第120話 マリーさんの悩み事 

「く、クリストフは大丈夫なのかよ?」


 ギャラリーの一人——確かヴェルナー君だ——がぼそりと呟く。かなりの大威力を食らっていたから、万が一の可能性もあるかもしれない、という心配だろう。

 だが一応、致命傷には至らないよう最後に調節したので、死んではいない筈だ。流石の俺も喧嘩を売られたくらいで殺人を犯したりはしない。訓練中の死亡もあり得るとはいえ、そう簡単に死なれては修行を任されたマリーさんの責任問題にも発展しかねないからな。それに相手は腐っても貴族、それも伯爵家とそれなりに大物の貴族だ。家格では辺境伯や公爵には敵わないものの、名誉伯爵のマリーさんとなら同格だし、皇帝陛下としても余計な諍いの仲裁などしたくもないだろう。

 要するにここで殺してしまうのはデメリットばかりが大きくて、メリットなどちょっとばかしスッキリするだけなのだ。「殺す!」と叫んだのはまあノリである。本心から殺したいと思っていた訳ではない。……というか、あんな多少馬鹿にされたくらいで殺人衝動に襲われるとか、連続殺人鬼シリアルキラーもびっくりの沸点の低さである。液体窒素か何かかな?


「————右腕が骨折してるけど、それ以外は特に問題ないみたいだね」


 むしろあれだけの攻撃を受けて右腕骨折だけで済んでいるのだから、やはり才能の塊なのだろう。それこそ、かつて戦った『風斬かざきり』のフェリックスとも良い勝負をするのではなかろうか。まあ、もっともそのフェリックス本人は既に泉下の人となっている訳であるが。


「ま、治癒魔法は使ってやらないけどな」


 そのくらいのお灸は必要だろう。変な折れ方をしている訳でもなし。ここで情けをかけてやる必要もあるまい。


「しっかし……凄かったなぁー」


 ヴェルナー君がそんなことを言っている。


「とてもぼく達と同い年とは思えないよね」


 ヴェルナー君と同じく父親が宮廷魔法師団の団員のハンス君が相槌を打っている。他の皆の反応もまた三者三様だ。軽そうなオスカー君は「ひゅう」と映画でよく見るあの口笛を吹いているし、真面目そうなギルベルト君は感心したような表情で俺を見ている。「一番」宣言をしたエレオノーラさんなんかは、まるで俺をライバル認定したかのような挑戦的な目で「ギギギ……」と音がしそうなくらいに俺を睨んでいる。なんだかちょっと怖い。


「さて、お主らよ。これが皇国騎士『彗星』の戦いじゃ。お主らの中からも将来的に騎士に叙せられる者が出てこよう。自分の目指す姿がどんなものか、しっかりと目に焼き付けておくんじゃの」


 マリーさんがそう告げると、皆が大きくざわめいた。


「皇国騎士だって!?」

「『彗星』って……、親父から聞いたぞ! 史上最年少で騎士に叙せられたっていうスゲエ奴だろ!」

「はわぁ……。そ、そんなに凄い人がこの中にいたなんて……」

「どうしよう……。おれ、この中でやっていける自信無いんだけど……」

「安心してくれ。俺もだ」


 どうやら俺の本気のインパクトはクリストフ以外にも及んでいたようだ。


「ほれ、取り敢えず余興はこれまでじゃ! 各自の具体的な目標と修行の方針を固めていくから、一人ずつ妾の元まで来るのじゃ。まずはギルベルトからじゃの」

押忍オス!」


 マリーさんの号令で皆が切り替え、各自の自主練に入っていく。俺もまた本日の課題である無属性魔法の修行に取り掛かることにする。


 …………あと、誰でもいいけどクリストフのことを起こしてあげようとは思わないのだろうか。ずっと気絶したまま地面に転がってるのは、流石に不憫な気がしてきたな。まさか転がした本人に情けを掛けられたくもないだろうし、俺がやる訳にもいかない。ここは教育者であるマリーさんが起こしてやるべきだと思うんだけどなぁ……。まあマリーさんも忙しいからな。仕方ないよな。放置するか。



     *



Side:Anne-Marie Elaine Jansson Yggdrasill



「目が覚めたかの」

「うっ……、痛っ」

「右腕が折れておる。無理に動かすと悪化するぞえ」

「……俺は、ま、負けたのか」

「そうじゃ。それもこれ以上ないくらい完璧にの」


 クリストフ以外の修行参加者全員と修行の方針を決め終えた妾は、ずっとおねむを続けておったクリストフの坊主の元へと向かう。ようやく目を覚ましたクリストフは、しばらく状況を呑み込めておらぬようじゃったが、右手の痛みでだいたい思い出したようじゃった。


「修行の方針を決めておらんのは、あとお主だけじゃ。どうする? ここまでされても国家の方針に逆らって修行に参加しないつもりかの?」

「お、俺は自分で強くなれると言った筈だ!」

「ほう? それはつまり、貴様の実家の伯爵家の顔に泥を塗るということでよいのじゃな?」

「なっ! なぜそうなる!」

「言われんとわからぬか。よいか、これは皇国の国家プロジェクトじゃぞ。それに従わぬということは、即ち皇帝陛下の意に背くということじゃ」

「……!」


 やれやれ、これがエーベルハルトじゃったらすぐに察してくれるんじゃがの。まあ、あいつならそもそも修行に参加すると決めた時点で修行の意義を理解して無意味に逆らったりはせぬじゃろうが……。

 クリストフは決して頭が悪い訳ではないが、少々思い込みと己の我が強すぎるきらいがあるようじゃな。それでは誤った方向に突き進んでも自分で気付くことはできなさそうじゃの。他人の意見に耳を貸す姿勢も見られぬし……。そういう意味ではクリストフは鹿じゃな。


「これが最後のチャンスじゃ。修行に参加する意志はあるか?」

「…………ある」


 たっぷり十秒以上悩んでからクリストフは言う。本心からではなさそうじゃが、まあこういう意志表示にぶっちゃけ本心は関係ないからの。

 まったく、面倒な子守を陛下も押し付けてくれたものじゃ。伊達に才能があるから、まずはその伸びまくった鼻を叩き折るところからやらねばならん。そういうのは妾の得意分野ではないのじゃがの……。

 はあ、今度のボーナス増えんかの……。今度、宰相にでも訊いてみるか。妾を重要な人材と思っておるなら邪険にはせんじゃろ。


 拳を握り締め、うつむくクリストフを見下ろしながら妾はそんなことを考えるのじゃった。

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