを開けてやり、メイを抱えて道の脇へと移動させてやる。


「およよよよ……」

「酔い止めがあれば良いんだけどなぁ」


 メイの背中をさすってやりながら、そんなことを思う俺。一応、酔い止め……というか全身の感覚を鈍らせる薬物があるにはあるらしいんだが、副作用で強烈な依存性と脳機能の低下を招く効果があるらしいので、絶対にメイには処方させないと決めている俺である。ま、要するに麻薬だ。


「どれ、回復魔法を掛けてやろう。気分はだいぶマシになる筈じゃ」

「メイル、その前にお水飲みなさい」

「はい。濡れタオル」

「うう……ありがとうであります……」


 皆に介抱を受けるメイ。俺はといえば、右手のエレメンタル・バングルを使って路上に撒き散らかされたブツを土魔法で処理している。流石にこればっかりはね。放置ってわけにもいかないからね……。


「うー、だいぶ楽になりました。マリー殿、助かるであります」

「気にするでない。どうしても得手、不得手というものはあろう」


 直接の師弟関係にないメイとマリーさんだが、なかなかどうして相性は悪くないらしい。まあどっちもかなり頭が切れるほうなので、会話をしていて知的水準にギャップを感じないのが大きいんだろうな。

 たまに二人で魔法学談義をしている姿を見かけるし、俺としても二人が仲良くやってくれているというのは喜ばしい話だ。


「メイル。あなた助手席に座ったらいいわ」

「どうしてでありますか?」


 あれほど頑なに俺の隣を譲らなかったリリーが、まさか自分から申し出るとは。そんな疑問がありありと伝わってくる表情で、幾分か楽そうになったメイが訊ねている。


「車輪の位置の問題かしら? なんでかはわからないけど、後部座席よりも助手席のほうが揺れが少ないのよね」

「へえ」


 思わず唸ってしまった俺。もう遥か昔の記憶だが、車は後部座席よりも助手席のほうが酔いにくいと聞いたことがある。理由はいくつかあって、景色が見えやすいからだとか、車輪や重心の位置的に揺れが少なくなるからだとか言われているが、詳しい理由は俺もあまり覚えてはいない。

 だがこうしてリリーが自身の体感に即して言うということは、助手席が酔いにくいというのは事実なんだろう。そしてそれがわかっているからこそ、リリーは俺の隣を離れてまでメイに助手席を譲ったのだ。


「リリー」

「なあに?」

「ありがとな」

「あェ好ッッ」


 軽く額にキスをしてやれば、リリーは真っ赤になって何事かを叫んだ。


「リリー?」

「な、なんでもないわ……はぁ、はぁ……これは、心臓に悪いわね……」


 胸に手を当て、深呼吸を繰り返すリリー。心なしか、頬が赤い。


「譲って良かったかも」

「そうか?」

「うん」


 珍しく相好を崩して呟くリリー。そんな彼女が堪らなく愛おしく思えた俺は、間違いなく幸せ者だ。


「あの」


 と、そこでメイに濡れタオルを渡していたイリスが話しかけてくる。


「ん?」

「ハルトの運転は上手だよ」

「……ありがとな」


 メイが車酔いをしたから、俺の運転を気遣ってくれたんだろう。イリスもやっぱり優しい。リリーと同じく額にキスをしてやれば、イリスもまた真っ赤になってにっこりと微笑んだのだった。



     ✳︎



 それから数時間。例によって運動神経と三半規管が終わっているメイが真っ先にダウンしたわけだが、幸いにしてあれ以降それほど悪化することもなく、無事にカルヴァン子爵領へと辿り着いた俺達である。

 ところで、カルヴァン子爵領とはいったが、厳密には俺の実家のファーレンハイト辺境伯領やリリーの実家のベルンシュタイン公爵領のような一般的な領地とはやや意味合いが異なるのだ。

 カルヴァンの町を治めているのはカルヴァン子爵家なのだが、しかしカルヴァンの町は皇家直轄地でもある。カルヴァン子爵家は、皇家直轄地の中にあるカルヴァンの町の代官を代々世襲する家系なのだ。

 つまりカルヴァン子爵領というのは、カルヴァン子爵家が管轄する皇家の領地なのである。

 一般に、独立した領地を持つのは伯爵以上の高位貴族だ。子爵以下の貴族は、もちろんレーゲン子爵領のように例外もあるが、一般には伯爵以上の貴族の領内で代官をやるか、中央で法衣貴族をやるかのどちらかが多数派なのである。


 そんなカルヴァン子爵領だが、周囲の景色は長閑のどかそのものだった。

 皇都郊外よりも少しだけ森林の密度が高いあたり、開発が皇都ほど進んでいないのだろう。人口もカルヴァンの町だけで五万ほどしかいないというし、なるほど、子爵に相応しい規模であるようだ。

 皇都近辺に比べたらやや凹凸の目立つ街道は、ゆっくりめに運転していてもガタつきを抑えられない。おかげでメイの体調が心配で心配で堪らない俺だが、さっき吐いたおかげで割とスッキリしたのか、そこまで深刻そうな様子はないメイである(とはいえ、元気そうには見えない。やはりメイにとって車や船といった乗り物は天敵のようだ。自分で開発しているくせに……)。


 左手の視界には、大山脈ほどではないにしてもそこそこ立派な山が聳え立っている。


「あれがカルヴァドス山」

「見事な禿山だな」


 カルヴァン出身のイリスが、木々の少ない荒れ果てた山を指差して教えてくれた。軍人である以上、皇国の地理には比較的詳しい俺だが、流石に子爵領の山の名前まで覚えているほど地理のエキスパートではなかった。


「あの色合いは……石灰石かのう? 皇都にも近いし、石材を切り出すにはなかなか適した山じゃな」

「石材か……。うん? 石灰石?」


 何かが引っかかる。


「ああ、コンクリートの原料になりますね」


 未だ回復しきっていないメイが、少しだけぶっきらぼうに呟く。そうか、コンクリートの原料か。


「……これ、姉貴に話通したほうが良さそうだな」


 ファーレンハイト建設の創業者として、ハイトブルクを中心に大活躍中の我が姉ノエル。ファーレンハイト建設が皇都への進出を本格的に検討していることを思えば、これを報告しない手はありえまい。






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