第393話 座右の銘

「それでは、叔母上。お元気で」

「うむ。お主も達者でやれよ」


 翌日早朝。イルッカさんとご夫人の見送りを受けた俺達は、朝もやの立ち込める森の中を出発する。

 エルフ族の朝は早い。種族の特性なのか、それとも社会的な要因なのかは知らないが、まだ朝早いというのに既に多くの人間がそこら中を歩いては仕事に取り掛かっている。

 ある者は狩りに。ある者は畑に。ある者は店に、またある者は役場にと、各々の職場へと向かっていく様は平和そのものだ。


「良かったね」

「……まだ、気は抜けんがの」


 嬉しそうに、しかし少しだけツンデレ気味に答えるマリーさん。俺はそんな彼女の手を取って指を絡める。恋人繋ぎだ。

 何も言わずに指を絡め返してくるマリーさん。しかしその可愛らしいお耳は真っ赤に染まっている。……可愛いなぁ。

 昨晩はイルッカさんのお家でお世話になったこともあって致せていないのだが、欲求不満気味なせいか余計にマリーさんが魅力的に見える。

 ……そうだよな。冷静になって考えてみれば、もう手が届くんだよな。良い匂いがする銀色の髪も、ぴこぴこ動いて可愛らしい耳も、細い身体も、柔らかい手も全部、俺のものになったんだ。


「なんじゃ?」

「好きだよ、マリーさん」

「妾もじゃ。愛しておるぞ」


 いつになく照れよりも慈愛が強い表情で、微笑むマリーさん。……ああ、本当に綺麗だ。



     ✳︎



「もう行ってしまわれるのですね」

「まあ、軍務があるからの。仕方のない話じゃ」


 皇国軍施設、地下室の転移門前にて、オレリアと別れの挨拶を交わすマリーさんはそう言ってオレリアの手を取る。


「また近いうちに戻る。今度はちゃんと戻ってくるから、安心せい」

「……以前のようにこちらで暮らすことはしないのですか」


 少し寂しそうに言うオレリア。だが物事というのは少しずつ変わっていくものだ。何もかもが昔のように、とはいかない。


「悪いの。それは難しそうじゃ。……じゃが、これからは頻繁に顔を出すようにするつもりじゃ。それで許してたもれ」

「まあ、閣下もお忙しいでしょうし、仕方ないですね」


 ふっ、と笑ったオレリアは、そこで一礼して俺達を見送る。


「次は奪還作戦の際に会いましょう」

「うむ。それまで抜かりなく準備を進めておくんじゃぞ」

「もちろんですとも。私が誰の副官だったか、お忘れですか?」

「良い返事じゃ」


 別れの挨拶ともいえないやり取りを済ませたマリーさんは、転移門に乗って俺の手を取る。


「帰ろう」

「うん」


 転移門へと魔力を流せば、ホログラムのように空中へと浮かび上がる時空間魔法の魔法陣。空間座標を指定する魔法式が俺達を取り囲むようにしてぐるぐると回転する。

 やがて膨大な魔力を吸われると同時に転移魔法が発動。

 ――――俺達は皇都の転移門ターミナルへと戻ってきていた。


「一瞬だね」

「お主らが開発した魔導具じゃろう? 妾なんて、未だに慣れんぞ」

「多分、時空間魔法を使えるリリー本人以外は一生違和感を覚え続けるんだろうね」


 転移門に使われている時空間魔法は、リリーのものを参考にしている。肌感覚で魔法を制御できるリリーにしか、転移門利用時の独特の違和感は拭えないに違いない。

 とはいえまあ、別にそれで何か不具合が生じているわけでもないのだ。ならば俺達は甘んじて転移門の恩恵に与るだけである。


「さて、と。報告しなきゃいけないことがたくさんあるな」

「お主の分は妾がやっておく。昨日、暇を見つけて報告レポートを書いておったであろう? 寄越せ」

「ん、ありがとう。俺は……他のやるべきことをやればいいのかな?」

「うむ。時間は有限じゃ。魔導飛行艦の開発監修に、お主の戦術魔法中隊を基軸とした新たな部隊の編成、加えて言うならば旧エルフ領奪還に関する作戦計画の立案だってあるじゃろう?」

「過労死しちゃいそうだよ」


 どれも俺にしかできない……とまでは言わないが、俺が一番適任な仕事だ。魔導飛行艦の具体的な構想を持っているのは事実上俺とメイだけのようなものだし、それを運用するための適任者の選定や、魔導飛行艦を用いた軍事作戦の策定だって魔導飛行艦がどんな性能を持った兵器なのかを熟知していなければならない。

 ゆえに地球における航空兵器や火砲、制空権なんかに関する知識を持っている俺がやるしかないのだ。


「ま、あれじゃな。副官をうまく使え」

「イリス?」

「あやつとて、事務仕事くらいはできよう」

「そうだなぁ。ついでに戦術魔法中隊の基幹要員を何人か呼び出すとするかな」

「それがよいぞ」


 近々、中隊から大隊規模へと再編成される予定の戦術魔法中隊である。どうせなら当事者たる部下の面々に、追加人員の選定任務を割り振ったほうが効率も上がるだろう。


「一回、中隊幹部連中とじっくり話し合う場を用意しなくちゃだな」

「それが終わったらお主も晴れて少将じゃな」

「我がことながら、昇進が早すぎる気がするよ」


 准将であった期間がわずか数週間にも満たないとか、いったいどんなズルをしたらそうなるのかと思われるに違いない。

 ところがどっこい、俺はズルなんてしていないのだ。もちろん運もあるが……すべてはここまで努力し続けてきた自分の根気ゆえにである。


「努力は俺を裏切ないってね」

ではなく、なのか。……ふむ、良い言葉じゃの」

「でしょう? 俺の座右の銘だよ」


 そんな他愛もない雑談をして、俺はマリーさんと別れる。マリーさんは軍務省へ、俺は特魔師団の皇都駐屯地へだ。


「あ、そうだ」

「なんじゃ?」


 呼び止めた俺を振り返るマリーさん。俺はそんな彼女に、一言だけ訊ねる。


「今日、仕事が終わったらマリーさんのお家に行ってもいいかな」

「……ン。片付けて待っておる」

「やった」


 今夜はお家デートが確定だ。……これで夜まで頑張れるぞ!




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