第333話 公国連邦支配領域・潜入

「ほれ、舌を出せ」

「いひゃい」


 マリーさんに火傷を負わせられた患部したを出すと、元凶マリーさんが無駄に緻密な高等回復魔法を俺にかけてくれる。


「俺、猫舌なんだから気を付けてよね……」

「わ、悪かったの。ふーふーして冷ましてやるから許してたもれ。ほれ。ふー、ふー」


 マリーさんの吐息Angel breathでエントロピーを増大させた聖なるシチューが、ゆっくりと俺の口もとに運ばれてくる。

 別に両手が塞がっているわけでもなんでもない俺だが、美幼……否、ギリ少女にこうして「ふー、ふー、あーん」してもらえるのはシンプルに嬉しいし興奮するので、親鳥に餌付けされる雛が如く素直に口を開ける俺。


「フー……、フゥー……ッ!」

「エーベルハルト……何故、血走った目で妾を見るのじゃ?」

「え?」


 同じ「ふーふー」でも、無意識のうちに別の「フーフー」になってしまっていた俺である。おっと、いけない。脱法脱法。


 それからしばらくの間、自分の魅力に無頓着なマリーさんに「あーん」され続けた果報者の俺だったが、八割ほどシチューが消えたところで「あれ? これ妾が食べさせてやらんでも、もうとっくに冷めておるのでは?」という事実にマリーさんが気付いてしまい、哀れ寂しく残りの二割を自分で口に運ぶ俺であった。

 というかそもそも、最初から自分で「ふーふー」すれば良かったんだけどな。まあ楽しかったし、それは言わないでおこう。



     ✳︎



「何故ベッドが一台しかないんじゃ」

「なんでって……一台分のスペースしかないんだから、しょうがないじゃないか」


 プレハブ風の簡易野営ハウスだが、文字通り本当に簡素な作りをしているので余計な設備や広さは一切が省かれているのだ。「起きて半畳寝て一畳」とはよく言ったもので、まさにそのくらいの生活スペースしかないこのハウスである。


「まあいいじゃないの。減るもんじゃないし」

「わ、妾は別に良いのじゃ。じゃが、お主は良いのか? 仮にも妻帯者じゃろ」

「うーん、多分大丈夫」

「多分て」


 前にリリーが言っていた話だ。

 辺境伯家次期当主の俺が側室を持つのは当たり前のこと。だからその点に関しては構わないと言われている。

 問題は、その側室になる人間だ。皇国を背負って立つ俺に相応しい相手なのか。人格面に瑕疵かしはないか。

 そういった面を重視すると、正妻リリーは話していた。

 その点、マリーさんは文句なしに合格だ。もし仮にマリーさんが俺の嫁になるという話になったとしても、リリーは問題なく受け入れてくれるだろう。……というか前に「お師匠さまが駄目なら、誰も側室になんてなれないわよ」と事実上のお墨付きをもらっていたりする。

 もっとも、当の本人はそんなこと知りもしないわけだが。


「ま、お主がそういうなら妾は構わんが……歳の差的に後でしょっぴかれたりせぬよな?」

「大丈夫だって! こちとら成人済みだよ」

「まあ、それはそうなんじゃがの。それにそもそも既婚者じゃしな」


 やはり二〇〇近く歳下の――――それも立場的に断りづらい弟子である俺と一緒に寝るのがコンプラ的に不安なのか、やたらと世間の目を気にするマリーさん。

 大丈夫だ。それを言うなら俺のほうがもっとヤバイ。主に絵面的な問題で。


「おっほ、体温高っ」

「子供扱いするでないわ!」


 同じ布団に包まると、マリーさんの体温が直に感じられてなんだか変に緊張するな。……というか、なんだこれは!


