第186話 朝の模擬戦

 ユリアーネのおかげで課題が終わり、授業の遅れも取り戻せた俺は、肩の荷が下りた気分で朝の通学路を歩いていた。中央委員会が事件を起こしてからしばらくの間は、尻拭いの意味もあって生徒会活動も忙しかったらしいが、クラウディアさんやフリードリヒ殿下をはじめ、優秀な役員達の尽力によって今ではほとんど閑散期と化していた。

 つまり、今の俺は暇なのだ。日課の修行も早朝に済ませてあるし、授業の予習もばっちりだ。やるべきことはしっかり済ませてあるので、完全に今の俺はフリーなのである。ビバ、自由!


「……とは言ったものの、暇すぎてもつまらんなぁ」


 気がつけばもう学院の目の前だ。早く着きすぎたので、昨日ユリアーネに渡された小説の続きでも読もうかな……と思ってインベントリを開こうとすると、誰かが近づいてくる気配を感じた。


「おや、エーベルハルトじゃないか」

「殿下。なんか久しぶりだね」


 我らが皇国の偉大なる君主であらせられる皇帝陛下が第三皇子、フリードリヒ殿下がそこにはおわした。朝っぱらからやんごとなきオーラを醸し出しており、なんとも身の引き締まる思いである。


「今回も危険な任務だったみたいだね。国のためにいつも尽力してくれて、本当に頭が上がらないよ」

「仮にも皇族が臣下に対して『頭が上がらない』なんて言っちゃマズいんじゃないのか」

「ここはプライベートな空間だからね。誰にも文句は言わせないよ」

「殿下らしいな」


 臣下を大切にし、気遣えるような人柄であるからこそ人々に慕われるのだろうから、あまり俺からは言うことはない。かく言う俺とて、そういう殿下の人徳に深く敬愛の念を感じちゃったりしているのだ。

 ハイラント皇国は君主権の強い国だから、主君が良い人だと俺としてもたいへん助かるわけで。願わくは彼に次の皇帝陛下になって欲しいものだという気持ちがないわけではない。ただまあ、それを公にしてしまうと現状皇位継承権第一位の第一皇子に楯突くことになってしまうので、発言には気をつけねばならない。クリストフの二の舞は御免こうむらせてもらおう。


「今日はたまたま早く登校したくなってね。するべきこともなくて、暇を持て余していたんだ」

「俺と同じだね」

「エーベルハルト。良かったら手合わせ願えないかい? いくら皇族とはいえ、君ほどの実力者に指南してもらう機会はなかなかないんだ」

「俺でいいなら喜んでお相手させてもらうよ」


 線が細くて優男っぽいイメージの強い殿下だが、こう見えて彼は入試の実技試験ではかなり立派な成績を残しておられるのだ。少なくともそんじょそこらの魔法学院生に比べたらはるかに上の実力をお持ちのなのである。


「殿下って確か魔法主体の戦闘スタイルだったよね?」

「そうだね。だけどちゃんと剣技や徒手格闘も学んでいるよ。皇族は何があるかわからないからね」

「帝王学の勉強もあるだろうに、流石だよ」


 貴族の俺でも相当大変な修行に励まねばならないのに、皇族ともなればいったいどれほど厳しい訓練を積まなければならないのか想像だにできない。もっとも、その修行の中身は武官貴族である俺とはだいぶ違って、作法やら護身術やら兵法やらと、帝王学が中心なんだろうが。


「私の場合は最低限の護身術さえできれば、あとは近衛が護ってくれることになっているからね。それでも手は抜けないし、皇族に何かあったら国の一大事だからね。自分の身分に対する自覚くらいはあると自負しているのさ」


 ヤバいこの人、とても聡明! 殿下の言う通り国全体のことを考えたら、やんごとなき身分の方々はあまり荒事において正面に出ることは控えたほうがよっぽど良いのだ。よく物語で見るような、先陣切って戦場に出張っちゃう勇猛果敢な(ただしその勇気とやらは蛮勇だが)英雄気取りの皇族とは大違いである。しかも、ただ護られるだけのお荷物にはならないように護身術を身につけようと努力しているのだから、この歳でどれだけ立派なんだよって話だよな。


「さて、じゃあエーベルハルト。頼めるかい?」

「もちろん」


 学院敷地内の演習場(早朝の時間帯は勤勉な学生のために開放されているのだ)に移動した俺達は、やたら立派な素材でできている制服から実技演習用のラフな格好に着替えた状態で正対していた。


