第399話 絡み合い、求め合い
「なんじゃ、お主買い食いでもしてきたのか?」
「ちょっとだけね」
俺が異国風串焼き肉を数本取り出してマリーさんに手渡すと、彼女は意外そうに受け取りながら問うてきた。
「ハイトブルクに知り合いの串焼き屋がいるんだけどさ。その人の従弟だったらしいんだ」
「ほう、なかなか奇妙な縁もあるもんじゃのー」
どこからともなく取り出したエールを飲みながら、串焼きを頬張るマリーさん。ご丁寧なことに、いつの間にか俺の前にもキンキンに冷えたエールグラスが置いてある。
「いただきます」
「んむ」
フライング気味のマリーさんと改めて乾杯を交わし、酒を呷る俺。仕事終わりの冷えたエールってどうしてこんなに美味いんだろうな?
「実はの、お主が来るからローストチキンを仕込んでおいたのじゃ」
「へえ!」
確かに、どこからともなくいい匂いが漂ってきているとは思っていたが……ローストチキンだったのか。
ちなみに「チキン」とは言いつつ、実際にはニワトリではない。もちろん七面鳥でもない。森ウズラというエルフ族の社会では半ば家畜化した野鳥の肉だったりする。これがまたジューシーで旨味が濃厚でたまらなく美味しいのだ。パサつきもせず、臭みもなく、まさに人類に食べられるためだけに生まれてきたような存在の森ウズラ君である。
「久方ぶりにエルフ領に帰って、向こうの調味料を手に入れることができたからの。昔、両親がよく作っておった懐かしい味を再現してみようと思った次第じゃ」
なるほど。嗅ぎ慣れないこの匂いはエルフの森で採れるハーブだったのか。エルフの森は俺の育ったハイトブルクや皇都とは環境が違うから、採れる食材も当然ながら違ってくる。それがエルフ族独自の文化や味に繋がっているんだろう。
「今持ってくるでの、少し
「うん」
スリッパをぱたぱたと言わせてキッチンに向かうマリーさんについていけば、清潔に保たれたシンクと良い匂いの発生源である備え付けのオーブンが。シンクのところには背の小さいマリーさんでも洗い物がしやすいようにか、年季の入った踏み台が置いてある。
「ふふ」
「何がおかしい?」
「いや。可愛いなと思ってね」
「?」
頭にハテナを浮かべるマリーさんは、気が付けばフリフリのエプロン姿に化けていた。相変わらず着替えが早い。実に模範的な軍人像だ。
「俺が持つよ」
「少し重いからの。気を付けるんじゃぞ」
オーブンの中から出てきたのは、かなり大きな森ウズラの丸焼きだ。大皿からはみ出しかねないほどに大きい。二人で食べきれるだろうか?
「重たい」
「そう言ったじゃろう」
バリバリ現役軍人の俺ですら少し重く感じるんだから、いったい何キロあるのかわからない。
「よく料理できたね」
「まあ、魔法で腕力を強化したからの」
「日常生活で強化魔法って」
マリーさんは小柄な女の子だ。多種多様な魔法に加えて、近接戦闘だってお手の物な最強エルフ美少女である。
ただ、その強さは魔力あってのものなのだ。普段から強化魔法なんて使うわけもなし。強化していない時のマリーさんは見た目相応に非力なただの女の子なのである。この前の夜、一緒に寝た時も簡単に押し倒されてたしな……。
「エーベルハルトよ。良いことを教えてやろうか」
「何?」
「今日のローストチキンに使っておるハーブなんじゃがの。————精力がつく効果があるらしいぞ」
そう目を逸らしながら言うマリーさんの顔は真っ赤だ。見れば、耳の先っちょまで赤く染まっている。
「……なんでエッチなこと考えてるってバレたの?」
リリーといい、マリーさんといい、最近なんだか心を読まれる機会が多くなってきているような気がするんだが、いったい何故なのか⁉
「お主は顔に出るんじゃ。ポーカーには向かんタイプじゃの」
そう言って俺をからかうマリーさんだが、わざわざ精力のつく食材を用意しているという事実が意味するのはすなわち、そういうことである。
「食べよっか」
「うむ。おかわりのエールもあるぞ」
二人だけの晩餐会。しっとりした大人の食事会だ。知ってはいたことだが、やはりマリーさんの料理は最高に美味しかった。
*
「マリーさんの髪って綺麗だよね」
「なんじゃ、藪から棒に」
「いや、今ふと思っただけだよ」
