第208話 鬼人族の血

「ではいくぞ。――――『鬼血きけつ解放』」


 そう技名を静かに呟き、ジェットが奥の手を発動する。次の瞬間、ジェットの体内の魔力密度がまるで沸騰したかのように高くなっていくのを感じた。

 魔力の高まりと同時に、肉体にも変化が起こり始める。ただでさえ筋骨隆々だった身体が、さらに太くなってゆく。皮膚の色が薄橙色――――いわゆる「肌色」から、薄黒い赤褐色に変貌し、表面が硬い殻のような装甲に覆われてゆく。


「何だ……その姿」

「……俺の身体には極東の鬼人オーガ族の血が流れていてな。確か四代前の祖父だか祖母だかが鬼人族の国からの流れ者だったらしい。普通ならここまで混ざると血は相当薄くなる筈なんだが、俺の場合はどうやら先祖帰りしたみたいだ。隔世遺伝ってヤツだな」


 そう言うジェットの額からは、三〇センチはあるだろう巨大な角が一本生えている。口元からも立派な牙が上向きに二本生えており、その姿はまさしくそのものだった。


「この状態だと五分保たせるのがやっとだからな。早速攻めさせてもらうぞ。ぬうんッ!」


 ————まったく見えなかった。気が付けば、かつてない衝撃と熱が俺の腹部を貫いていた。目の前が暗転して、周囲がまったく見えなくなる。


「……っ……がはぁっ」


 呼吸ができない。受け身も取れず、俺は数十メートルはある闘技場の端まで吹っ飛ばされてしまう。


「………ッ、はッ、はッ……!」


 なんだ。俺は今、何をされた!? こんな衝撃なんて、オヤジやマリーさんとの修行でも、魔人との戦いでも受けたことが無い。『纏衣』を使える俺の動体視力は普通の戦士と比べるとかなり高いし、『将の鎧』(俺の場合は派生技の『白銀装甲イージス』だが)の防御力のことも考えると、俺にダメージを与えることはそもそもかなり難しいのだ。なので基本的に俺は今までの戦いにおいて大きな衝撃を喰らったことはほとんど無かった。

 今回だって、『纏衣』は発動していた。通常の『身体強化』をはるかに凌駕する『纏衣』は、発動しただけである程度の防御が望めるほどである。それを易々と貫いてここまで大きなダメージを与えるとなると、ジェットが発動した『鬼血解放』がいかに常軌を逸したものであるかがよくわかろうというものだ。


「ふむ、今ので倒れないか。……流石はファーレンハイトの人間だな」


 なんとか言い返したいが、うまく声が出ない。どうやら思った以上に今の攻撃の被ダメージが大きいらしい。

 とりあえず無属性の回復魔法を自分に掛けつつ、フラフラとではあるが立ち上がって次の攻撃に備える。今の攻撃、数メートルしか離れていなかったこともあってか、四倍に加速された意識を以ってしてもまったく知覚ができなかった。次は数十メートルほど離れているが、それでも奴はそんな距離など文字通り一瞬で詰めてくるだろう。安心できる距離では決してない。


「……ごふっ、『白銀……装甲』」


 俺の最大の武器は馬鹿げているほどの、この膨大な魔力量だ。これだけは誰にも負ける気がしない。皇国序列一位のマリーさんとて、魔力量だけなら俺には及ばないのだ。

 ジェットに勝てる道筋はまだ見えてこないが、四倍に加速された思考でそれを思いつくまでの時間稼ぎくらいならできなくはないだろう。

 手慣れたものなので、まずは瞬時に厚さが二メートルを越す『白銀装甲』を展開する。流石のジェットといえども、これだけの装甲を貫いて俺本体にダメージを与えるには多少なりとも時間が掛かるだろう。そしてそれだけの時間があれば、奴に反撃をかますことだって不可能ではない。攻撃するために必ず身体を敵の正面に晒さなくてはならない近接戦においては、相手が攻撃をしている時こそが最大の反撃のチャンスなのだ。リスクは大きいが、今回はそれを利用させてもらおう。


「ふむ、攻撃対防御、というわけだな! ではよろしい。勝負といこうじゃないか! ぬぉらぁあああっ!」


 やはり数秒も掛からずに数十メートルを詰めてきたジェットが、怒涛の攻撃を繰り出してくる。今度は身構えていたこともあって、ギリギリ視認できた。それでも四倍程度の加速ではあと少しのところで追いつけない部分が出てきてしまう。

 拳を振り抜いた後の拳圧だけで地面がヒビ割れ、砕け散るほどの威力を持ったジェットの攻撃をいなし、あまりの威力にいなしきれずに『白銀装甲』を少し削られ、なんとかお返しに『白雹』をお見舞いし、しかしジェットの体表に展開する謎の防御殻に阻まれて奴にはダメージが通らず――――そんな展開を毎秒ごとに繰り返して、少しずつ削られてゆく俺。

 駄目だ。加速が足りない。思考が、身体がジェットに追いついていない。このままだと削りきられて最終的に負けるのは俺だ。有り余る魔力をもっと有効活用しなければ!


