第398話 マリーさんのお家

「確かマリーさんのお家の住所はこの辺だった気がするんだけどな……っと」


 秋も深まり、気づけば厚着をしなければ寒さが堪えるようになっていた皇都の夜。そんな肌寒い夜道を一人歩く俺の周りからは、あれだけ多かった人通りが少しずつ減っていた。


 今俺が歩いているのは、やたらと立派なマンションが建ち並ぶ高級住宅街だ。宮城きゅうじょうに隣接した行政区画からほど近いこの辺りには、政府の高官や大商会の会頭、各種ギルドの重役に、一部の法衣貴族なんかが住んでいる。ユリアーネの実家であるメッサーシュミット邸もこの辺りから歩いて数分くらいのところに建っていたりするので、この地区の住民はかなり社会階層が高いと言えた。

 ちなみに俺の住んでいるファーレンハイト家皇都別邸は、こことは宮城を挟んで反対側の貴族地区にある。そこには爵位を持つ地方貴族の皇都別邸や、皇都に本拠地を置く貴族の屋敷などが建ち並ぶ区画があって、リリーの実家であるベルンシュタイン公爵家の別邸もまた同じようにそこに建っているのだ。


 さてさて、そんなハイソサエティな地区ともなると、人通りも当たり前のようにグッと減ってくる。代わりに増えるのは、地区の自治会に雇われた私警の姿だ。皇都の往来の真っ只中ということもあって、流石に目に見える武装は持っていないが、歩き方や魔力の量、わずかな服の膨らみなんかから、小型の武器を携行した近接タイプの魔法士が多いことが容易に見て取れる。実力的にはBランクくらいが中央値だろうか。一般的に、そのへんの粗暴な冒険者よりも強いとされる皇国軍の正規兵がDからCランク程度なので、まあ割とベテラン級の実力を持った粒揃いだと言えるだろう。

 当然ながら、そんな兵を雇うのには割としっかり大金が必要なんだが……まあそんな金を惜しむくらいなら、そもそもここに住めるほどの金持ちではないのだろう。下手に金を惜しんで郊外にでも行けば、いくら治安の良い皇都とはいえど強盗や空き巣の危険性だってグッと跳ね上がる。こうして皆で協力して用心棒を雇っておいたほうが、金銭面でも安全性でもよっぽど効率的なのだ。


 と、そんなことを考えて歩いていると、マリーさんが住んでいると思われるマンションの前にまで辿り着いてしまった。四階建てと、この世界にしては充分に高層建築だ。

 実は皇都の中心部にまで来ると、戸建てというものはほとんど姿を消す。立派な邸宅を構えているのはそれこそ見栄を重んじる貴族や大商人くらいのもので、大多数の役人や軍人、商人なんかはマンションの部屋を賃貸なり分譲なりで所有して、そこに住むのだ。

 さもありなんだろう。なにせ皇都の地価はやたらめったらに高い。東京だって丸の内とか銀座のド真ん中に一軒家を建てよう、とはならないだろう。住むにしても、まずはマンションから検討するに違いない。

 そんなわけで、高い建物に阻まれて、道から見える空がかなり高い位置にあるのがこの辺りの特徴だった。


 さて、そんな高層建築群の一画を構成するマリーさんの自宅が入居するマンションだが、実を言えばマリーさんの収入状況からすればやや安めと言えるものだった。

 別にこのマンションの価値が低いわけではない。前世のタワマンばりには立派な建物と言えよう。だが、忘れてはいまいか。マリーさんは五〇年以上も中将の地位にいる超大物軍人なのだ。ほとんど税金泥棒のような稼ぎ方をしていると言っても過言ではない(過言だが)マリーさんは、何を隠そう、皇国有数の資産家なのである。

 ではなんでそんなマリーさんが立派なお屋敷ではなく、ちょっとだけ高級なマンションに住んでいるのかといえば————それは彼女がエルフ族のために色々と資金援助をする篤志家だからだった。

 甥のイルッカさんから聞かされた話だ。マリーさんは過去にエルフ族を救えなかった後悔から、自分の生活に必要な資産以外のほとんどをエルフ族のために使っているのだ。加えて言えば、マリーさんの本邸は皇都ではなくファーレンハイト辺境伯領外縁部、魔の森にある。そういった事情もあって、皇都におけるマリーさんの居宅は彼女の資産状況からすれば実に慎ましやかなものとなっていた。


「えーと、四〇五号室は……ここか。角部屋じゃないか」


 とはいえ、あくまでそれには「マリーさんにしては」という枕詞がつくことを付け加えなければなるまい。世間一般の水準からすれば間違いなく最高ランクではある。

 四階建てマンションの最上階。その一番奥の角部屋がマリーさんのお家だ。表札を見れば「Janssonヤンソン」とだけ、やたらと達筆な字で書かれている。


 ————コンコン


 ドアノッカーを鳴らすこと数回。数十秒ほどして、マリーさんが部屋の中から出てきた。


「む、来たか」

「やあ、マリーさん。さっきぶり」

「うむ」


 半日前に別れた時の軍服ではなく、見慣れた白ワンピース姿のマリーさんからはほんのりと石鹸の良い香りがする。お風呂にでも入ったんだろうか?


「まあ、入れ」

「お邪魔しまーす」


 初めてお邪魔するマリーさんの皇都別邸。なんだか少しドキドキだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る