第122話 演習開始

「それで、今回与える課題じゃが……ジャバウォックの討伐をお主らに課す!」

「ジャバウォック?」


 あまり聞かない名前の魔物だ。一体どんな魔物なのだろうか。


「ジャバウォックはの……魔物の成れの果ての姿なのじゃ」

「成れの果て?」

「うむ。魔物とは本来、魔物の親から生まれた生まれながらの魔物と、普通の動物が変質して魔物に変化する魔物の二種類がいる。じゃがジャバウォックはこのどちらでもない。いや、どちらでもあると言うべきかの」


 いまいち要領を得ないな。話す内容が抽象的というか……なんだか年寄りくさい。


「おい、エーベルハルト。お主、今何かとてつもなく失礼なことを考えはせんかったか?」

「いいいいいいや何も」


 何故かは知らないが、マリーさんってやたらと勘が鋭いんだよなぁ。マリーさんくらい強くなってくると普段から色々なことに気を配っているのかもしれない。プロは素人が気が付かないところにも気が付くというし、マリーさんの人間観察力も伊達ではないのだろう。


「ごほん、まあ話を戻すかの。……魔物も一応生物ではある以上、一個体が突然変異することは滅多にない。が、稀に極一部の個体が更なる変質を遂げることによって上位個体へと進化することがあるのじゃ」

「上位種ですね」

「うむ」


 リリーが確認するようにそう言って、マリーさんも頷く。そしてそのまま話を続けた。


「ところが、その進化の方向性は必ずしもプラスの方向へ向かうとは限らないのじゃ。生物の進化と同様、むしろ退化と表現した方が相応しい状態に変質することもあるのじゃな」


 その後もジャバウォックについて色々と教えてくれるマリーさん。俺達は真剣にその話を聞く。


 そこからのマリーさんの話を俺なりにまとめると。


 生物がいわゆる「進化」をするのは、様々な方向に少しづつ変化した生き物達の中で、たまたまその環境に適した個体が生き残るという自然淘汰が行われるからだ。その生き物達の中には、当然周囲の環境に適応できない個体も一定数生まれてきてしまう。そしてその進化のスピードは、濃密な魔力が関係しているのかは不明だが、一般に普通の動物よりも魔物の方が圧倒的に早いのだ。

 ジャバウォックとは、そのような退してしまった魔物の総称である。何か特定の種族を指す訳ではないらしい。そしてそんなジャバウォックの姿形は当然、元となった魔物の種類によってまちまちだ。また強さも個体によってかなりバラバラで、常に瀕死の病弱個体もいればひたすらに頑強な個体もいるそうだ。そして、それらは総じて寿

 だが、ジャバウォック達はその短い寿命を燃やし尽くすような激しい気性と高い攻撃性を有しているため、何かしらの自分以外の生物を見かけたら見境なく攻撃する習性があるそうだ。

 絶対に食べきれない量の獲物を快楽目的に虐殺したり、意味もなくいたぶって致命傷を負わすなど、猟奇的で残忍な性格である傾向が見られるらしい。それは生態系にとっても、周辺に生きる人間にとっても有害なため、出くわしたら可能な限り討伐することが推奨されているそうだ。そのための討伐依頼も冒険者ギルドを通して国から常時出されているのだとか。


 それを聞いて、俺は少し悲しくなってしまった。ジャバウォックとは何と悲しい生き物なのだろうか。彼らは自分が長く生きられないことを本能的に悟っているのだろう。それで今を必死に生きるために、生きていることを実感するために、敢えて残忍な行為に走るのかもしれない。

 他者の命をもてあそぶことでしか自らを肯定できないなんて、可哀想な話だ。だがそれでも周囲に害を及ぼすなら、こちらは実力を以て排除するしかない。そこは国を守る軍人として、魔物を狩る冒険者として、そして何より人間として譲れない一線だ。


「姿形が様々なのだとしたら、どうやって見分ければよいのですか?」


 首を傾げたクラウディアさんが訊ねる。彼女はお淑やかで上品だが、芯の通った強い心を持っているようだ。相手に共感する優しさを持ちつつも、何かを守るために戦う覚悟のようなものを感じる。


「なに、心配せんでも見れば一発でわかる。ジャバウォックはの……生物としてのルールに反したような、おそろしく醜い姿をしておるのじゃ。明らかに普通ではない」

「醜い姿……」


 無理矢理に科学者によって合成されたキメラとか、そういう感じなのだろうか。彼らとて好きでそのような異形に生まれた訳ではないだろうに、可哀想な話だ。


「仕方の無い話なのじゃ。奴らは見境なく生き物を襲う。食べるためでもなく、己を守るためでもない。奴らはそのようにできておる。そうすることでしか生きられないのじゃ」


 しんみりとした空気が周囲に漂う。だがこれは魔物全般に言えることだった。ジャバウォックほどではないにせよ、負の魔力によって己の意志を歪められた魔物はそのほとんどが苛烈なまでの攻撃性を有する。

