第205話 決勝戦の相手

 圧倒的だった。

 何のことかといえば、エレオノーラとジェットの試合である。

 エレオノーラはまだ魔法学院の一年生でありながら皇帝杯で準決勝に残るだけの実力を発揮したし、彼女の持ちうるすべての選択肢の中でもっとも正解だと思われる戦法を選ぶこともできていた。格上相手の激しい闘いの中にもかかわらず、流石の精神力だと素直に称賛せざるを得ないだろう。

 ただ、ジェットはそれ以上に強かった。


「ぐっ……」

「エレオノーラ嬢。誇っていいぞ、お前は強い!」

「……現在進行形で負けている相手に言われても嬉しくないわね!」


 満身創痍でほとんど魔力の尽きたエレオノーラが、それでもなお目をギラギラさせてそう言い返す。対するジェットはといえば、ほとんど無傷だ。これだけの実力差を見せつけられておきながらまだ闘志を失わないエレオノーラは、近年稀に見る凄まじい精神力の持ち主だ。


「今大会、エーベルハルトを驚かせるために出場したようなものだが……、まさかここで思わぬ伏兵に出会うとは思ってもいなかった。俺も手加減をしているわけではないからな。特魔師団長の俺を相手にここまで闘ったのだ。恥じることはないぞ!」

「私は最強を目指してるのよ! 『鎮火』!」

「むっ!」


 ジェットと応酬を交わしている間にも密かに身体の後ろで魔法陣を展開していたエレオノーラが、火属性魔法『鎮火』を発動する。これはいつぞやの中央委員会騒ぎの時に、敵が資料を燃やして証拠隠滅を図ろうとしたところ、オスカーが鎮火するために使っていた「一定の領域に、一時的に無酸素状態を生み出す」技だった。

 この世界には、まだ酸素の概念自体は無い。ただ、火属性魔法の研究者達はそれに限りなく近しい「物が燃えるために必要な目に見えない要素」の存在にまでは辿り着いているのだ。

 オスカーももちろんそうだが、エレオノーラは最先端の科学に基づいた理論を柔軟に自分の魔法に取り入れている。流行を追いかける単なるミーハーとは違う、確固たる知識と実力に基づいた上での柔軟性だ。魔法学の最先端にもっとも近い魔法学院で学んでいるということも大きな要因ではあるだろうが、やはり一番大きな要素はやる気や吸収力、柔軟性といった本人の資質だろう。まさにこれからの新時代を担うに相応しい人材なわけだ。

 だが、現在進行形で時代と国の最前線を担っている当事者であるジェットもまた、史上稀に見る傑物であった。

 特魔師団には研究費用が目がくらむほどに支給されているし、何より普段からジェットが研鑽を怠っていなかったのは、特魔師団員である俺自身が誰よりも知っている。

 ゆえにチラリと見えた魔法陣を一瞬で識別して『鎮火』の魔法の効果を見破ったジェットが、大きく息を吸い込んで窒息を免れたことも驚きこそすれ、別に不思議なことではなかった。


「なっ!」


 ただ、エレオノーラにしてみればそうではなかったようだ。これまで火力主体でジェットを攻めていた(あんまりにジェットが強いもんだから攻めるに攻めきれていなかったが、そこはまあご愛嬌だ)彼女である。言うなれば絡め手に近い『鎮火』をエレオノーラが使うということそれ自体が、不意打ちになるのだ。それにもかかわらず秒速でジェットに見破られたことが信じられないのだろう。

 ……まあ、それはひとえに言って経験の差だろうな。エレオノーラは持っている才能は凄まじいが、実戦経験でいえば俺には及ばないし、当然ジェットにもはるかに及んでいない。もちろんかつてのクリストフのようにおごり高ぶって才能に胡座あぐらをかくようなことはなく、普段からひたむきに努力を続けているのは素晴らしいことなのだが、彼女は辺境伯令嬢であって軍人ではないからな。どうしても実戦となると経験の機会が少ないのだ。こればっかりは仕方のないことだろう。

 『鎮火』が起死回生の切り札であっただけに、それがまったく効かずエレオノーラが呆然としてしまっている。そしてその隙を逃すような生易なまやさしいジェットではなかった。

 呼吸ができないので(息をした途端、無酸素の空気が肺に入って低酸素状態におちいり、一気に気絶するからだ)、息を止めたままのジェットが自身の筋肉に魔力を注ぎ込み、テレフォンパンチが如くその筋骨隆々の剛腕を身体の後方に振りかぶる。そしてそのまま腕を振り抜いた次の瞬間、闘技場に暴風が吹き荒れた。


