第152話 諸行無常
Side:Graf von Blanche
私はブランシュ伯爵。歴史ある皇国の中でも、特に優れた血筋を引く由緒正しい伯爵家の当主である。
私は、そこらにいるような肥え太った有象無象の貴族ではない。私は元宮廷魔法師団出身の、エリート魔法士なのだ。文武両道を極め、血筋にも恵まれ、加えて聡明な私はまさに選ばれし存在なのだろう。そんな私のことを、自らを取り繕い、互いを騙し合うことしか能のない冷や飯食らいの宮廷貴族どもが忌み嫌うのは当然の流れであった。
「クリストフよ。お前に国家主導の強化プロジェクトへの参加要請が来ている。我がブランシュ伯爵家の影響力増大のためにも、これに参加してお前の力を示し、他家を牽制するのだ」
「父上。お言葉ながら私は魔法学院の推薦を既に得ております。力を示すのであれば学院に入学してからでも遅くはない。何故わざわざそのようなことをする必要が?」
「このプロジェクトには、かの目障りなファーレンハイト卿の長男が参加するそうだ。……調子に乗った『北将』家を牽制するにはちょうど良い機会でもある。カールハインツめの長男を萎縮させ、あわよくば将来の敵を潰してこい」
「ファーレンハイト家……。我らが伯爵家因縁の相手ですか」
「そうだ」
本来であれば、私が宮廷魔法師団の団長となる筈であったのだ。しかし皇国軍幹部の人事を決定する中将会議において、ファーレンハイト卿が私の師団長就任に懸念を示したことでその話は流れたと聞く。
私のような優れた頭脳を持ち、魔法の才覚にも恵まれた、過去の英雄達にすら匹敵するような逸材を蹴落とそうとするなど、ファーレンハイト卿の頭はどうかしている。
『北将』家を興した初代は、建国神話の勇者様とも並び称されるほどの英傑であったと聞くが、そんなかつての面影は鳴りを潜めて久しい。偉大なる先祖の栄光に
「
「……そういう事情であれば納得もできます。参加しましょう」
そう返してくる
「せいぜい修行に励むことだな。お前にはまだまだ学ぶべきことが沢山ある」
「……はい」
息子とて、将来が掛かっているのだ。たかが一年程度、多少の不満はあっても自分の役目くらいは果たしてみせるだろう。
✳︎
……などと楽観的に考えていた一年前の自分を締め上げてやりたい衝動に駆られながら、私は固めた拳を壁に叩きつけ、激しく憤っていた。
「クソ! 何が『自由』だ!! あのどら息子、我が伯爵家の顔に泥を塗りおって!!」
壁に投げつけられたグラスが割れ、ワインがそこら中に撒き散らされる。幾度となく壁を殴った拳の皮膚は破れ、赤い血が高級な絨毯に滴り落ちていた。
「……ッ!!」
違う違う違う! 私は選ばれし存在なのだ! 家柄もさることながら、自分自信の才覚にも恵まれた完璧な人間である筈なのだ。このようなところで失脚して良い人間ではない! いずれは皇国中枢に食い込み、この世を我が世とするべきであったのに!
「ええい、あんな奴など勘当だ! やるべきことすら放棄するような無能は我が家には相応しくない!」
貴族当主の権限は強大だ。たとえ嫡男であったとして、その地位を剥奪して放り出すことなど朝飯前である。
「だ、旦那様、落ち着いて下さいませ」
「うるさい黙れ! 貴様は伯爵家当主であるこの私に意見するというのか!? いつから貴様はそこまで偉くなった! これを機に伯爵家を乗っ取る算段でも立てているのか? そうか、そうなんだな。……貴様は首だ。見せしめに処刑してやろう! 馬鹿なことを考えた己を恥じて悔いながら死ね!」
「だ、旦那様! わたくしめはそのようなことは、旦那様!」
家宰のシュルツが世迷言を抜かしている。こいつは長年我が伯爵家に仕えてきたこともあって重用していたのだが、残念だ。こいつも私を裏切った。
「捕らえよ」
「はっ、し、しかし」
「貴様も私に刃向かうのか?」
「し、失礼しました!」
私の声を聞いて駆けつけてきた私兵が数名、狼狽えるが、私がひと睨みすると黙って姿勢を正す。
「旦那様! いま一度ご再考を! ……ええい、旦那様は錯乱なさっている! 旦那様をお止めして差し上げろ! でなくては本当に伯爵家が……っ」
「今さら忠臣ぶるでない!! 早くこやつを牢に連れて行け!!」
「「はっ」」
「離せ、お前達もわかるだろう、まて、離せーっ!」
醜い声を上げながら連行されるかつての家臣を尻目に、私は執務室の机の引き出しから紙とペンを取り出して一息つく。
「……さて、まずは陛下に上奏しなければ。今回の失態のツケは大きいぞ……」
ひとまずは息子を勘当したと、陛下にお伝えせねばなるまい。辛うじて生きてはいるようだが、このような失態をしでかした奴など既に息子ではない。そんな奴がどうなろうと、私の知ったことではないのだ。
幸いにしてまだ控えはいる。貴族は跡継ぎを残すことが何よりも大切なのだ。
✳︎
「……陛下、何故です! 私はそのような不届き者など寡聞にして存じ上げませぬ! 確かにかつては我が伯爵家の一員だったやもしれませぬが、陛下に仇なした人間など庇う気概すら湧きませぬ!」
捕らえられ、牢に繋がれたら元息子を前にして、私は憲兵に取り押さえられたまま陛下に陳情していた。陛下はまるで私をこやつと同族であるかのような目で見ておられるが、私がその目で見られる理由など無いだろう!
