第392話 イルッカの願い
「そうですか……。皇国軍が近々大きく動くという噂話は聞いておりましたが、それをなしたのが叔母上とエーベルハルトさんだったのですね」
エルフの民族料理であるシチュー風の煮込み料理(いつだったか、魔の森でマリーさんが作ってくれたやつだ)に舌鼓を打ちながら、ほんのひと月前までは最大級の軍事機密だった話をする俺達。
「実はの、そこで妾は一旦命を落としかけたのじゃ」
「叔母上⁉︎」
衝撃の発言に、食事中であるにもかかわらずその場で立ち上がって叫ぶイルッカさん。そりゃあ、誰だって身内が死の危機に瀕していたと知らされたら驚くに決まっている。
「安心せい。そこのエーベルハルトが助けてくれたおかげで、今ではピンピンしておる」
「本当、エーベルハルトさんには何度感謝してもし足りないですね……」
「私だって、マリーさんを失いたくはないですから」
イルッカさんにとって、マリーさんは若い自分を支えてくれた親戚かもしれないが、俺にとってもマリーさんは家族も同然な大切な人なのだ。つい先日までは愛すべき師匠で、今では大事な恋人でもある。お互いに結婚の意思もあるし、本当の意味で家族になる日もきっと近いだろう。
「……私は、まだ三〇という若い時分に両親を戦争で失いました」
エルフにとっての三〇歳は、人族でいう一五から二〇歳くらいにあたるだろうか。ちょうど今の俺くらいの、成人したての若者がだいたい三〇歳前後だという。
「戦争で多くの人が犠牲になり、住む場所を追われた我らエルフ族は、新しいシルフィーネの街で仕事を探すのにすらも苦労する毎日でした」
エルフは森に生きているから種族全体で狩猟採集経済をやっているのかといえば、決してそんなことはない。ちゃんと農耕や牧畜だってある程度はやっているし、大規模な工場とまではいかなくとも家内制手工業くらいなら普通に制度として存在していたりもする。そんな、曲がりなりにも資本主義の萌芽くらいはあるのがエルフの社会だ。
当然、国が滅びかねない規模の戦争なんかが起これば、失業率だって劇的に向上する。……実は、戦時中は若い人間が根こそぎ動員されるから失業率が数字の上では下がるというまやかしのような現実があったりもするのだが、今回の話ではそれは関係ない。イルッカさんが言っているのは戦時中ではなく、戦後すぐの話なのだ。
「特に、若く何の経験もない私にはあの時代は特に厳しかった。そんな私を、遠方の皇国の地から支えてくださったのが、ほかならぬ叔母上なのです」
「まあ、お主は妾に残された唯一の親族じゃからの。妾が面倒を見んで誰が面倒を見るというのじゃ」
「はは。そんなわけで、叔母上のことは、もう一人の母のように慕っております。————ですが、そんな叔母上は自分の幸せを投げうってひたすら公国連邦との戦いに備えるようになってしまった。金も、地位も、名誉も、何もかもを持っていながら、そのすべてを我らエルフのためだけに使うようになってしまわれた」
ここで新たに判明した真実。マリーさんは何気にかなりの資産家なのだが、その大部分をエルフ族再興のため寄付なり援助なり投資なりに回していたのだという。
「自分は故郷を守りきることができなかったからと、責任を感じておられたのでしょう」
「イルッカ、やめんか。今は食事の最中なんじゃぞ」
マリーさんがシチューを浸み込ませたフランスパン風の白パンを頬張りながら、どこか居心地悪そうに言う。しかしイルッカさんはそんなマリーさんの制止を聞くことなく続ける。
「誰よりもエルフ族の平和と安寧を祈り、誰よりも故郷の奪還に力を尽くし、エルフ族の独立のために人生を捧げた叔母上は、しかし誰よりも自分の幸せを後回しにする方でした。――――だからエーベルハルトさん」
「はい」
イルッカさんは食事の手を止め、俺の目を真っ直ぐ見つめて言う。
「叔母上を、どうか幸せにしてやってはくれませんか」
皆の幸せのために尽くしてきたマリーさん。今度はマリーさんが幸せになったっていいじゃないか、と。イルッカさんは、心からの言葉で俺に言うのだ。
「もちろん。俺がマリーさんを、この世界の誰よりも幸せにしてみせますよ」
「頼みます」
「…………」
頭を下げるイルッカさん。そんな彼を横目で見ながら、無言でパンを口に運び続けるマリーさん。そんな彼女の横顔が、どこか照れ臭そうに見える俺だった。
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