第269話 期末試験の始まり
「それでは始め」
試験官の合図で、学生が一斉にペンを手に取る。問題用事を裏返す音が静かな教室に響きわたる。魔法学院第一学年、前期の期末試験が始まった。
✳︎
「やめ」
その合図で一気に教室の空気が弛緩する。砂時計の砂は下に落ちきっていた。
「それでは回収する。合図があるまで席を立たないように」
名前の記入漏れや解答欄のズレがないか、最後の確認は済ませてある。もちろん見直しも、だ。難易度はえげつないとはいえ、試験時間内に余裕を持って終えられるよう練習問題を解きまくった成果が出たな。リリーやメイと予想問題を考えて出し合った甲斐があったというものだ。
「リリー、できた?」
「満点かどうかは自信ないけど、まず間違いなく秀の評価は堅いわね」
「そっか。俺は優かなぁ。秀も可能性としてはあるだろうけど、今回は望み薄かな」
「まあ幾何学は私の得意科目だから。ハル君は魔法哲学とか魔法史学で稼げばいいじゃない」
「そこは自信あるよ」
試験後に特有のこういう会話も、学生ならではだな。前世ではそこまで親しく話す人も多くなかったから、なんだか凄く新鮮で嬉しい。
そういえば、今みたいにふとした瞬間に思い出すことはあるが、最近はほとんど前世のことを思い出さなくなってきたな。それは多分、今が凄く充実しているからだろう。やりたいことをやれて、努力が必ず報われる力を手に入れて。そしてこうやって大切な人達に囲まれて幸せに生きている。
前世で思い残したことを、やり直すかのようにして今こうして素晴らしい人生を生きているんだ。だから俺はたとえ学院の試験であっても全力で取り組みたい。別に命はかかってないけれども、頑張りたいと思えることがあるって恵まれてることだと思うんだよな。
「ハル殿〜! 特訓の成果や如何に、であります」
「メイ」
そんなことを思っていると、教室の前のほうから天才発明娘がてくてくと近寄って話しかけてきた。
「おかげさまである程度形にはなったよ」
「それは良かったであります」
「メイは? ……って、訊くまでもないか」
「まあ、普通に満点は堅いかと」
こいつの脳ミソは本当に意味わからんくらい高スペックだからな。メイの脳内で何がどうなってるのかはまったく以てさっぱりだが、一つ言えるのは、この学院で一番頭が良いのは間違いなくメイだということだろう。今回の幾何学の試験だって、ひょっとしたらメイのほうが教授よりできるかもしれないのだ。
「いやぁ、流石にそんなことはないであります。専門分野ともなると、その道の先駆者に追いつくには時間がかかるでありますから」
「いずれ追いつけることは否定しないんだな」
いくらメイでも、魔法学院の教授クラスの専門家を相手に無双することは難しいみたいだ。ただ、それには「現時点では」という枕詞がつくことを提言しておく。おそらく頭の良さだけなら教授陣よりもメイのほうが上なんだろうが、彼らには長年の研究と研鑽の蓄積があるからな。たとえどれだけメイが天才でも、一朝一夕で追いつくのは非現実的ということだろう。
「さて、お次は苦手な実技であります……」
「あー、そうか。魔法研究科とはいっても、座学が中心なだけで実技の基礎演習自体はあるのか」
「ええ。これが魔法工学とかなら楽なんですけど、次のはよりによって必修の戦闘魔法なんであります……」
「はは、終わったじゃん」
「これで落ちたら恨みますよ」
メイは別に魔法が苦手なわけではない。個人の魔力量こそ並だが、長年の鍛冶の経験もあって魔力操作の腕は一流と表現して差し支えないし、土属性に限るが魔法の出力も限りなく高いと言っていいだろう。
だが、それはあくまで工学や基礎魔法の分野においてのみの話である。いざこれが戦闘を伴う魔法になると、メイは面白いくらいに雑魚へと大変身するのだ。
理由は単純。メイの運動神経が壊滅的だからである。こいつはボールを投げさせたらまずまっすぐ前に飛ばないし、走らせたら普通に何も無いところで転ぶ。夜戦(意味深)の時も自分から跨っておいて常にへっぴり腰だし、秒速でへばって情けなくイキ散らかす愛すべき雑魚なのだ。
「その場で即席の魔導銃でも作って撃てば単位出ませんかね」
「魔法であることに違いはないし、案外出るかもよ」
ただ、その工学的センスは誰もが認めざるを得ない世紀の大天才。神に愛されているとしか思えないメイだが、まあ神様がいるとしたらきっとありとあらゆる才能のステータスを頭脳に極振りしたんだろうな。俺と違って別に何の固有技能――――いわゆる異能も持っていない筈なんだが、それでこの規格外だ。本当、色々と凄いヤツである。
「ではそれでいくであります」
「もしそれで不合格喰らったら、学院長を銃で脅そう」
「ハル君、流石にそれは犯罪よ。せめて学院当局に圧力をかけるくらいにしとかないと経歴に傷がつくわ」
「そういや、そんな手段も俺達にはあったんだったな……」
リリーは公爵家という、皇家と宮家を除けば皇国でも最上位の超高位貴族出身だし、俺もそれに準じる辺境伯家という大貴族出身だ。加えて言えば、俺には皇国騎士ならびに勅任武官という権威の面ではこの上ない肩書きすら持っているわけで。まあ俺達二人が結託しても動かせない組織なんて、それこそ俺達に権威を与えている主体そのものである国家――――すなわち軍と政府くらいのものである。たかだか魔法学院の校長の椅子くらい、その気になれば簡単に消し飛ぶわけだ。
「まあ、流石にそんなことはしないけどな」
できないのと、できるけどやらないとは違う。俺達はできるだけの力は持っている。ただ、それをやらないのだ。青い血の流れる貴族として、人の上に立つ軍人として、陛下の信任を得た武官として、倫理観に
「真面目で立派な人間は、試験前日に人の胸を枕にして寝たりしないであります」
「だあああお前なんでそれ言っちゃうかなぁ⁉︎」
「ハル君……今夜は寝かさないから」
「明日も試験あるんだけど⁉︎」
「古代魔法文字学と現代魔法学なら得意科目でしょ」
「そういう問題ちゃうねん」
リリーのやつ、メイと違ってちゃんとタフネスある(弱くないとは言ってない)から相手するのが地味にキツいんだよなぁ。まあ、それが悪いわけではないんだが。むしろ大好きな嫁と一晩中イチャイチャできるんだから、幸せとすら言える。……試験前日でなければ、の話だが!
「今のうちに寝とくか」
幸い、今日はこの後に特になんの試験も予定も存在しない。夜に備えて滋養強壮剤と睡眠をしっかり摂っておくとしよう……。
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