 魔人もそうだ。科学的根拠は無いが、おそらくは魔人もまた、禍々しい負の魔力によって歪められてしまった人間の成れの果ての姿なのだから。


「……ふん、くだらん。そのような話をして、結局何が言いたい。魔物に対する同情や憐憫でも誘おうと言うのか? 奴らに自らの意志は無い。なら気にせず殺せばいいだけだ」

「おい、クリストフ!」


 吐き棄てるようにのたまうクリストフを、同じ班のチームメイトであるヴェルナーが諌める。だがクリストフは聞く耳を持たない。


「そうやって魔物に対して同情するようなことを言って、いざという時に魔物を殺す決意が弱ったらどうするんだ。相手を理解しようなどと思うのが間違いなんだよ。下手に同情したりするよりも、敵意を煽った方が結果的にこちらが生き残る可能性は高い」


 その台詞に対し、皆は思わず黙ってしまう。確かにクリストフの言う通りなのだ。ある程度対話の可能な相手であれば、相手の立場に立って理解を示すことも必要だ。しかし相手は理性なき魔物。対話など不可能だ。ならば初めから理解などしようとせず、人間や動物を殺す敵であるとして敵意を煽った方がいざという時に殺すことを躊躇う可能性は低い。


「……クリストフの言うことも、ある意味では正しい。心が弱い人間であれば、そうすべきこともあるじゃろうな」

「なら何故」

「じゃが、ここにおるのはか?」

「っ……」


 マリーさんは厳しい目で言う。


「ここにおるのは、将来的に国を背負ってゆくだけの強さを持った者達であろう。なら、相手のことを理解しつつ、自分の頭でしっかりと考え、そして自分の意志で仲間を守るために戦うことを選択できるじゃろう。できなければならぬじゃろう。…………ただ一方的に相手を敵と決めつけて殺しにかかるようでは、もはや魔物と変わらんぞ」


 俺は何故マリーさんが「皇国最強」と呼ばれるのか、その理由がわかった気がした。ただ物理的に強いだけではない。精神的な強さも併せ持っているからこその「皇国最強」なのだ。皆に慕われ、頼りにされ、背中を任せたいと思えるような人間だからこそ、マリーさんは「最強」の名を冠することを許されている。強いだけの悪なら、それは「最悪」と何も変わらないのだ。


「クリストフよ。お主は確かに強い。そこのエーベルハルトには敵わぬかもしれんが、才能ならお主の方が上じゃ。……じゃが、そのままじゃと一生エーベルハルトには敵わんぞ。変わるなら今じゃ。ここで変わらねば、お主に未来は無いぞ」

「…………」


 クリストフは無表情になる。内心で何を考えているのかはわからない。もしかしたら改心しようと葛藤しているのかもしれないし、憎悪を募らせているのかもしれない。そればっかりは観察眼の優れたマリーさんにも読み取れていないようだった。


「まあ、今はまだ二人とも十二の若造じゃ。エーベルハルトとて、これから悪に染まる可能性もゼロではないしの。もしこやつが悪に染まりおったら、妾でも止められるか少々怪しいの……」

「ちょっとマリーさんさぁ。今せっかくいい感じに威厳漂わせてたのにさぁ、流石にそれは無いんじゃないの? 俺が悪に染まるなんて……あり得ないよね?」


 やれやれ、といった調子で肩をすくめてリリー達の方を振り返ると、リリーとイリスはジト目で俺の方を見ていた。


「ええー……。なんでそんな目で見るのさ……」

「わからないわよ。ハル君、すぐ女の子と仲良くなるしね。歴史に残る女たらしにならないとも限らないわ」

「そう。いつかマリーさんにも手を出しかねない」

「いやいや! 畏れ多いって! それにマリーさんは偉大なるお師匠様だよ! 流石に今はまだ俺じゃ口説こうにも敵わないって」

「イリス、聞いた? ですって」

「未来の可能性を否定しないハルト。これは油断ならない」

「……妾の守りは堅いぞ。伊達に二百年間守り通しておらぬ」


 うおー……。マリーさん、二百年モノの処◯だったのか……。まあマリーさんなら納得かも……。


「……エーベルハルト?」

「すみませんでした」


 どうやら失礼なことを考えていたのが丸わかりだったようだ。いやぁー、怖い怖い!



 とにかく、こうして俺達はジャバウォック討伐という演習題目をマリーさんより賜ったのだった。無事に終わるといいが、果たして結果はどうなることやら。

 若干不穏な空気を漂わせつつ、俺達の初めての演習はスタートしたのだった。ちなみに世間ではこれをフラグと言う!

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