「ぷにぷにだ……」

「ひ、ひっつくでない」

「しょうがないでしょう、狭いんだから」

「いや、それはわかるが……何故抱き着くのじゃ!」

「サイズ的にちょうど良くて」

「そういう問題かの!?」


 体格差や体温の高さ、肌のきめ細かさ等の要素が複雑に合わさって、マリーさんは最高の抱き枕と化しましたとさ。



     ✳︎



 ――――ピン、と空気が張り詰めたのがわかった。


 周囲に人の気配は感じられない。だが、同じく動物の気配もまた感じられなかった。

 これは異常なことだ。本来なら多くの生命反応に満ちていていい筈なのに、先ほどから『パッシブ・ソナー』はウンともスンとも言わない。

 ……いないのだ。この森には。

 いて当たり前の筈の生きとし生けるものが、まったくいないのだ。


「さて、森の様子が急に変わったのはお主も気付いている通りじゃが……」


 あくる日の早朝。朝もやのかかる森の中で、俺とマリーさんは景色に溶け込むような暗い色の服に着替えた状態で、ハイラント皇国エルフ族自治領の外縁部にいた。

 国境までは残り数キロメートル。ここは双方の国家にとっての警戒区域になる。


「ここには魔力反応を探知する結界が張り巡らされておる。加えてこちら側には今回の任務の事情を知らぬエルフ族と皇国軍の兵士、あちら側には連邦軍の兵士がおるし、当たり前じゃが監査も厳重じゃ。よって妾らはそれらのすべてをかいくぐって警戒線を越えねばならぬ」

「……イリスみたいに光学迷彩ステルスが使えれば良かったんだけど」

「いや、それも駄目じゃ。魔法を使えばその瞬間に結界に探知されてしまうからの。じゃからここから先はどんな魔法であっても使うことはまかりならん。……よしんば隠密系魔法を使えるにしても、魔力反応を一切外に洩らさぬ超絶技巧が必要じゃ。妾は短時間であれば可能じゃが、お主にはまだ難しかろう」

「……仰る通りです」


 練度の足りない自分が情けない。俺は強くなった気でいたが、まだまだ伸ばすべき点があると気付かされる。


「まあ落ち込むな。お主はそれを補ってあまりあるほどの、素の状態での高い戦闘力を持っておる。……それに国境ラインを越える間中ずっと魔力反応を押し殺しながら隠形おんぎょう魔法を展開するなど、妾にも不可能じゃ。気に病むことではないぞ」

「そっか。……うん、わかった。じゃあ魔法は一切無しの、極力魔力を抑えての作戦行動になるわけだね」

「うむ。万が一敵に見つかれば、その瞬間弓矢と魔法の嵐を喰らうと思い知れ。そうなったらこちらも魔法を解禁して正面から実力で突破するしかないが……そうなれば潜入作戦の難易度は桁違いに跳ね上がる。とにかく双方に見つからんことじゃ」

「了解だよ」


 俺はインベントリからメイ特製のアダマンタイト合金製魔刀『オニマル』と、同素材のサバイバルナイフを取り出して腰のホルスターにセットする。

 今回は魔刀ライキリは使わない予定だ。あれは莫大な魔力を消費して絶大なる斬れ味を発揮するという武器の特性上、魔力反応を隠蔽するのが原理的に不可能だからな。


「あ、そうだ。魔導銃なら魔力反応にも引っかからないな」


 アーレンダール『M一五〇八』魔導拳銃。皇国軍仕様だ。一般兵士向けの魔石弾倉タイプなので、射撃時に魔力反応が洩れる心配がない。


「ふむ、考えたの」

「これなら威力は落ちるけど、使い勝手はいつもの『衝撃弾』と変わらないから良いかなと思ってね」


 これで準備は万端だ。いつでも潜入できる。


「ここから先は連邦の支配領域じゃ。心してまいれ」

「了解」


 俺達は緊迫感に包まれながら、さりとて緊張で硬くなることもなくごく自然体を意識して公国連邦支配領域へと突入する。

 さあ、ここからが本番の始まりだ。










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