第310話 図書館の女神

 そんなわけで学院図書館にやってきた俺は、ユリアーネを探すべく館内を歩き回っていた。しかしやたらと広いんだよな、この図書館。流石は天下にその名を轟かす魔法学院というべきか、いったいどれほどの蔵書があるのか数えるのも難しいくらいだ。

 薄暗い館内にコツコツと響き渡る俺の足音。夏休みということもあってか、俺以外に利用者の姿はまったく見えない。


「ん……こんな場所があったのか」


 明るいほうに行ってみると、そこそこ広い何もない空間に出た。採光窓から柔らかい陽光が差し込んでいる。本を読むためのスペースだろうか?


「あ、ユリアーネ」


 そのスペースの一番奥、窓際のソファにユリアーネは腰掛けていた。熱心に本を読んでいるからか、彼女が俺に気づいた様子はない。眼鏡に光が反射してキラキラと輝いている。

 ……綺麗だ。なんだかまるで知の女神といった雰囲気を感じる。大人しい優等生であるユリアーネの静かな居住まいを見ると、なんだかこちらまで気分が穏やかになってくるな。

 邪魔するのも悪いし、俺も本でも読みながらしばらくそっとしておくか。




 ――――ペラッ……というページをめくる音で、ふと現実に引き戻される。気が付けば随分と読み耽っていたみたいだ。近くにあった本棚から適当に興味をそそられた本を抜き取ってきただけだったんだが、思いの外引き込まれてしまっていた。


「あっ、エーベルハルトくん。来てたんですね」


 同じようにページをめくる後で顔を上げたユリアーネがこちらの姿を認めて声を掛けてくる。俺を見つけた瞬間に「ぱぁぁっ!」と晴れやかな笑顔になるあたりが可愛すぎて正直しんどいが、そこは抱き締めたくなる衝動をグッと堪えて挨拶を返す。


「やあ、ユリアーネ。随分と集中していたみたいだね」


 小柄で小動物感のある彼女が、普段あまり人に見せない素直な喜びの感情を俺にだけは見せてくれる――――しかも当の本人はどうも俺に恋愛感情のようなものを抱いているらしい――――ときたら、これはもう男としては高らかに雄叫びを上げて万歳三唱するしかないではないか。しかしここは静謐を是とする図書館なのだ。そのような風紀を乱しかねない行いは厳として慎むべし。

 そう内心で決意し、唇を噛み締め耐え抜いた俺は、きっと誰かに褒め称えられて良いだろう。


「はい。今日は久しぶりに部室じゃなくて図書館で過ごしたい気分だったのでこっちに来たんですけど……エーベルハルトくんに会えたので、図書館に来て正解でしたね」

「それなんだけどね。実はユリアーネに話があって、探してたんだよ」


 さらっと小っ恥ずかしいことを言ってのけたユリアーネだが、本人はそれを自覚しているんだろうか。きっと指摘したら顔中真っ赤にして沸騰してしまうだろうから、そこは敢えてスルーの方針を決めた俺である。


「お話ですか?」

「うん。図書館で話すのもどうかと思うし、とりあえずここを出て歩きながら話そうか」

「わかりました。この本、借りてくるのでちょっとだけ待っていてもらえますか?」

「あ、じゃあ俺もこれを借りようかな。一緒に行くよ」


 二人揃って本を借りに行ったら、カウンターのお姉さんがニヤニヤとこちらを見てきたのには困った。別に俺達はそういう関係じゃないんだけどなぁ。

 ユリアーネはといえば、そういう風に見られることに恥ずかしさと若干の喜びを感じたらしく、終始モジモジしていてたいへん可愛らしかったとだけ記しておく。




 図書館を出た俺達は、ひとまず部室棟の方向にゆっくり歩き出す。薄暗いところから急に眩しいところに出たから、目がチカチカして思わず顔を顰めてしまう。そんな俺達の都合など知ったことかとばかりに、今日も今日とて真夏の太陽は絶賛核融合中だ。


「それで、お話ってなんですか?」

「実はこの前……」


 エレオノーラの時と同じく、詳細な事情を話す俺。ユリアーネは明るい話ではないと理解したのか、世間話モードを切り替えて真剣に俺の話を聞いている。


「それは……なんというか、厄介な人達に目をつけられちゃいましたね……」

「ああ。とはいえ、こちらもただ手をこまねいてるわけじゃないよ。やられっぱなしは性に合わないからな。近々、奴らの尻尾を掴んで叩き潰してやるさ」


 俺は皇国の平和を守る軍人で、しかも皇帝陛下の信の厚い勅任武官なのだ。俺を敵に回すということは、すなわち皇国を敵に回すということ。誰に喧嘩を売ったのか、奴らにはそれをはっきりと理解させてやらねばなるまい。

 ……そんな俺を人は傲慢と言うだろうか? それとも英雄と讃えるか? ぶっちゃけるならば、俺はそんな他人の評価なんてどうでもいいのだ。そりゃあ人から褒められて認められたほうが良いには決まっている。だが、そもそも何故俺が軍に入ったのかといえば、それは大切な人達を守るためなのだ。

 だからたとえ傲慢と言われようと、大切な人と過ごす時間を邪魔する奴らは決して許さない。徹底的に叩きのめして、再起不能に追い込んで、俺の自由を取り戻す。


「だから、ユリアーネには迷惑を掛けるけど……もし良かったら、うちに来ないか?」

「エーベルハルトくんのお家にですか?」

「うん。さっきも話したけど、現状だと俺の身の回りの人間が狙われる可能性はそこそこ高いと思うんだ。いくら俺が分身できるっていっても流石に限界はあるし、守る対象が一ヶ所に固まっていてくれているほうが守りやすいんだよ。……こっちの勝手な都合で申し訳ないけど、どうかな」


 そう伝えると、ユリアーネは不安そうな顔をして小さく訊ねてくる。


「私なんかがお邪魔していいんでしょうか……?」

「ユリアーネは俺の大切な友人だ。俺はユリアーネを守りたい。だから、ユリアーネさえ嫌じゃなければ是非来てもらいたいと思ってる」

「わ、た、大切なっ!」


 変なところで慌てふためくユリアーネ。「大切」と言われて嬉しい反面、「友人かぁ」という落胆の感情も見え隠れしている。めちゃくちゃわかりやすいな。


「ユリアーネ」

「あの……じゃあ、その、ご迷惑じゃなければ是非お邪魔させてくれると、嬉しいです」

「ああ。そう言ってくれて嬉しいよ」


 こうして、ユリアーネもまた俺の家に居候することが決定したのだった。





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