第185話 ユリアーネ先生

「……それで、さっきの魔法式がこう変化するんですね。ここのルーン文字が直前の式と同じ働きをするので、省略できるんです」

「それだと後ろの魔法式にも効果が及んじゃったりしないの?」

「そこで、先生の仰ってた『ルクレティウスの理論』を適用するんです! 魔法式の作用範囲を限定させる打ち消しのルーン文字を一緒に使うことで、ワンフレーズのみに効果を及ぼすことができます」

「はぇえ〜……。ほんの一、二週間しか抜けてなかったのにもうこんなに進んでるのか……」

「二週間のブランクは大きいですよ。学期の最後のほうがほぼ演習授業なのを考えると、この時期は定理や学説を一気に学ぶことになるんですから。逆に、今を乗り切っちゃえばあとはなんとかなります!」

「そうだといいね。今後ともよろしくお願いします……」

「私なんかで良ければ喜んで」


 ユリアーネ先生の現代魔法学概論の授業が終わり、無事なんとか課題レポートを書き上げることに成功した俺は、うーんと背伸びをして凝り固まった背中をパキパキと鳴らす。数時間も部室にこもっていたせいで、足もむくんできているし、どれ、休憩がてら少し散歩でもするかな。


「ちょっと散歩しようよ」

「いいですね! 適度に休憩を入れたほうが能率もアップしますしね」


 先生の許可が下りたので部室の鍵を閉め、二人で部室棟裏の庭園を散歩する。


「お茶にしようか」


 花壇の脇にお上品なテーブルと椅子が置いてあったので、そこに腰掛けてインベントリからカップとお茶っ葉と湯沸かし用の魔道具を取り出す。


「何のお茶ですか?」

「カシミヤ藩王国から取り寄せた茶葉だよ。香りが高くて、味も少し甘めだから疲れた時に丁度いいんだよね」

「カシミヤティーですか! すごく高級な茶葉ですよね? それ」

「んー、まあ、それなりにお値段はするだろうね」


 ぶっちゃけると、日本にいた頃の俺なら一生手の届かないクラスの高級品なのだが、幸いにして現世の実家は大貴族であり、何より冒険者や軍人としてそんじょそこらの富豪では到底太刀打ちできないくらいには個人で稼いでいるので、まったく問題なかったりする。


「そんなの頂いちゃっていいんですか?」

「お礼も兼ねてってことで」


 むしろ稼いでいる分、出し渋らずにじゃんじゃん使って金を市場に還元しないと経済にも良くない。たくさん稼いでたくさん使う。これが貴族なりの経済への貢献の仕方だ。


「じゃあ、ありがたく頂きますね……」


 恐る恐る、といった感じでうやうやしくカップを受け取り、香りを楽しんでから口をつけるユリアーネ。新興の法衣貴族とはいえその辺のマナーはしっかりと教育を受けているらしく、作法に従って上品に味わっている。


「俺も頂きます……」


 うむ。甘い。砂糖なんてこれっぽっちも使っていないのに、お茶っ葉の香ばしさだけで甘みを感じられる。良い茶葉だ。


「……美味しいですっ」

「あ、そう? 良かった」


 幸せそうに紅茶を飲んでいるユリアーネは、先ほどまでの先生然とした佇まいとは一転して年齢よりもむしろ無邪気に見える。あくまで俺の勝手な予想だが、新興貴族ならではのプレッシャーから解放されて、素の自分をさらけ出せている感じがするな。


「いいですねぇ……。私も自分用にこの茶葉が欲しいです」

「お店で買うと(自主規制)エルくらいするけどね」

「ひえっっっっ!!」


 思わずカップを取り落としそうになり、慌てて握り直すユリアーネ。なんだか面白いな。


「しょ、しょ、庶民の月収くらいするじゃないですか!」

「ぶっちゃけそんなに高くなくても、同じくらい美味しいのはいくらでも存在するんだけどね……」


 そこはまあ貴族の見栄というヤツだ。大貴族ともなると、そのくらいの買い物はそれこそ息をするようにできないと話にならない。


「あわわわ……。どうしよう……今、私のお腹の中に(自主規制)エルの液体が……」

「そんなに気にしないでくれ! 茶葉あげるから! はい」

「ええええっ! くくくくくれるんですかぁ!?」

「あげるよ。大量に余ってるから」

「そんな申し訳なさすぎて」

「いいって、いいって」


 半分くらいはユリアーネの反応が可愛くて面白いからやってるところもあるのだが、そこは内緒だ。それにまったく負担でないのも事実だし。誰も損しないのだから問題ない。幸せのおすそ分けである。


「じゃ、じゃあ、頂きます」

「はいどうぞ」


 こうして、穏やかな午前の時間は過ぎてゆく。



     ✳︎



 翌日の昼。部室棟の端にある文芸部の部室で、俺はユリアーネの手を握って上下に振り回していた。


「いやぁ、ありがとう! おかげで課題が全部終わった!」

「いえいえ、お力になれたなら何よりです。……それにあんなに高価な茶葉を頂いちゃった手前、協力しないわけにもいきませんしね」

「うん? 何か言ったかな?」

「いえいえ! 何も!」


 実を言うと聞こえていたが、敢えて聞こえていない振りをした俺は紳士である。まあユリアーネは変に気負うタイプの子ではないし、元から善意で最後まで付き合ってくれるつもりがあったのは知っている。だからこそ、ああやって茶葉をあげたりしたのだが、それを伝えてしまうのは無粋というものだ。


「あっ、そうだ。実は頂いた茶葉を使ってクッキーを焼いてきたんです。よかったらぜひ食べてください」

「へえ! クッキーとな」


 紅茶の茶葉入りクッキーは俺の好きなお菓子の一つだ。あの独特の香ばしさと味わい深さが俺を虜にするのだ。


「うおお……、良い匂い」

「お菓子作りも趣味なんです。昔から、自分で焼いたお菓子を食べながら本を読むのが好きでした」

「良い趣味してるねぇ。……そういや俺の趣味って何だろう。修行?」


 読書も料理も前世時代から好きではあるが、趣味と呼べるほど日常的に嗜んではいない。毎日していることといえば修行になるのだろうが、流石に「趣味は修行です!」とかストイックにすぎる。もちろん【継続は力なり】のおかげで頑張れば頑張るだけ実力も伸びるので楽しいことには楽しいのだが、それとこれとは話が別だ。


「読書はされるんですよね?」

「まあ、文芸部に入ろうと思うくらいにはね。でもユリアーネほどではないよ」

「……なら、書いてみるのはどうですか?」

「書く?」

「はい」


 そこで一旦話を区切って、ユリアーネが鞄からゴソゴソと何かを取り出す。


「紙束?」

「……その、まだ誰にも見せたことがなくてお恥ずかしいんですけど、これ、私が書いたものです」

「ユリアーネ、小説書くの!」

「はい……」


 凄いな。流石は熱心な文芸部員だ。創作サイトなんてものが整備されていないこの世界において、ここまでしっかりと分厚い文量を書いてくるのはとても凄い。本当に文学が好きなんだな、という感じが伝わってくる。


「これ、読んでもいいの?」

「はい。エーベルハルトくんになら見せてもいいかなぁ……と思いまして」

「ありがとう。ぜひ参考にさせてもらうよ」


 小説を書く、か。前世を含めても今までは読むだけで、書くなんて考えたこともなかった。どれ、自分で何かを書くっていうのはどういう感じなのかな。


 勉強を教えるほうと、小説を書くほう。両方の意味の先生であるユリアーネを見ながら、俺はそんなことを思うのだった。






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