 ――――ズドォオオオオンッ……


 荒れ狂う風が闘技場の空気を掻き乱し、無酸素状態だった領域とその周辺の通常の空気が攪拌かくはんされて、再び闘技場の上に酸素が戻ってくる。そして深く深呼吸をしたジェットは満面の笑みで叫んだ。


「『鎮火』破れたり!」


 なんかもう、むちゃくちゃだ。すべてを筋肉で解決するあたりがいっそ清々しい。エレオノーラなんて唖然として、辺境伯令嬢が晒してはいけないような顔になってしまっている。


「……流石は師団長。強い」

「パワーだけなら『纏衣』を発動した俺よりもずっと上だからな。本当、人間離れしてるよ」


 隣のイリスの呟きにそう返しながら、俺もまた改めてジェットの強さを痛感していた。

 ジェットとは一二歳の頃、魔の森の外縁部で彼と初めて会った時に一度だけ交戦したことがあるが、あの時はお互いが全力ではなかった。本気でやりあったら、まず間違いなくどちらか、あるいは両方が死んでしまうからだ。

 しかし皇帝杯なら『精神聖域』が展開されているので、全力を出しても死んでしまう危険性は無い。つまり、このままジェットがエレオノーラに勝てば、俺は決勝で実質的に初めてジェットと本気で手合わせをすることになるのだ。

 ……果たして勝てるのか、本当にあんな化け物に?

 俺だって大概化け物じみている自覚はあるし、魔力量に至っては文字通り人間をやめているが、それでも技術面やら戦術面やらではまだまだ敵わない人間は少なからずいる。たとえば北将武神流の技術や戦術の幅の広さなら僅差ではあるがオヤジにはまだ及ばないし、魔法に関する精密度やレパートリーの多さならマリーさんにはまだまだ遠く及ばない。単純なパワーや近接格闘のセンスならジェットにだって及ばないだろう。北将武神流が得意とするスピードだって特魔師団の同僚である『雷光』のジークフリートに勝てないのだ。

 つまりだ。俺はスペシャリストではない。ゼネラリストだ。そしてゼネラリストである俺は、何かを極めた人間には必ずその分野で勝つことができないのだ。

 ……ただ、そこに俺の勝機があるとも考えている。逆に考えればいい。

 確かに戦闘の技術では勝てないかもしれない。なら、単純な火力であればどちらが高いか?

 確かに魔法のレパートリーの多さでは敵わないかもしれない。なら、どんな魔法をも貫く固有魔法が一つでもあればどうなる?

 確かにスピードやパワーでは負けるかもしれない。なら、どれだけ速くても、どれだけ力が強くても、どちらも意味が無いくらいに硬い防御を持っていればどうか?

 要するに、適材適所だ。たとえある分野で相手に負けていようとも、それを補えるような他の分野で勝ってさえいれば問題ない。ジャンケンみたいなもので、むしろ相性の良い部分を多く持っていたほうが結果的には強いだろう。


「ああーっと、ここでついにエレオノーラ選手、リタイアしてしまいました! ということで勝者はジェット選手! やはりこの男が勝利を手にしたーっ! 期待を裏切らない最強の男、ジェット・ブレイブハートがいる限り皇国に不安は無用です! そしてそのジェット選手相手にまだ学生、それも一年生ながら果敢に立ち向かい、素晴らしい闘いを見せてくれたエレオノーラ選手にも惜しみない拍手を送りましょう! お二人とも、ありがとう!」


 司会の声が会場に響き渡り、試合の終了が告げられた。エレオノーラはといえば、肩で息をしながら闘技場の上に座り込んでいる。どうやら力を出し尽くした結果、立ち上がれなくなってしまったようだ。

 ジェットのほうを見れば、奴は満面の笑みで俺を見据えてきていた。ジェットと目が合う。


「…………」


 楽しみにしているぞ、と言いたげなジェットの視線に不敵な笑みを浮かべて応えてやりながら、俺は決意する。

 なんとしてでも勝ってやるぞ。俺が努力し続けて手に入れたこの強さで、実質的に隠居しているマリーさんを除けば皇国最強にもっとも近いこの男を俺が倒すのだ。


 気が付けば、右手にイリス、左手にリリー、そして背中にメイの手が添えられていた。三人の顔を見回すと、皆無言で微笑んでくれていた。言葉にせずとも応援してくれているのが伝わってくる。

 ……こりゃあ、余計に負けらんないな。可愛いヒロイン達に期待されて、カッコ悪いところを見せられるわけがない。

 俺はこれまでの一五年の人生の中でもっとも強いだろう相手との闘いへの覚悟を決め、彼女達の手を握り返すのだった。






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