第266話 リンちゃんと組手稽古

「お、エーベルハルトか。おせーぞ」


 今後の改良のためにもう少し研究を続けたいというメイと別れた俺は、リンちゃんを拾うために魔法哲学研究会の部室に向かうことにした。部室のドアを開けると、中にはソファに寝っ転がったヒルデと元気そうなリンちゃん、そしてリンちゃんの遊び相手をしている――――大悪魔アークデーモンの姿があった。


「『む、貴様がこの竜娘の契約者か。人間にしてはなかなか見所のありそうな奴だ』」


 ヒルデの契約精霊ならぬ契約悪魔。名前は確か……バアルだったかな?


「なんで大悪魔が部室に顕現しているんですかね……」

「子供の相手なんてアタシには無理だからな。同じ精霊種ならなんとかなんだろって思ってバアルのおっさんを呼んでみたら、なんかお眼鏡にかなったみたいでなー」

「ともだちになったの!」

「『友情などという低俗な感情は生憎と持ち合わせておらぬが、我としてもこの竜娘を育てるのは吝かでないのでな』」


 リンちゃんの台詞に対してそう訂正を入れるバアルのおっさんだが、曰く、リンちゃんにはもの凄い力が秘められているとのこと。今はまだ幼いし人間形態に目覚めたばかりだから本来のポテンシャルの数%しか力を発揮できていないらしいが、全力を出せるようになればバアルすらも超える契約神獣になれるそうだ。

 リンちゃんの強さは他ならぬ俺が一番知っているが、バアルの奴もよくわかっているじゃないか。


「まあ、これからもリンちゃんの面倒を見てもらう機会はあると思うし、よろしく頼むよ」

「『一時の気の迷いにすぎぬ。期待はするでないぞ』」


 バアルから感じる存在感はかなりのものだ。それこそ第三世代の魔人なんて相手にならないくらいには強大だろう。ただまあ、そこに脅威は感じない。多分戦ったら俺のほうが若干強いだろうし、何よりヒルデの契約悪魔だからな。悪魔とはいってもなんだかんだで優しくしてくれるだろう。先ほどの照れ隠し同然の台詞も含めて、要はツンデレってやつだな。


「何にせよ、お世話助かったよ。これお礼な」


 そう言ってヒルデにハイトブルクで有名な蒸留所の酒を渡す。流石に超高級品というわけではないが、庶民が日常的に買える限界値くらいには値の張る良い酒だ。


「おっ、一〇年モノじゃねーか。わかってんなぁ」

「割ったりストレートのまま呑んだりするのもいいけど、ロックが一番合うと思うよ」

「おー、ありがたくいただくぜ」

「それじゃ、俺はここいらで失礼するよ。リンちゃん、行こうか」

「いくー!」


 俺はリンちゃんを連れて部室を後にする。さて、これからリンちゃんと一緒に魔法の修行にでも励むとしようかな。



     ✳︎



 部室を出て数分後。俺達の姿は魔法学院の端にある屋外演習場にあった。今は放課後ということもあって、それなりに多くの学生達が自己修練に励んでいる。学生達が級友らと共に汗を流す光景は、青春らしさを感じられて実に良いな。


「さあ、リンちゃん。俺達も青春するとしようか!」

「せいしゅんするぞー!」


 うら若きリンちゃんに青春などという言葉はまだ早いかもしれないが、そこはまあ俺の契約神獣なんだから俺に合わせてもらうとして。お互いに新たなる力を得たことだし、その力をちゃんと物にするためにも、こうして修行するのは必要なことだ。


「リンちゃん、まずは組手の稽古だ。かかっておいで」


 人型形態の利点はなんといってもその格闘戦における汎用性の高さ。ドラゴン形態における飛行という圧倒的アドバンテージを捨て去った分、人型形態では幅広い領域をカバーしてもらわなくてはならない。

 なのでまずは人型形態時のリンちゃんの戦闘力を測るところから始めようと思った次第だ。


「いくよー! ほあっ!」


 可愛らしい掛け声とともに、見た目小学生女児くらいのリンちゃんが突っ込んでくる。だがその勢いはおよそ小学生とは言い難い、えげつないまでの爆速だ。


「ぬおっ!」


 ――――ドゴォンッ! と轟音と土煙を上げてかかとで地面をえぐり、その反動で突撃してくるリンちゃん。まるで猪か猛牛かといわんばかりの突進に、思わず瞠目してけ反ってしまう。