いくら陛下とて、誤った理解のまま判断を下すことは許されまい。畏れ多くも勘違いしておられる陛下の間違いを正すべく、私は声を張り上げる。どのような逆境であったとしても、正しくさえあれば必ず理解されうると信じて。
しかし私を見下ろす陛下は深い溜息をつくと、こちらを顧みる素振りも見せずに踵を返して呟かれた。
「……やれやれ、また仕事が一つ増えたの」
「改易ともなれば、近しい派閥の者からの反発も必至。心中お察しいたします」
「では余と代わってくれるか?」
「儂のような小物では陛下の足元にも及びませぬ。代わろうなどと大それた夢は欠片も抱いておりませぬよ」
「相変わらず口が巧い奴よの。……それにしてもまたエーベルハルトの仕事か。あやつを取り立てておいて正解だったの」
「陛下のご慧眼には畏れ入るばかりでございますれば」
駄目だ。聞いてすらおられない。何故だ。陛下もまた、正しさを理解しない愚かなお方であったというのか……。
✳︎
数日経ち、家族と家を失った私は一体の亡骸と僅かばかりの食糧とともに、代わり映えのない田舎道の中を馬車に揺られていた。手足には
重罪人のような扱いを受けながら、私は空虚な気持ちでただ茫然と窓の外の景色を眺めていた。
私の必死の弁明も虚しく、陛下および議会の下した結論は非情であった。長き歴史を誇った我がブランシュ伯爵家は取り潰し。クリストフは処刑され、私は全ての財産と身分を取り上げられた上で辺境の地へと流されることになった。
私以外の家族は罰則こそ無いにしろ、平民に落ちたという。これまで碌に努力してこなかった奴らだ。さぞ働き口にも困り、路頭に迷うことであろう。
しばらくそうして揺られていただろうか。長閑な麦畑を抜けて山中に差しかかろうとした時、馬車は動きを止め、俄かに外が騒がしくなる。
「おい、御者よ。どうしたのだ」
「どうもこうもあるか! 山賊だよ! ったく落ちぶれたとはいえ貴族なんぞの御者なんて引き受けるんじゃなかったぜ! ……どうせ罪人なんだ。俺はトンズラさせてもらうぜ!」
「おい、待て! 私を逃がさぬか!」
「ンなことしたら俺が叛逆罪で捕まっちまうよ! 俺は権力には逆らいたくねえんでな! 悪く思うなよ!」
そう言って御者は私を置いてどこかへと去って行ってしまった。鍵も持たず、加えて手足に枷をかけられた私が内側から鍵を開けることは不可能に近い。魔力を乱す魔法を掛けられているため、魔法で抗戦することも難しい。
……私の人生もここまでか。
手枷で固定されつつも、僅かに自由の利く片手を隣に安置されている棺に添え、私は呟く。
「……私はどこで間違えたのであろうな」
正しければ最後には必ず勝つと思っていたが、それは誤りであったようだ。権謀術数の渦巻く世の中を生き残るには、清濁併せ持つ強かさが必要であるらしい。私は、それを知るのが少々遅すぎたようだ。
「……クリストフよ。もし全てが順風満帆であれば、私も素直にお前を愛せていたのだろうか?」
今となっては何もかもが遅い。
強奪しようと襲ってみれば、ただの囚人移送の馬車であったことへの腹いせだろうか。罵詈雑言を喚き散らしながら馬車を破壊する盗賊達。火矢が放たれ、少しずつ木組みの馬車が燃えてゆく。
服が焦げ、煙と煤で目が開けられなくなってくる。呼吸も苦しくなってきた。
まことにつまらぬ人生であった。もし次の人生があれば、全てが順風満帆に行くような、幸せな運命の下とやらに生まれたいものだ。
掠れゆく視界の中、朦朧とした意識でそのようなことを考える。もうほとんど何も見えてない。
そうして人生を振り返り、後悔と無常観に絶望しながら、私は意識を手離すのであった。
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[後書き]
たいへんお待たせいたしました! これにて修行編は終了になります。ややダレてしまった節もありましたが、やりたいことはやれたのでまあ良しとします。
次章は遂に「学院編」に入ります! やってほしい展開などあればコメント下さいね!(採用するとは限りませんが、参考程度にはしたいと思いますので……)
それでは次章以降もよろしくお願いします!
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