「ぐっ…………、ぬっ、ぬぅおおおおおっ! 『多重・意識加速アクセラレート』!」


 俺は現状展開している『意識加速』に加えて、更にもう一段階『意識加速』を発動する。これで俺の思考速度は通常時の八倍になった。膨大な情報の高速処理に伴うあまりの負荷に、脳ミソが悲鳴を上げて頭がキリキリと痛む。鼻の奥がツーンとして、鼻血がポタポタと垂れてくる。その垂れた鼻血すらジェットの攻撃の衝撃波で吹き飛ばされ、霧状になって地面に届かない。


「!」


 一瞬、本当にたまたま運が良く、俺の『白雹』がジェットの顔面――――目の近くをかする。流石に目には謎の殻の防御が及んでいないようで、思わず本能的に目を閉じるジェット。

 その僅かな隙を突いて、俺は迷わず『飛翼』を発動して空へと高く飛んだ。


「ああーーっと! ここでエーベルハルト選手、空へと舞い上がった! 若干押されていたように見えたエーベルハルト選手ですが、ここで機転を利かせてジェット選手の攻撃が届かない上空へと避難、仕切り直しを選択しました。……えー、あまりにも異次元の闘いぶりに、ついコメントを忘れてしまったわたくしですが、ここでようやく一息つけました。さあ、エーベルハルト選手、逃げるだけではジェット選手は倒せない。まさかこのままジェット選手の『鬼血解放』が終わるまでの五分間、上空に退避し続けるのか!?」


 まるで俺が逃げたかのような実況に、流石にイラッときてしまう俺。あくまで会場を盛り上げるために言っているだけの煽りだとはわかっているが、俺の名誉のためにも噛み付かずにはいられない。


「おい、司会! 俺は逃げてないぞ! 俺は、飛んだんだッ!」

「あーっ! お叱りの言葉を頂いてしまいました。エーベルハルト選手、名誉を傷つけるようなことを言ってしまい申し訳ございません!」

「わかりゃいいよ!」

「どうも助かります!」


 いかんいかん。強敵と闘っていると、つい立場やら何やらを色々と忘れて熱くなっちまうな。これじゃあまるでバトルジャンキーそのものだ。貴族たる者、常に冷静沈着であれ。これは鉄の掟なのだ。


「さあて、とりあえず飛んだはいいものの、どうやってジェットを倒すかな……」


 このままでは本当に逃げただけになってしまう。ジェットのことだ。流石にいつぞやの、マリーさんの契約神獣であるベヒモスのピーター君みたいに跳んでくるまではないと思うが、それに近しい何らかの攻撃手段は、超近接戦タイプのジェットとて持ち合わせている筈だ。いつまでもこうして悠長にフワフワと飛んでなどいられない。

 ジェットを倒すには、受け身ではいけないのだ。こちらから能動的に攻めていく必要がある。

 『衝撃弾』は……駄目だ。規模を大きくすれば『白雹』と同程度に威力は高くできるが、それではジェットの装甲を貫けない。たとえ飽和攻撃を行っても埒が明かないだろう。目眩し程度にはなるかもしれないが、所詮はその程度止まりだ。魔力の無駄遣いになる。

 できることなら『いかづち』を使いたい。あの技は、俺が持つすべての技の中で最強にして最恐の技だ。下位互換の『白雹』と違って、原理的にな技でもある。『雷』は相手を破壊することに特化した技なのだ。直撃さえすれば、

 ……ただ、この『雷』を使うことも難しい。あの技は尋常でないほどに緻密な魔力制御が必要なので、放つためには一定時間の集中が必要なのだ。そんな時間があったら俺はジェットにフルボッコにされてしまうだろうし、よしんばされなかったとしても確実に避けられてしまうだろう。

 やはりジェットを倒すには、確実に攻撃を当てるしか方法は無い。そして『雷』の次に威力が高い魔法といえば…………『烈風』だ。範囲攻撃の側面も併せ持つ『烈風』で、闘技場の全域を攻撃して確実に当てる。避ければ場外で失格、避けなければあの威力が直撃だ。

 俺は既に展開している『白銀装甲』を右拳に収束させて、密度を高めてゆく。さあ、反撃の始まりだ。




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