「てやぁ」


 萌える気合いの声とは裏腹に、ブォンッと空気を切り裂きながら振われる小さな拳。動きが直線的で単調だったからなんとかけきれたが、まともに食らってたら顔面複雑骨折間違いなしだ。


「な、なんて威力だよ」


 空気圧だけで前髪を数本ほど持っていかれてしまった。幸いリンちゃんは今の攻撃で体勢を思いっきり崩してしまったので距離を稼ぐことができたが……指導する立場の者としては、同じ手を何度も喰らうわけにはいかないよな。


「……リンちゃん。今のだと攻撃が真っ直ぐで相手に読まれやすいから、次からちょっとだけフェイントを入れてみようか。あと大振りすぎると外した時、今みたいにバランスを崩しちゃうから、そっちも身体の芯がぶれないように意識してみようね」


 とりあえずリンちゃんにアドバイスを投げつつ、俺は大人のプライドをかなぐり捨てて北将武神流「裏」、内の型『纏衣』を発動する。


「うん、わかった!」


 満面の笑みで頷いたリンちゃんは、その勢いのまま再び突進してくる。今度はちゃんと言われた通り、拙いながらもブラフとなる予備動作を入れた上で。


「……っ、そおい!」

「ひゃー!」


 活性化された視覚と反射神経でなんとかリンちゃんの拳を捌いた俺は、リンちゃん自身の力を利用して合気道の要領(似たような原理の技が北将武神流にもあるのだ)でぐるりと彼女の身体を受け流し、地面へと転がす。


「飲み込みが早いね。良くなってるよ、その調子だ」


 どうやら人型形態のリンちゃんは、俺が想像していたよりも遥かに強いみたいだ。冒険者界隈では一般にベテランと呼ばれるBランクでも、下位のほうの戦士なら見切れずに初撃でノックアウトされかねないだろうな。Aランクくらいになってきたら流石に一撃で倒すのは難しいだろうが、それでも引き分け程度には持ち込めるかもしれない。


「こりゃあ、うかうかしてたらリンちゃんに抜かされかねないな。俺も久々に本気の一部を出すとしようか。――――『意識加速アクセラレート』」


 思考を分割して並列に繋ぐ『多重演算マルチタスク』の派生技、『意識加速アクセラレート』。意識を直列に繋ぐことで通常の数倍もの思考速度を生み出すこの技は、『纏衣まとい』、『白銀装甲イージス』に続く俺の第三の定石強化技となっていた。開発当初は四倍だったが、今では六倍までなら無理なく加速することができるようになっている。


「……さあ、第二ラウンドだよ。リンちゃん」

「いくよー!」


 六倍に加速された世界が灰色に染まる。停滞した世界の中、リンちゃんは緩慢な動きで飛びかかってきた。


「なるほど、これは俺の訓練にもなってるのか」


 リンちゃんは子供体型だ。言い換えれば、彼女はとても小柄なのだ。これはすなわち、幼少期から色々な敵と戦ってきた分、逆に自分より小さい相手と戦った経験の少ない俺にとってはかなり良い刺激になるということである。

 体格に勝る相手への対処法は他ならぬ俺が一番よく知っていることだからな。リンちゃんにはそれを教えつつ、俺もまた新たにジャイアントキリング対策を練るとしようか。


「ほあーっ!」


 ――――ズドォンッ!


 子供パンチとは思えない破裂音と衝撃波を撒き散らす拳を『纏衣』の防御力と北将武神流の技術で受け止め、顔に当てないように気をつけつつも正拳突きをお見舞いする俺。

 ……それにしても凄い膂力だ。『纏衣』発動時の俺に匹敵する――――とまでは言えないにしろ、それに準ずるくらいの威力は込められている。これでまだ数%なのか……。将来が楽しみすぎるな。

 いずれ俺とともに最強に上り詰めるであろうリンちゃんの姿を思うと、戦闘訓練中にもかかわらず思わず楽しくて笑みが浮かんできてしまう俺。

 まるでダンスを踊るかのように両者ともに激しく動き回り、そこら中に土煙が舞い、演習場の地面が抉れまくる。そんな俺達を演習場にいたほぼすべての学院生達が呆然と眺めていたことに気づくのは、リンちゃんとの組手稽古が終わってしばらく経ってからであった。








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