第166話 魔法哲学研究会

「やあやあ! 魔法哲学研究会へようこそ!」

「レベッカさん? なぜここに」

「あれ? 言っていなかったかい? ぼくの専攻は魔法自然哲学だよ」

「知らなかった……。ってことはゼミももしかして?」

「うん。魔法自然哲学だね。ただ、学問領域の繋がりもあって魔法陣学の講義も担当しているよ」


 魔法哲学は現代魔法理論という大きな学問領域の中の一分野だが、非魔法領域の学問である自然哲学とも関連しているし、魔法を行使する上で非常に大きな要素を占める魔法陣学や、古代魔法文字学との繋がりも深く、非常に幅広い領域にまで拡がっているなかなかえげつない分野なのだ。

 だから一言で魔法哲学と呼んでも、魔法的な事象全般について解き明かそうとする魔法自然哲学、魔法を行使する人間の精神や身体について探求する魔法形而上学、魔法が社会に与える影響について議論する魔法政治哲学など、その方向性や内容は実に多岐にわたる。

 それだけの学問を修め、さらに研究しようというのだからレベッカさんは相当なインテリなのだろう。まあ、そもそも魔法学院で教鞭を執っている時点でインテリなのは当たり前ではあるのだが、それでもヴェルナーみたいに学問が肌に合わないタイプの魔法士もいるからな。レベッカさんは文武両道の優秀な魔法士だということだ。


「研究者だね」

「まあね〜。ぼくは親が学者だったからね。小さい頃からこういう道に進むのが普通だったんだよ」


 学者かぁ。学者は珍しいな。学者は医者や軍人のように、出身身分にかかわらず尊敬される職業の一つである。

 ハイラント皇国は身分制社会ではあるものの、軍人や文官、学者など、一定水準の技能や知識を必要とする職業のかなり大部分で身分制が事実上撤廃されている、先進的な文明国家でもあるのだ。

 例えば領主や代官、神官のように血筋がモノを言う社会では身分制は強固だ。しかし、その他の職業では血筋よりもまず実力で評価される。「実力こそ全て」な社会では、身分なんてものは二の次であったりする。学者も、当たり前だが馬鹿では務まらないので、平民出身者もそこそこいたりするのだ。

 もっとも、実家が太い方がより充実した教育を受けられるという現実もあるので、やはり割合で言うと上流階級出身の人間の方が多かったりするのだが、そこはまあ日本でも同じことだ。


「レベッカさんは魔導師を目指すんでしょう? 論文もたくさん書かないといけないだろうし、部活の顧問なんてやってる暇あるの?」

「うーん、確かに論文とかは大変だけど、ここの学院は講師待遇でも俸給を結構たくさんくれるからね。ぶっちゃけ、教授になれずにある程度好き勝手やってても生活にはだいぶ余裕があるんだ」

「本当にぶっちゃけたなぁ、この人」


 教授の椅子を狙って劣悪な環境に甘んじている日本の研究者ポスドク達が聞いたら泣いて悔しがりそうな発言だな。まったく、流石は魔法学院と言えばよいのか、金掛けてんなぁという感想しか浮かんでこない。まあそれ自体は良いことなので批判する気はこれっぽっちも無いのだが。


「ともかく、今年の新入部員は君だけかな」

「他の人は?」

「そろそろ帰ってくるんじゃないかな? ……あ、帰ってきたね」


 噂をすれば何とやら。レベッカさんがそう言った次の瞬間、ガチャリと部室の扉が開いてぞろぞろと他の部員達が入ってきた。


「あら、新入生ですか?」

「へえ。珍しいじゃんか」

「これで我が部も安泰だね」


 入ってきたのはいずれも上級生。制服の襟の色が若紫わかむらさき色・群青ぐんじょう色・翡翠ひすい色だから、それぞれ四年・二年・三年生だろう。ちなみに一年生の俺は臙脂えんじ色だ。


