第204話 『意識加速』

「――――行くぞ、『意識加速アクセラレート』」


 俺が新魔法を行使した瞬間、世界が灰色に染まる。

 もちろん、実際に灰色に染まっているわけではない。視覚を通した知覚情報は、ちゃんと世界の色彩をしっかりと捉えている。ただ、それが灰色のように感じられるのだ。少なくとも鮮やかではない。

 昔の記憶の中の、冬の日の曇り空のような、色せた映像が頭に流れ込んでくるような感覚に近い。

 そして、その灰色の世界はひどく緩慢で、自分以外のすべてが停滞している。ミヒャエルの動き、観客の表情、闘技場に舞う土埃つちぼこりに至るまで、そのすべてが、だ。


「(――――よし、成功だ)」


 口には出さず、俺は自分の魔法が無事に発動したことに、ひとまずは安堵する。

 続いて、まだ慣れていない感覚に戸惑いつつも、今の状況を再確認するために視線だけでぐるりと周囲を見回す。

 俺が無事に魔法を発動したのを見届けたミヒャエルが、超高速な槍さばきで俺に突撃してきているのが確認できた。群衆はそれを熱狂して眺めており、魔法学院陣営の面々は固唾を呑んで見守っている。

 ただ、俺はその様子を

 構えた刀のせいで微妙に死角になっている中央右寄りの下方から、赤熱化した槍が空気を切り裂いて俺を狙ってくる。俺はそれを僅かに刀身を傾けることで、がら空きになったミヒャエルの手首を斬りつけようとしたところで、窮地に気付いたミヒャエルが慌てて飛び退すさって距離を取った。


「おい、『白銀』。いったい何の魔法を使ったんだ!? 明らかにさっきまでと動きが違う――――お前、な!?」


 先ほどまでの俺達は、まさにガチンコのぶつかり合いをしていた。序列は相手のほうが下とはいえ、お互い同格のSランクなので、やはりミヒャエルは他の選手よりもはるかに手強い。Sランク同士の闘いは文字通り次元が違うのだ。

 一日の長がある俺が優位に戦局を進めているように見えて、その実、そこまで優位に立っているというわけでもなかった。あくまで互角か、それより少しだけ俺が強いか程度の差でしかなかったのだ。

 もちろん俺には莫大な量の魔力というアドバンテージがあるので、持久戦に持ち込めば最終的には俺が勝っていただろう。しかしミヒャエルは、そこに至るまでは相当善戦するに違いなかった。今のように、簡単に攻撃をいなされるようなこともなかった筈なのだ。

 それでは何故、まるで子供と大人のような実力差が生まれてしまったのか。

 そのカラクリは『意識加速アクセラレート』の魔法にある。『意識加速』は『多重演算マルチタスク』の派生技だ。四人分までの意識を同時に展開する――――つまり並立思考を可能にするのが『多重演算』なら、この『意識加速』は直列思考を可能にする――――すなわち、複数の思考を同時にこなせない代わりに、一つの思考を四倍加速するのだ!

 四倍の差は大きい。プロ野球選手の投げた時速一五〇キロ超の球が、時速四〇キロ弱に感じられてしまうといえばわかりやすいだろうか。四〇キロなんて、ちょっと運動が得意な小学生でも投げることができてしまう数値だ。打つにしろキャッチするにしろ、対処はまず余裕だろう。

 これが戦闘になるとどうなるか。それは、今の俺達の闘いぶりが答えだった。

 先ほどまでは互角程度に感じていたミヒャエルの槍さばきが随分と遅く感じられる。奴の全身の筋肉の動き、視線の位置、重心のズレから槍の角度に至るまで、すべてを正確に把握するだけの余裕が、今の俺にはある。そしてそれらをもとにして、次にミヒャエルがどこから攻撃を仕掛けてくるのか、その威力はどれだけのものか、どこを突けば奴が一番嫌がるかの最適解すらも、戦闘中に一瞬生まれた僅かな空白の間に思いついてしまうのだ。