俺に背中を預ける形で湯船に浸かるマリーさんの長い銀髪を触りつつ、そう答える俺。流れるような美髪は、しっとりとした質感でありながらサラサラしているという理想の髪質である。瑞々しい若葉のような輝きのある銀髪は、数えだしたらキリがないマリーさんの魅力のうちの一つだ。
「そういうお主だって、なかなか綺麗な髪をしておると思うぞ」
「男の髪の毛なんてどうでもいいんだよ」
「そんなことはない。少なくとも妾はお主の髪が好きじゃ」
俺の髪は、『昇華』したせいで今でこそ白髪だが、元々はやや金色に寄った茶髪である。サラサラヘアとまではいかないが、まあ戦術魔法中隊の野郎どもに比べたら髪質が良いのは事実だ。
「まあ、栄養状態が良いからね」
幼い頃から良質なタンパク源やビタミンなんかをバランス良く摂取していたし、貴族や商人の間でしか流通していないシャンプーもどきだって使っている。そりゃあ石鹸でガシガシ洗うよりかはよっぽど髪質だって良くはなるだろう。
「お主はもっと自分の容姿に自信を持て」
マリーさんがこちらに向き直りながら、そう言う。
「エーベルハルトよ。お主は自分の成し遂げた功績や、能力、精神性、そして努力を誇ることはあっても、どうも自身の容姿には自信がないらしい」
図星である。というか男女に関係なく、よっぽど美形か極端なナルシストでもない限り、自分の容姿に自信を持てる人間なんてそう多くはないのではなかろうか。特に俺に関しては、前世でまったく女性に見向きもされなかった記憶がある。もはや遠い昔の記憶でしかないが、それでも未だにどこか尾を引いている部分はあった。
マリーさんは右手で俺の髪をかき分け、俺の顔がよく見えるようにして続ける。
「お主の魅力は他にもあるがの。妾やリリー、イリスにメイルといった、お主のことを好いておる女は皆、間違いなくお主の容姿にも惚れておるということを忘れるでないぞ」
「そうなのかな」
「そうなのじゃ」
息がかかるような近い距離でそう言いきるマリーさん。そのまま彼女は俺の唇に自身の唇を重ねてきた。
「んむっ」
息が詰まるような長いキスだ。空気を求めて深く息を吸えば、肺腑に森のような落ち着いた香りが入ってくる。
やがてマリーさんは舌を差し入れてきた。柔らかく温かい感触。舌と舌を絡める大人のキス。
……まったく、マリーさんは変なところで小器用だ。ついこの前までキスはおろか、異性と手を繋いだ経験すらほとんど無かったというのに。しかもその少しだけあった経験ですら、「
「ぷはっ、はぁっ……はぁ」
「はぁ、はぁ……ふふ。珍しく奥手じゃな」
「なんか、積極的なマリーさんが少し意外で」
優しいマリーさんのことだ。おおかた、俺を励ますためにあえてやっているんだろうが……それにしたって珍しい。マリーさんはこの手の破廉恥な話に関しては、非常に初心なのだ。少なくともつい先日まではそうだった。
「安心せい。妾がこんなに積極的になれるのはお主と二人っきりの時だけじゃ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
その一言で、俄然俺の心に火が着いた。至近距離で見つめ合うマリーさんの紅い瞳にも、赤い炎が燃え上がっているような錯覚すら覚えてしまう。
「今夜は寝かさないからね」
「そのセリフ、そっくりそのまま返させてもらうぞ」
ザバァ、と勢いよく湯船から上がった俺達は、身体を拭くのも早々にベッドへと連れ立って向かう。マリーさんのベッドは小柄な彼女が一人で寝るのに充分なだけのサイズしかないので、俺が一緒に入ると少し手狭になる。
だが、そんな狭さも今の俺達にとっては、二人の距離を縮めるためのスパイスでしかなかった。
ふと視界に入ったゼンマイ時計を、俺はそっと裏側にひっくり返す。明日はお互いに午前休だ。そうなるように二人で示し合わせて事前に休暇を申請しておいた。だから時間を気にする必要はない。
「エーベルハルト。好きじゃ、愛しておる」
「俺もだよ、マリーさん」
絡み合い、求め合う俺達を止める者は、どこにもいない。
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