「じゃあルールの確認ね。俺はできる限り遠距離の魔法攻撃はしないから、殿下は俺を近づけさせないように迎撃。制限時間以内に俺が殿下を降伏させられなかったら、俺の負け。殿下が降伏したら俺の勝ち。これで問題ない?」

「本番を想定した、実践的でとても良い訓練内容だと思うよ」

「じゃあこのルールで行こう。準備はいいかな」

「問題ないよ」

「では……参る!」


 基本、自分の身を守ることが最優先事項の殿下には、賊に襲われた時のことを想定し、護身術を鍛える修行が有効だ。そこで俺が賊役となり、殿下はそれを迎撃し、増援が来るまで自分を守りきることを勝利条件に設定してみた。我ながらなかなか良いシナリオだと思う。

 この訓練において、俺は近接戦用以外の魔法を使用しない。魔法を使用しない敵のほうが世の中には圧倒的に多いからだ。もちろんいずれは対魔法士戦も想定した訓練は行いたいところだが、まだ今回は初回だしそれはまたの機会にするとしよう。


「ふっ……!」


 まずは『身体強化』を用いることなく、素の身体能力のみで攻撃だ。手抜きではない。これは俺にとっても良い修行なのだ。魔法に頼らない戦闘に慣れることは大事である。

 ……それに自慢ではないが、マリーさんに散々しごかれた俺の戦闘力は、魔法抜きでも相当なものだ。そう簡単に対処できると思ったらそれは大間違いである。


「『穿風せんぷう』!」


 殿下が風属性の初級攻撃魔法『穿風』を放ってくる。発動速度が早く技自体の速度も速いこの技は、威力こそそこまで高くはないが、牽制にはもってこいだ。


「だが当たらなければ意味はない!」


 最小限の動きで身をよじり、攻撃を回避して距離を詰める俺。並の人間が相手ならここで体勢が崩れたところを一気に畳み掛けることができるのだろうが、残念ながら相手は幾度もの死線をくぐった俺だ。この程度の攻撃で調子を崩されることはない。


「まだまだっ。『瀑布ばくふ』!」


 今度は大量の水による水圧で敵を押し流す水属性の中級攻撃魔法だ。ひねりはないが、それだけに対処の難しい技である。……これは流石に魔法抜きではけきるのは難しいな。流石は殿下だ。もう俺に魔法を使わせるとは。


「【衝撃】っと」


 足裏から衝撃波を放ち、数メートルほど跳ぶ俺。大量の水は俺に直撃することなく地面を流れてゆく。


「引っかかったね、エーベルハルト!」

「何?」


 そう言う殿下は、してやったり、という顔で新しい魔法を発動した。


「『雷之樹海』っ!」

「うわっ!」


 地面に広がった水溜まりから、立ち並ぶ樹木のように雷撃が空へと立ち昇ってくる。なるほど、電解質の水を撒いて、そこから雷撃魔法の範囲攻撃へと繋げる連携技だったのか。賢いな。咄嗟に衝撃波を放ってさらに上空へと流れたから良かったものの、これは逃げ場のない、なかなかにえげつないコンボ技だ。


「ッ……これも避けるのかい。ならばこれはどうだ! 『暴風雨ストーム』っ!!」


 空中でも自在に移動する俺相手にはもはやそれしかないと踏んだのだろう。殿下が放ってきたのは水と風属性の複合技である上級魔法『暴風雨』であった。これはA−ランクの魔法で、相当熟達した魔法士でないと行使の難しい技なのだが、殿下はほんの一瞬の溜めだけでこの技を放ってきた。どれだけ練習を繰り返したのかがよくわかろうというものだ。


「『白銀装甲イージス』」


 だが、それをむざむざと食らうような俺ではない。瞬時に俺の持つ最高の防御魔法を発動して、難なくそれを突破する。


王手チェックメイト!」


 厳密には「皇手」とでも呼ぶべきなのだろうが、まあそこは第三皇子だし別に問題ないだろう。日本でも天皇以外の皇族は「王」と呼ばれたりするわけだし。


「……降参だよ。流石は『白銀の彗星』だね」

「殿下こそ、素晴らしい魔法だったよ」


 『魔力刃』を突き付けられた殿下の降参宣言で、朝の模擬戦は終了するのだった。





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