第155話 学科試験

「それでは試験を開始して下さい」


 試験官の合図で大講義室内の全員が一斉にペンを持ち、解答を開始する。静かな空間にペンが机を叩く音だけが響く試験会場特有の空気感を久々に感じて、俺はふと前世の模試や高校入試の記憶を思い出していた。

 中学三年生の冬の日。第一志望の公立高校で受けた試験の空気もこんな感じだった。学ランやセーラー服に身を包んだ若者が、ひたすら無言で問題を解いていく。捉えようによっては異常な光景だが、あれは形を変えた生存競争だった。ただ、競争の場が自然界から教室内に変わっただけだ。

 そして俺はその生存競争に敗北した。


 それから約三年後、大学受験を目前にした冬の頭に俺は生存競争に文字通り敗北し、命を失って転生した結果、何の因果か今ここにいる。


「(……今度は負けない)」


 今俺が持てる全力を、この答案用紙にぶつける。ただそれだけだ。俺には努力し続けた18年ぜんせ14年こんせいがあるのだから。



     ✳︎



「解答をやめて下さい。筆記用具を置いて、試験官が回収に向かうまでその場で待機していて下さい」


 教養科目の筆記が終了した。当たり前だがやっぱり難しかった。ただ、全くわからなくて答えられなかった問題がほとんど無かったのは良かったな。姉貴に頼み込んで勉強を教えてもらった甲斐があったというものだ。


「あー終わった」

「死んだわ」

「オレめっちゃできた気がする!」

「うちヤバいかも……」


 答案の回収が終わり、大講義室内がざわめきで満たされる。ある者は嘆き、ある者は喜び、ある者は絶望し、ある者は開き直っているようだった。我が愛しの婚約者リリーはというと、問題用紙片手にこちらに歩いてくるのが見えた。可愛い。


「リリー、できた?」

「まあ何とかね。けど哲学が難しかったわ。何よあれ、『現代魔法実在論の立場からの古都学派観念論への反駁はんばく証明問題』? そんなのわかる訳ないじゃない」

「あれは捨て問だろ……。俺も知ってることを四百字くらいにまとめて書くには書いたけど、まともにやろうと思ったら軽く論文一本は書ける内容でしょ。まあ学院の入試問題レベルでないことは確かだよな。……それよりも幾何学がヤバかったよ。あそこの証明問題ってどうやって解いた?」

「あれはニコストラトスの定理を使えばよかったのよ」

「何それ」

「ハル君……、あなたお姉さんに何を学んできたの?」

「幾何学は苦手なんだよォ! いいんだよ、哲学と史学はできたから……」

「そんなこと言ったら私だって算術と幾何学はできたわ」


 どうやらリリーは理数系みたいだな。リケジョだ、リケジョ。俺は文系。


「次は魔法だから少し気が楽かな」

「まあお師匠さまのところで座学まで叩き込まれたものね」

「かなーり辛かったけど、今となってはあの経験がめちゃくちゃ役に立ってるのを実感するよね……」


 「理屈も理解せんで、魔法が使える訳がないのじゃ」とは、俺達に魔法理論を教授する時に口癖のように決まって口にしていたマリーさんの台詞セリフだった。

 魔法とは何も魔力操作テクニック感覚センスのみに頼るものにあらず。魔法の構成情報が記述された魔法式を読み取り、その発動の原理を完全に理解した上で使わなければならないものだ。でなければ威力も効率もイマイチの中途半端な魔法とも呼べないエネルギー塊を放出してお終いである。

 だからこそ、マリーさんは俺達に各々が使う魔法の魔法式も含めた、魔法理論全般の指導に力を注いでくれていたのだ。おかげで魔の森修行プロジェクトの出身者は、得意不得意の差はあれども皆一様に一定水準以上の魔法的知識は備えているのだった。


魔の森あそこで勉強した奴なら、まず合格ラインは超えること間違いなしだ」

「ヴェルナー君とかは?」

「あいつ、ああ見えてギリギリのところは押さえてくるから……。受かるんじゃないかな、多分、きっと、おそらく……」

「不安そうね〜……。エミリアなんか絶対に無理そうだけど」

「ああ、シュナイダー兄妹は別だろ。あいつら厳密には魔法士じゃなくて魔剣士だしなぁ」


 ヨハンにエミリアは、お勉強がやや苦手なようで、以前俺達が魔法の理論について話し合っていたら、兄妹揃って横で目をかっ開いたままイビキをかいていやがったのだ。彼らに四大学院の狭き門をくぐり抜けろと言うのは少々酷であろう。

