閑話 100話記念 とある日の憧れ

 これは今から数年ほど前の話。まだギリギリ年齢が二桁に届くか届かないかくらいの頃だったと思う。

 『風斬り』のフェリックスとの死闘から三年ほどが経ち、毎日修行を続けてそこそこ実力も付いてきた時の話だ。



     ✳︎



 その日、俺は珍しく一人で旅に出ていた。いつもならメイが付いてくるのだが、今回は何やら実験したいことがあるらしい。何でも、オリハルコンの性質についての検証実験だそうだ。何をやっているのかは詳しくはわからないが、まあメイのことだからまた意味不明な大発見でもするのだろう。その飽くなき探究心と才能に畏敬の念を送りつつ、俺は一人気楽に遠出していた。


 今回の目的地は大山脈だ。オヤジからファーレンハイト辺境伯領内なら自由に移動して良いと言われたのはいいものの、これまでろくに遠出する機会も無かったので、思い立ったが吉日とばかりにバックパックに荷物を詰め込んで俺は家を飛び出したのだった。


 持ち物は食糧、水筒、回復ポーションに地図、財布に、いざという時のための家紋入りキータグ、最後にメイお手製のショートソードだ。フェリックス戦でナイフが折れてしまったので新しく剣を打ち直してもらったのだ。数%ほどミスリルを含有する魔鋼と呼ばれる金属でできたかなり頑丈な剣で、形こそ西洋の直剣だが、折れず曲がらずよく斬れるとても良い剣だ。魔力を流せば流すほど頑丈になって斬れ味が増す(と言っても流石に限度はあるが)ため、市販の剣ではなかなか出せない性能を俺は存分に堪能していた。


 そんな感じで着替えも持たず、身軽な状態で旅をする俺。今回目指す大山脈は、ハイトブルクの北方に位置する皇国三大難所の一つでもある。とは言っても、山登りをしに行く訳ではない。流石に大山脈を踏破するのにこの軽装は自殺行為だ。ただでさえ山は危ないのに、加えて魔物も出るというのだから、行く時はフル装備で挑む必要がある。それでも必ず生きて帰れる訳ではないのだから、大山脈がいかに危険な場所かがわかるというものだろう。


 では何のためにわざわざ大山脈くんだりまで出向くのかといえば、単純に観光だった。

 なんと大山脈の麓にあるファーレンハイト辺境伯領内最北端の町カインには温泉街があるのだ。大山脈の地下から湧き出す天然温泉は豊富な魔力とミネラルを含んでいて、たいへん健康に良いとか。

 元日本人として、これは行かざるを得ないと判断したのである。


 カインの町はとても遠い。ハイトブルクから500キロはあるだろう。とても歩いていける距離ではない。短距離・短時間であれば足から衝撃波を放って高速移動する手段も無くはないが、あれはずっとランニングしているようなものなので距離的には数十キロが限界だ。フルマラソンを走りきる体力がある訳でもなし。徒歩での移動は断念した。

 そこでメイの開発した魔導二輪車の出番だ。仕組みはよくわからないが、地球で見たエンジンのようなものを搭載した原始的な二輪車である。スピードは最大でも70キロくらいしか出ない(それでもこの世界基準だとかなり凄い)が、動力源が俺の魔力なので俺の体力が尽きない限り延々と走り続けることが可能だ。日が昇ってから暮れるまで日がな一日走り続けていれば、おそらく一日か二日で辿り着けるだろう。



     ✳︎



 そして出発してから二日目の朝方、俺は無事カインの町に到着していた。道中、怪しい山賊やら魔物やらも見ないではなかったが、時速70キロの魔導二輪についてこれる奴はいなかった。


「へえ、至る所に湯気が見えるな」


 カインは小規模な町だった。人口もおそらくそこまで多くはない。二、三千人が良いところだろう。道行く人達も旅装の人が多く、あまり現地の住民は多くなさそうだ。


「へいらっしゃい、カイン名物の温泉蒸しパンだよ! 中のクリームが美味しいよ!」


 客引きのおっちゃんの声につられて見ると、そこには温泉饅頭を蒸す箱みたいなものが置いてあり、中で温泉饅頭のようなものが蒸されていた。


「おっちゃん、二つちょうだい」


 一つでないのは小さくて足りないと思ったからだ。長旅で疲れていることもあるし、糖分を摂りたくなったのだ。


「まいど!」


 お金を払っておっちゃんから温泉饅頭ならぬ温泉蒸しパンを受け取り、齧ってみる。


「ン、もちもちしてて美味しいな」


 食感は完全に蒸しパンだった。中にはカスタードクリームのようなものが入っており、さながら「洋風温泉饅頭」といったところか。かなり美味しく、文句無しの出来栄えだった。


「おっちゃん、あと三つちょうだい」

「気前いいね! 一個サービスしといてやるよ!」

「ありがとう」


 図らずも朝飯を手に入れてしまった俺は、ひとまず休むべく宿を探すことにする。といっても温泉街という町の性格ゆえか、特に探すこともなく一瞬で宿は見つかった。


「『雪の精霊亭』か。なかなかおしゃれだな」


 数ある宿の中でも上品すぎず、それでいて安すぎない適度な宿を見つけてそこに入る。俺自身は貴族なので別に高級な宿でも問題は無いのだが、お忍びで足を運んでいる以上、あまり大きな話にはしたくなかったので中級の宿にしたという訳だ。


「ようこそお越しくださいました、我が『雪の精霊亭』をお選びいただきありがとうございます」


 そこそこ若めの女将さんが出迎えてくれる。


「随分とお早いですが、今からお休みですか?」

「うん、とりあえず一休みしてから温泉に浸かりたいな。今、入れる?」

「ええ、昼食の時間帯はご利用になれませんが、今の時間帯でしたら温泉をお楽しみいただけますよ」

「じゃそれで。五日間でいいかな」

「かしこまりました。ありがとうございます」


 チェックインを済ませて荷物を部屋に置いた俺は、浴衣(のようなもの。バスローブを薄くしたやつだ)に着替えて大浴場に足を運ぶ。

 脱衣所には俺以外誰もおらず、まさに貸切状態であった。


「おー、いいね」


 異世界でも定番なのか、温泉は浴室内と露天の二種類があった。ひとまず浴室内で身体を洗い、露天風呂に出る。


「うーむ、景色が良い!」


 春先の気温は濡れた裸の身体にはかなり肌寒い。まだまだ雪化粧で真っ白の大山脈の連峰が、雄大な姿を麓町に見せつけている。


「いつか登ってみたいなぁ」


 今はまだビジョンが湧かない。高ランクの魔物の群れにでも襲われたらひとたまりもないだろうし、Sランクの魔物が相手なら一匹が相手でも生存確率は50%だ。

 いつかどんな魔物にも対処できるくらい強くなって、あの山を踏破してみたい。


「あ、ドラゴン」


 大山脈の頂上付近。遥か遠くを悠々と飛ぶドラゴンの姿が見えた。サイズ的にもワイバーンのような下級竜ではなく、本物の上級ドラゴンだろう。個体数が異様に少ないので、お目にかかれたらかなりラッキーだと聞く。


「大山脈に行ったらもっと近くでドラゴンを見れるかな」


 大山脈のドラゴン。魔の森のベヒモス。大迷宮のケルベロス。いつか、そのどれかに会ってみたい。戦うも良し。従えるも良し。友達になれるならなってみるも良し。


 いつか自分が世界を股にかける偉大な冒険者になることを夢見て、俺は湯に浸かりながら大山脈を眺め続けるのだった。

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