「一年のエーベルハルト・カールハインツ・フォン・フレンスブルク・ファーレンハイトです」

「長えな。ハルだな」


 群青色だから……二年か。イリスと違って真っ直ぐな髪質で黒髪ショートボブの女の先輩が、ぶっきらぼうにそう言う。


「ちょっと、この子貴族だよ。しかもあのファーレンハイト家だ」

「あー? ここじゃ身分とかあんま関係ないだろ」


 真面目で大人しそうな三年生の男の先輩がたしなめている。


「別にいいですよ。生まれ育ちで偉そうにするのは違いますから」

「ではお言葉に甘えて……ごめんよ、ファーレンハイト君」

「いえ。皆さんのお名前を伺っても?」

「僕はカミル・バルツァー。魔法研究科の三年生だよ」

「ヒルデガルト・アンガーミュラー。二年だよ」

「イザベラ・フォン・クラネルトです。ここの部長よ。よろしくお願いしますね」


 部長のイザベラ先輩は、何というかふわふわしていて包容力がありそうな人だな。おっとりしてるというか、どことなく母ちゃんみたいな天然っぽい雰囲気を感じる。でもこうして哲学みたいなことを部活にしているくらいだから、やっぱりどこか変な人なのだろう。


「これで全員だね。いやあ、ぼくが立ち上げた部活も随分と大所帯になったものだね!」

「この部活、レベッカさんが作ったの!?」

「そうだよ。なかなかいい部活だろう!」

「初めは私とレベッカ先輩とカミル君の三人だったんですよ」

「んで、アタシが去年入ったって感じかな」

「元々の顧問の先生はお爺ちゃんだったから、今年で辞めちゃたんです。そこにレベッカ先輩が顧問として入ったの。だからメンバーは実質変わっていないんですよ」

「それはなかなか……数奇な運命というか、面白いですね」

「だろ? ……さて、そんな部を選んでくれたのも運命だ。今夜は歓迎パーティと洒落込もうぜ」


 ヒルデガルト先輩が肩を組んで誘ってくる。小柄に見えた彼女だが、どうやらお胸はなかなかご立派なものをお持ちのようだ。二の腕に当たる幸せな感触が実に素晴らしい。あといい匂いがする。ガサツそうに見えて、ヒルデガルト先輩もちゃんと女の子らしい。うーん、俺の歓迎祝いということだし、これは断れないなぁ!


「いいんですか? 部室って夜は施錠されるって聞いてますけど」

「顧問がいる時は例外なんだよ」

「これだから部員上がりは!!」

「細かいことは置いて、今夜はしこたま飲もうね! 大丈夫、あなたはもう立派な大人だよ!」


 ものすごく嬉しそうな顔で、どこからともなくワインやらエールやらの瓶を取り出してくるレベッカさん。

 確かにこの国には未成年の飲酒を禁止する法律など無いし、社院の祭祀などで子供が酒を飲むことが無いわけでもない。それに目安として、15歳を過ぎれば一般に飲酒が認められているのだ。だからレベッカさんがお酒を勧めてくるのも、少なくとも違法ではない。もっとも、俺はまだ15歳ではない訳だが!!

 だから、いつぞやの皇国騎士に任命された時のパーティもあまり胸を張って言えるものではなかったりするのだ。罰せられることは無いとはいえ、社会通念上許されることと許されないことがある。


 ふと正面を見ると、イザベラ先輩もまた度数の高そうな蒸留酒の瓶を抱きかかえてニコニコとしていた。何てことだ…………、あなたはそちら側ではないと思っていたのに…………。

 唯一、カミル先輩だけが「あちゃー」と言わんばかりに手で額を覆っていた。困ったことに常識人は彼だけのようだ。


 大学デビューではないが、朝まで酒に溺れるような爛れた学生生活ってやつは、どうやらこの世界にもあるらしかった。

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