 それに、あいつらは別にそれでいいのだ。彼らの得意分野は魔剣術であって、魔法理論のお勉強ではない。そういう小難しいのは俺達魔法士が頑張ればいい。


「休み時間もそんなに長くないし、ちょっときじ撃ちに行ってくるわ」

「あ、私もお花を摘みに……」

「連れ◯ョンだね」

「馬鹿! デリカシーって言葉を知らないの!?」


 その日の魔法学院の受験会場には、頬に紅葉もみじ模様をつけた男が出没したとかしないとか……。



     ✳︎



「やめ。ペンを置いて、これ以降は答案用紙には何も書かないで下さい」


 二科目めの学科、魔法教養の試験が終了した。今度は教養科目よりかはよくできたような気がする。こちらは教養科目と違って全くわからない問題が一問も無かったので、今から結果が楽しみだ。


「リリー、お疲れ」


 今度は俺の方からリリーの方に向かうと、彼女は落ち着いたテンションで淡々と荷物を整理していた。


「ま、こんなものよね」

「勝者の発言だなぁ……」

「ハル君も同じくらいは解けてるだろうし、どっちも似たようなものだと思うわよ」

「ま、落ちる心配をしていないあたり、それもそうだな」


 あくまでも俺達の目標はであって、ではない。そちらは既に目標などではなく確定した未来、既定路線の扱いなのだ。世の受験生が聞いたら泣き叫びながら刺しに来かねないような危うい態度だが、これぞまさしく努力の賜物である。誰にも俺を刺す権利など無いのだ!


「午後は実技ね。メイルも誘って皆でお昼にしましょうか」

「そうだね。あいつは確か一つ上の階だったな」


 噂をすれば影がさすというが、メイのことを話しながら大講義室を出ると、すぐにばったりとメイに出くわした。


「よう。できた?」


 魔法科も魔法研究科も試験問題自体は同じなので、そんな風に訊ねる俺。しかしどうやらメイにこの質問をぶつけるのは間違いだったようだ。


「あんな初歩的な問題、できて当たり前でありますよ〜」

「「ぐっ」」


 ナチュラルに敵を作りかねない、危ういメイの発言にグサグサと胸をえぐられる俺達。チクショウ、自分は立派な胸部装甲おっぱいを持っているからって調子に乗りやがって! うちに帰ったら足腰立たなくなるまで揉みしだいてやる。


 ……だが、午後は俺の得意な実技試験だ。魔力量・魔力操作ともにかなり自信があるし、得意魔法の試験では、無属性魔法を使えば属性魔法が使えないという欠点もマイナス要因にはならない。目指せ満点だ。


「それよりも私は戦闘試験が危ういですね。試験開始早々、何もできずに敗退する未来がありありと浮かぶであります」


 まあ、メイは工学魔法の才能と脳ミソのスペックに全ステータスを極振りしてるからなぁ。ぶっちゃけ、彼女の運動神経は壊滅的だ。加えてドワーフ族特有の低身長の制約があるので、近距離戦においてはリーチの差があるのも大きい。土属性魔法に適性があるとはいえ、実際に戦闘で活躍できるかといえば怪しいだろう。

 ただ、自身の発明品である乗り物や銃火器を扱う時だけは運動神経にかかわらずちゃんと一人前に操るので、試験中にその辺の素材から武器を錬成できればメイが戦闘試験で高得点を取れる可能性は高い。運動神経が良くないのに自分の発明品はまともに使えるのだから、本当に根っからの発明家なのだろう。


「食堂……は混んでるわね」

「中庭の空いてるスペースでも探そうか」

「そうですね」


 幸い、インベントリの中には大量のできたてホカホカの食事達が眠っている。本当なら食堂で食べようと思っていたが、別に試験に落ちるつもりもないし、入学してからまた食べに行けばいいだろう。


「日が当たってて暖かそうだし、あそこがいいな」

「風が少なくて助かったわ〜」

「逆位相の風をぶつけることで擬似的な無風状態を生み出す装置なんてものも開発しましたけど、使うでありますか? 普通に結界を張った方が早いとは思いますが」

「んー、まあこのくらいなら大丈夫だろ。寒くなったら結界張ればいいよ」

「では早速いただきましょう! 私、もう空腹で倒れそうであります!」

「そりゃ13時間も寝た上に朝食抜いてきたら腹減るよね!」

「なはは〜」

「メイル……あなたそれでよく試験に集中できたわね」


 人の少ない中庭にゴザを敷いて食事を並べる。冬にしては暖かい陽光を浴びながら、俺達は束の間の休息を楽しむのだった。







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