第343話 Sleeping Beauty

「……はぁッ、はぁ……」


 なんとか、命からがら逃げ出したと言っても過言ではない奇跡的な撤退作戦は成功し、思わず荒い息を繰り返す俺。

 額の汗を拭い、努めて冷静になるべく呼吸を整える。


「……マリーさん」


 抱きかかえたままのマリーさんを見やれば、彼女は苦痛に悶え、その整った顔を歪めていた。


「――――『診断』」


 意識はない。

 マリーさんの身体をスキャンするように魔力を走らせると、負の性質を帯びた魔力が徐々に彼女の体内を侵食していく様子が診てとれた。


「マズイな」


 魔力には火や水といった様々な属性があるが、それとは別に「波長の高い低い」とでもいうべき性質のようなものが存在している。

 人族をはじめ、エルフやドワーフ、獣人といった俺達人間の魔力は基本的に「正」の性質を帯びているものだ。

 それに対し、魔物や魔人はどんよりと澱んだ死の気配――――「負」の性質を帯びている。

 今マリーさんの身体を蝕んでいるのは、その「負」の性質を帯びた魔力による呪いだ。根本的に性質の異なる「負」の魔力は、「正」の魔力による回復を受け付けない。

 そればかりか、回復させようと魔力を送り込めば、余計に呪いの進行を加速させてしまいかねないのだ。


 正直に言って、打つ手がない。

 だがこのままではマリーさんが死んでしまう。何でもいいから、マリーさんを助ける方法を……!


「…………あっ」


 一つだけ、ある。


 それを今、思い出した。

 かつて、マリーさんと修行をしていた時のことだ。たまたま二人っきりになるタイミングがあって、そこでマリーさんが教えてくれた魔法があった。



     ✳︎



Side:Eberhard Karlheinz von Fahrenheit

――――三年前



「『吻合ふんごう』?」

「うむ、そうじゃ」


 そう頷くマリーさん。心なしか、若干頬が赤いような気がしなくもない。


「これは妾やお主のような、強大な魔力の持ち主同士でしか使えん技じゃ。……基本的に魔力を他人に注ぎ込むと、波長が合わずに魔力酔いを起こすことは知っておるな?」

「うん。それは昔、身を以て経験済みだよ」

「魔力酔いくらいで済めばまだよいが、最悪の場合は中毒症状を起こして後遺症が残ったり、あるいは死に至る例もないわけではない。故に魔力を他人に譲渡する際には、必ず相手の波長に合わせることが必要となる」


 随分前に俺がメイと開発した魔力タンクは、その波長のチューニングを自動化したことで魔力の譲渡を可能にしたものだ。我ながら画期的な仕組みであったと自負している。


「じゃが、これには一つだけ例外がある」

「例外?」

「うむ。実は魔力の保有量が多くなればなるほど、魔力自身の反発力とでも呼ぶべき力が生まれるのじゃ。わかりやすく言い換えれば、他の魔力の波長に影響を受けづらくなる」

「……」

「そして、反発力を持つほどに巨大な魔力を持つ者同士が互いの魔力をぶつけ合った時、は起こる。……互いの魔力が干渉し合い、混ざり、性質を変化させる。その結果、それまでとは比較にならんほど飛躍的に魔力の質が強化されるのじゃ。――――その奇跡的な魔力の融合状態のことを『吻合ふんごう』と呼ぶ」


 そこでマリーさんは一息ついて、それから再び話を続けた。


「この『吻合』じゃがの。……妾も実際にやったことがないから本当に成功するかはわからんのじゃ」

「やったことないんだ?」


 と、そこで何故か赤くなって黙り込んでしまうマリーさん。


「マリーさん?」

「…………こ、これをやるのに必要な魔力の持ち主と出会わなかったこともあるが……前提条件として、そこまで心を許せる相手がおらんかったのじゃ」

「心を許せる……ねえ、マリーさん。この『吻合』の発動条件って何さ?」


 このマリーさんの反応から察するに、もしかして……。


「ね、粘膜接触を伴う魔力の双方向伝達、じゃな」

「ほー……粘膜接触ねぇ。たとえば?」

「お主、馬鹿か!? それを言わせる気か! で訴えるぞ!?」

「弟子を呼び出して二人っきりになった状況でこんな話をしているマリーさんには言われたくないな」

「ぐっ……! ……すじゃ」

「何?」

「き、きす……が必要なのじゃ」

「へぇ。セック「馬鹿ものぉおおおお」……」


 真っ赤になって叫び散らすマリーさん。流石は二〇〇年モノの処女なだけあって、その手の話に耐性がないらしい。かわいいね。


「で、ではゆくぞ」

「う、うん……」


 目を逸らしたマリーが、真っ赤になって俺に顔を近づけてくる。ほんのりと森の木々の甘い蜜のような香りが鼻腔に入ってくる。


「ん……」


 こ、これは修行、これは修行……!


 その日、俺は新しい技術をマリーさんと共に会得したのだった。



     ✳︎



 これが三年前の記憶だ。あれからこういったことは一回もしていない。

 どうもマリーさんにとってはあれが人生で初のキッスだったようで、しばらく使い物にならなかったのだ。

 おかげさまで過去に一度だけ成功した『吻合』は、二度と再現できてはいなかった。


「この『吻合』なら、マリーさんを救えるかもしれない」


 『吻合』の本質は、体内における魔力の融合と、それによる爆発的な強化だ。

 つまるところ目的は魔法の強化なわけだが、これの副次的効果として体内の異物を弾き飛ばす……すなわち除去する効果も見込めるのだ。


「俺とマリーさんにしか使えない技、か」


 汎用性もクソもあったもんじゃないが、それでもこの技がマリーさんを救うかもしれない。加えていえば、太刀打ちすらできなかったような第二世代の魔人を相手に善戦が可能になるかもしれない。


「いくよ、マリーさん」


 返事はない。マリーさんは目を閉じて、ぐったりとしている。心音も少しずつ弱まってきた。

 ……これが成功しなかったらマリーさんは本当に死んでしまうかもしれない。


「マリーさん」


 俺の敬愛すべき師匠にして、皇国軍の頼れる上官にして、プライベートでは仲の良いお姉さんであり、……俺の大好きな大好きなマリーさん。


「……戻ってこい! マリーさんッッ」


 俺はマリーさんの小さく柔らかい唇に、そっと口づけをする。

 無限にも思える数秒。あるいは数十秒だったかもしれない。


 ――――ふと、俺の握るマリーさんの手に力が入る。


「ん、エーベルハルト……?」

「マリーさん!」


 その瞬間、周囲に光が満ちた。


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