 ありとあらゆる攻撃を完全に見切られ、最も苦しい部分を攻められ続けるミヒャエルは、やがて防戦一方になっていった。


「ぐっ……、あ、ありえねぇっ……、俺は、俺だってSランクなんだぞっ……!」


 大粒の汗を飛ばしながら必死に『灼槍』を振るい続けるミヒャエル。しかしそのことごとくが俺にかすりもしない。

 もちろん、その一撃一撃の威力は絶大だ。余波だけでも闘技場の地面に敷き詰められた石にひびが入るし、直撃した場所に至っては数十センチ規模の大穴が空いている。高熱で溶解した石がマグマのようにドロリと崩れていて、どれだけの熱量が込められているかがよくわかろうというものだ。

 当然、俺の『纏衣』といえども直撃すれば大怪我は免れないだろう。流石に全力で『白銀装甲イージス』を展開すれば無傷かもしれないが、それをやると魔力の消費量が半端でない上に機動力を失ってしまうので、こういう手合いを相手にする時には多用は禁物だ。

 ……ただ、そのせっかく強力な、俺に大ダメージを与えうる可能性を大いに秘めた『灼槍』は、しかし俺を捉えることができず完全に封殺されていた。何手、何十手、何百手と攻めようと、一向に落ちることのない難攻不落の要塞を前にして、ついにミヒャエルの意志が折れる。


 ――――ガキィンッッ!


「……っっ!」

「ああーっと! ものすごい攻防を見せてくれた両者ですが、ここでミヒャエル選手の愛槍が折れてしまったーーっ! ただでさえ押されていたミヒャエル選手、なんと武器まで失ってしまいました!」


 確かに『灼槍』は強い。攻撃力もさることながら、武器自体の耐久力も相当に高い。だが、それは槍の穂先の部分だけの話だ。重すぎてもまともに使えないので、取り回しがしやすいように槍の柄は金属ではなく木でできている。そして残念なことに、木がアダマンタイト合金に勝てる筈はなかった。


 ポッキリと折れてしまった槍を見詰めるミヒャエル。その顔にもはや戦意は無い。


「……降参だ」


 ジリジリと肌を焼くような高熱を放っていた槍が落ち着きを見せ、赤熱化が収まってゆく。静まり返る闘技場の中心にたたずむミヒャエルの内に感じられる魔力量も、もうほとんど残ってはいないようだ。これではたとえ槍が折れなかったとしても碌に闘えやしなかっただろう。


「……な、なんと、同じSランクを相手に、エーベルハルト選手、圧勝してしまいましたーーっ! 信じられません! いったい誰がここまでの実力を隠していると予想していたでしょうか!? この若き俊英が持つ可能性は果たしてどれほどまでに天井知らずなのか! わたくしも長いこと司会を務めさせていただいておりますが、ここまで期待する、否、せざるをえない選手は未だかつて見たことがございません!!」


 そこへ、司会の演説が入って試合が終了する。それを合図に、水を打ったように静かだった闘技場に再び熱気が戻ってきた。


「そして、今大会が始まって初めてエーベルハルト選手の本気を引き出し、滅多に見れないハイレベルな闘いを見せつけてくれたミヒャエル選手にも熱い拍手を皆さまお願いします! ミヒャエル選手、ありがとう!」

「ありがとう!」「凄かったぞ!」「かっこよかったわ!」「今度依頼するぜ!」


 Sランク冒険者に仕事を依頼するのにいったい幾ら必要なのか、同じSランクの俺ならわかってしまうから最後にチラッと聴こえてきた声援にだけは賛同しかねるが、他はおおむね好意的な感謝の言葉が掛けられているようだ。実際、俺自身がミヒャエルを下したとはいえ、俺もまた彼の強さには感服していた。


「ミヒャエル、楽しかったよ」

「……次は、苦しかったと言わせてやるさ」

「ああ」


 手を握り交わしてお互いを讃える俺達。こうして準決勝は俺の勝利となり、俺は決勝への進出を決めるのだった。





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