第334話 いつかあなたが笑って故郷の土を踏めるように

 公国連邦支配領域。五〇年前の戦争で連邦がエルフ族達の国に攻め入り、奪い取った土地。

 残った領地はエルフ族と皇国が友好条約を結んだことで皇国に編入され、エルフ族自治領となったが、失われた土地は今もなお連邦の支配下にある。

 そしてその支配領域には、エルフ達が聖地と崇める伝説の大樹――――『世界樹イグドラシル』が空高く聳え立っているらしい。

 エルフの森には地形の影響か、はたまた独特の魔力の影響かは知らないが、常に霧が立ち込めていて、外から世界樹イグドラシルを見ることはかなわない。だがもし仮に霧が晴れたとしたら、皇国領の東側からも見えるほどの高さがあるという。

 今回の目的地はその世界樹イグドラシル。ここから実に一〇〇キロ近い距離を移動することになる。


「警戒線は双方ともに約一〇キロ。合計二〇キロ弱を越えればあとは魔法解禁じゃ」

「二〇キロか。一日ってとこかな」

「慎重に行くとして、まあだいたいそのくらいじゃの」


 一般的な軍隊の一日の進軍速度がおおよそ二〇キロなので、俺達ならまったく問題ない距離だ。ただし、周囲の警戒を怠ってはならないのが鬼門だな。


「できるだけ険しいところを進むぞ」

「了解。敵に見つかりにくくするためだね」

「うむ。その通りじゃ」


 いくら一〇キロ程度とはいえ、そのすべてを監視することは物理的に不可能だ。ならばどうするのかというと、人間が通りやすい平坦な部分をあらかじめピックアップしておいて、その地点だけを重点的に監視・警戒するのである。

 そして俺達は今回、それを逆手に取るわけだ。高い身体能力と戦闘力がなければ不可能な行動だな。



     ✳︎



 警戒線を突破して数時間。俺達の姿は公国連邦支配領域の真ん中あたりにあった。

 岩肌に突如として出現した険しい渓流を飛び越え、ワイヤーを駆使して巨岩をよじ登り、大木から大木へと飛び移って先を進む俺達。

 途中、何度か警戒している連邦の兵士を見かけたが、隠密行動に慣れている俺達なのでそこは問題なく突破できていた。


「しかし、あれじゃの。なんというか……連邦の兵士はやる気がないのか?」

「立ったまま寝られるのは、割と才能じゃないかな」


 キリンとか馬とかが立ったまま寝ることもある……くらいじゃなかったかな。人間でそれができるのは、朝の満員電車にいる訓練された社畜くらいのものだと思っていた。


「こうして今も警戒を続けておるエルフの同胞が可哀想になってくるの」


 侵略された側のエルフ達は、末端の兵士に至るまで連邦の人間とは覚悟が違う。ねずみ一匹逃がさない勢いの厳戒態勢を四六時中続けているのだ。


「それだけ連邦の内部はガタガタだと思えば、こちらにとっても朗報だよね」

「そうじゃと良いんじゃが」


 皇国領を抜ける時のほうがよっぽど警戒が厳しかったので、いささか拍子抜けな気がしないでもない。

 だが、気を抜くことは許されないのだ。さあ、残り数キロ、頑張っていこう。



     ✳︎



「ふぅ……ようやく抜けたぞ」

「ここ最近の任務で一番しんどかったかもしれないよ」


 今までは魔法でゴリ押すことが多かったので、こういう魔法が使えない場面での作戦行動はかなり精神的な負担が大きかった。

 とはいえ、その分他の魔物達が襲ってきたりはしなかったので、体力面も踏まえるとイーブンってとこかな。


「さあ、ここからは魔法が使い放題な分、魔物もじゃんじゃん湧いてくるぞ。気を付けるのじゃぞ」

「うん、了解だよ」


 つい今しがた抜けてきた警戒線は、探知結界で魔力反応を捕捉しなければならない関係上、魔物を寄せ付けない結界と軍による間引きが行われていたので、生き物の姿は皆無であった。

