第99話 修行開始

「ほれ、魔の森の朝は早いぞ! 起きろ!」


 ――ドスンッ という衝撃を感じ、心地よい微睡みから強制的に覚醒させられる。


「ン゛ヌぁっ……」


 腹部がたいへん痛い。まるで子供が父親を起こす時に腹の上に飛び乗るアレと同じくらいに痛い。おかしい。俺にはまだ子供はいなかった筈だが。


「……マリーさん、あんた何やってるんだ」


 寝惚け眼で確認すると、俺の腹の上で幼女マリーさんが仁王立ちしていた。ご丁寧に両足とも腹の上に乗せて、である。


「お主が起きぬから起こしに来てやったのじゃ。人の家で両脇に女を侍らせおって、この痴れ者が」


 そういえば、と首を捻って左右を見遣ると、俺の右手にリリー、左手にイリスがいてスヤスヤと眠りこけていた。昨日、突然俺達がやって来たからまだ寝泊まりする部屋の準備ができておらず、仕方なく客間に三人で毛布を敷いて雑魚寝をしたんだったな。


「…………水玉模様か。まあ子供っぽくていいよな」


 ちなみにこの位置からだと、マリーさんの脱法おパンツ様が丸見えである。水玉模様となかなかに可愛らしいチョイスだ。合法とはわかっていてもたいへん犯罪的な光景であった。朝であるが故に臨戦態勢の俺の俺も、朝一番の眼福な光景にご満悦のようであった。


「妾の下穿きなんぞ見て楽しいかの?」


 二百歳が呆れたように俺を見てくるが、本能なんだから仕方がない。こちとら十代である。思春期真っ只中の劣情は、吹けば飛ぶような理性では如何ともしがたいのだ。


「浮気者」


 右側から冷たい視線を感じて振り向けば、そこには機嫌を損ねた許嫁の姿があった。どうやら目が覚めて今のやり取りを見ていたらしい。

 謝ろうと思ったが、寝起きで色々と危ない格好のリリーを見ていると、俺の本能は更なる暴走を始めてしまうのであった。


「いて、いてててて」


 慌ててトイレに駆け込む。気が付けばマリーさんに踏みつけられた腹の痛みなど、とっくの昔に消えて無くなっていた。



     ✳︎



「それでは本日より修行を始める。まずはそれぞれの課題の認識じゃ。……とはいえ、それは皆がもうここに来るまでにある程度は気付いたのではないかの?」

「ああ、やっぱりこれは修行の一環だったんだね」


 魔の森を突破できるだけの実力がなければ修行をつけてもらう資格は無し。突破できるにしても、ただ森を通過するのではなく自分の課題を克服しながら突破するべし。

 俺は魔の森を踏破している途中でそのことに気が付いた。そしてそれは真実だった訳だ。国家プロジェクトである以上、時間を無駄にはできないのだから然もありなんである。


「では一人づつ課題を述べていってもらおうかの」


 マリーさんがそう言うので、俺達は順番に自分達の課題を述べていく。


「俺は、火力は既に充分に高いから、チームで戦ってる時の状況把握とカバーの上達が今後の課題かな。俺個人としてなら、魔法を伴わない素の状態での強さを上げること」

「わたしはもう少し魔法の威力と命中率を上げる必要がある」

「私は攻撃系魔法の連射性と精度の向上が課題です」


 それを聞いてマリーさんは「ふむ」と一つ頷いて言った。


「確かにその通りじゃな。じゃが、そんなことわざわざここに来るまでもなく、自分らでできるんじゃないのかえ?」

「「「あっ……」」」


 その通りである。この程度の課題なら、俺達なら自己研鑽に励みさえすればそのうち克服できてしまう程度の課題でしかない。現に魔の森を踏破する過程で俺達はこの課題をそこそこ解決してしまっており、今述べた課題も「今後更に伸ばす」というだけの話にしかならないのだ。

 そしてそんなことをマリーさんは訊いていない。マリーさんが本当に訊きたいことは…………


「――――俺はどんな場面にも対応できるように、無属性魔法をマスターしたい」


 …………俺達が目指す理想の姿だ。修行を終えた先にある、未来の自分の姿を言えということだ。今の自分に課題があるのは当たり前。ならば課題の無い究極の目標を述べろ、ということだろう。必ずその目標に手が届くような修行をつけてやる、という皇国最強の魔法士からのメッセージであったのだ。


「わ、わたしはもっとなりたい。ハルトみたいに凄い威力の魔法が使いたい」

「私は時空間魔法をもっと極めたいです! この魔法にはまだまだ誰も知らない可能性が眠っていると思うんです」


 二人も質問の意図に気付いたのか、自分の理想像について述べていく。


「はは、何じゃ、わかっておるではないか! ここでこの質問の意図に気付く奴は今までそうおらんかったぞ」


 マリーさんが意地悪な笑顔で笑っている。


「これは修行のつけ甲斐がありそうじゃの」


 マリーさんは目を細めてそう言った。



     ✳︎



「ところでマリーさん。俺達以外には誰も来ないの?」


 期待を寄せられている若者の魔法士が他にも集められると聞いていたのだが。


「他にもまだ来るぞ。じゃがまあ、一番乗りはお主らじゃな。十代の若造が一週間で踏破できるほど魔の森も甘くはないからの」

「えーっと、俺達は一週間で来たんだけど……」

「だから普通じゃないんじゃろ。それだけ他の者よりもアドバンテージがあると考えればよかろう」


 マリーさんは厳しそうな印象はあったが、理由もなく厳しい訳でもなさそうだ。褒めるところはきちんと褒めてくれるらしい。


「何人くらい参加しているのですか?」


 リリーが訊ねる。


「うーむ、確か五十人とかそこらではなかったかの」

「随分と多い」


 どうやらイリスも同じ感想を持ったようだ。


「じゃがまあ、ここに辿り着けるのは三分の一もおらんじゃろ」

「え……、それってつまり」


 まさか死ぬ、ということだろうか。


「いや、それはない。魔の森中心部には辿り着けんでも、皇国の貴重な戦力であることには変わりがないからの。ピンチに陥ったらきちんと手を差し伸べて魔の森の外まで送り出してやるようにしておる」

「あの矢印の魔法みたいなやつで?」

「そうじゃな。魔の森なら全域が妾の管轄内じゃからの。要らぬ情報は省いておるが、重要なことは見逃しはせぬよ」


 流石は皇国最強だ。戦闘系の魔法だけでなく、監視や感知系の魔法まで最強とは。俺も感知系魔法やら回復魔法は使えるが、その道のプロには流石に勝てそうもない。それでもトップクラスではあると自負していたのだが、マリーさんは文字通りなのだ。他の追随を許さない、圧倒的な風格がその小さな身体からは発せられていた。


「さて、他の参加者が来るまでしか、じっくりと見てやれぬかもしれんのだぞ。貴重な時間じゃ。妾がそれぞれ見て回りつつ、一対一で修行に付き合ってやろうぞ」

「「「よろしくお願いします!」」」


 こうして期間不明・到達目標雲の上のウルトラスパルタ強化合宿がスタートしたのだった。

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