 だが警戒線を突破した瞬間、一気に大量の生命反応が『パッシブ・ソナー』に現れる。


「エルフの森には大型の魔物が多いからの。食料には困らんの」

「……とか言ってたら早速お出ましみたいだよ!」

「……みたいじゃの」


 話しながら休息を取っていた俺達の前に姿を現したのは、全長五メートルはあろうかと思われる巨大な熊のような魔物。だがそいつには目が四つ、前脚ならぬが四本、加えて剣のように鋭い爪がたくさん生えている。完全に二足歩行型のようだ。体重を支えるためか、恐竜のような立派な尻尾が生えている。間違いなく普通の熊ではない。


合成魔獣キメラ?」

「……に近いが、古代の文献に出てくるキメラとは少し違うようじゃ。どちらかというと、ジャバウォックに近いの」

「ジャバウォックって、昔魔の森で会った……」

「うむ、あれじゃ。じゃが、どうも変じゃの。本来ジャバウォックのような『成れの果て』の個体は魔の森のような魔力の澱んだ地で発生しやすく、エルフの森のように魔力が安定した土地ではあまり生まれん筈なのじゃが……」

「連邦が何かやってるのか?」

「かもしれんの。まったく、我らの故郷を踏みにじりおって!」

「ギュゴォオアアアアアッッ」


 金属を引っ掻いたような汚い雄叫びを上げて、熊型ジャバウォックが俺達目掛けて飛びかかってくる。

 ――――速い! だが、俺達を上回るほどではない。


「嘗めるなよ」


 そう短く呟いたマリーさんが、パンッと柏手を打つように両掌を胸の前で合わせて一気に魔力を練り上げる。


「――――『絶斬』」


 その瞬間、巨大な魔法陣が幾重にも空中に投影された。その一つ一つが超複雑な魔法術式になっており、マリーさんの魔法の知識と技術がやはり最強に相応しいだけのものであると実感させられる。


「凄まじい魔法干渉力だ」


 詳細な理屈までは理解できないが……あの『絶斬』という魔法は、ジャバウォックを含む空間自体に直接作用しているように見える。

 「切断」という概念を直接付与することで、相手を問答無用で対にる技といったところか。


「グギ……ッ」


 かなりの巨体を誇る熊型ジャバウォックだったが、呆気なく真っ二つになって崩れ落ちる。結局、奴は俺達に指先一つ触れることすらかなわなかった。


「今の魔法……相手の魔力場をも上書きする圧倒的な魔法干渉力がポイントだね」

「よくわかったの。その通り、この『絶斬』は相手の身体を構成する固有魔力情報を解析した上でこれを帰納・一般化し、それを解除・編集・上書きすることで情報レベルから斬り裂く技じゃ。これを防ぐのは物理的な手段では不可能じゃな。対抗するには、妾を凌ぐ魔法干渉力と最大瞬間出力がなくてはならん」


 恐ろしい技だ。全体を構成する魔法式の一節一節が既に超高等技術なのだ。それを何重にも連鎖させるなんて、実質的にマリーさん専用技と言っても過言ではないだろう。


「エーベルハルト。お主もいずれこれくらいできるようになれよ」

「できるかな? ……いや、できる。やってみせるよ。なにせ俺はマリーさんの弟子なんだから」

「うむ。その意気じゃ」


 俺レベルの魔法士になってくると、いちいち手取り足取り教えてもらうことはもうない。マリーさんは俺に新技を見せることによって、それを分析・理解させ、俺に新しい技術を教えようとしているのだ。

 この任務、皇国の命運を左右する重要な任務であると同時に、俺の修行でもあるわけだな。

 わかったよ、マリーさん。俺は単純な戦闘力だけじゃない、魔法の技術面でもマリーさんの領域にまで駆け上がってみせるよ。

 そして一緒にこの任務を成功させよう。いつかマリーさんが笑って故郷の土を踏めるようにね。




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