魔の森・修行編

第93話 旅支度

「さて、それじゃあ準備はいいかな」

「うん」


 師団命令で『白魔女』の元に向かうことになった俺とイリスは、準備を整えてファーレンハイト家の皇都屋敷前で落ち合っていた。


「契約してたアパートの部屋はどうしたの?」

「もう解約してきた」

「行動が早いな」

「もともと特魔師団に合格した段階で解約しようと思ってたから」

「そっか、合格するまでってことで安アパート住まいだったんだもんな」

「うん」


 特魔師団員ともなればかなりの高待遇が保証されている。わざわざ賃貸の安アパートに住む必要もあるまい。


「じゃ、気兼ねなく旅立てる訳だな」

「そういうこと」


 俺はイリスを連れて自分の部屋へと向かう。決して朝っぱらから※※なことをしようという訳ではない。俺の部屋にある設置型転移魔法陣を用いてハイトブルクまでの行程をショートカットするのだ。


「転移なんてしたことない」

「ほとんどの人間がそうだと思うヨ」


 故に何かしらの事故が起きないとも限らないのだが、そこはまあリリーの魔法をメイの技術で組み込んだ超弩級オーパーツなのだからそれほど心配する必要もあるまい。加えて(第一線級の研究者には流石に劣るが)それなりに魔法理論に精通した俺も監修しているのだから、事故が起きる確率なんてそれこそジャンボジェットが墜落するくらいの確率だろう。


「(けど異世界転生する確率を考えたら、随分と高く感じちゃうよなぁ……)」


 死後の世界なんて誰も知らないのだからもしかしたら全人類が死後に異世界転生しているのかもしれないが、その割には異世界転生系の宗教が地上には多くないのでおそらく俺みたいなパターンは相当珍しいのだろう。

 仏教の輪廻転生思想がイメージ的には近いような気もするが、あれもまた似て非なるものだしな。


 ……それにしても、果たしてこの世界に俺以外の転生者がいたりするのだろうか。まあ、いてもいなくても敵対さえしなければそれでいいかな。日本人じゃなくても、地球人トークができたら楽しい気がする。


 まあ、それもただのタラレバの話にすぎない。イリスを待たせて思考に耽るのはちょっと違う。


「それじゃあ行こうか。……皆、行ってきます」

「「「行ってらっしゃいませ」」」


 俺の部屋まで使用人達が見送りに来てくれる。流石に全員は入れないので、専属メイドのアリスや執事長のヘンドリックをはじめ、数人がぴしっと整列していた。


「短い間だったけどお世話になった。多分、師団からの要請次第では頻繁に戻ってくることもあると思うから、その時はまたよろしく頼むよ」

「我々使用人一同、いつでもエーベルハルト様のお帰りをお待ちしております」

「うん。そう言ってくれるとありがたい。……じゃ、イリス」

「うん」


 長い別れになる訳でもなし。あまりしんみりするのも変なので、別れの挨拶は軽く済ませて去ることにする。

 俺達は転移魔法陣の上に乗り、魔力を注ぎ込んで魔法陣を起動させる。軽く――俺にとっては、という注釈が必要だが――魔力が吸い取られる感覚があって、周囲が眩く輝いた次の瞬間、俺達は久し振りのハイトブルクの俺の部屋に帰ってきていた。


「よし、着いた」

「ここがハルトのお家」

「イリスはハイトブルクに来るのは初めてだな」

「ハイトブルクどころか、カルヴァンの街と皇都以外の街に行くのが初めて」

「なるほど」


 まあこの時代……というか世界、現代日本のように交通インフラが整っている訳じゃないからな。お伊勢参りや聖地メッカ巡礼のような大きなイベントでもない限りは庶民はおいそれと遠出などできやしないだろう。電車も車も飛行機も無いと、旅行のコストが高すぎるのだ。

 冒険者のように自分の足で国中を歩き回って稼ぐ職業であれば話は別だが、彼らは別に旅行をしている訳ではないしな。ハイラント皇国ではほとんどの場合、「定住=その地に骨を埋める」ことを意味するのだ。


「さて、それじゃ魔の森に行く前に今日一日くらいはゆっくりして行こうか。明日の朝にリリーと合流して、転移魔法で一緒に連れて行ってもらおう」

「ハルトの婚約者」

「そ、ソウダヨ」


 何だかイリスの俺を見る目が鋭い。何デダロウナー。


 まあそんなことはさておき、明日から魔の森への遠征なのだ。今日はしっかりと休んで英気を養っておかなければ。

 今回、俺達は『白魔女』さんの元まで自力で向かわなければならない。一応、道案内については『白魔女』さんの方から何かしらの接触があるにはあるらしいが、少なくとも護衛がついたりはしない。それに、自力で魔の森を踏破して『白魔女』さんのところまで辿り着けるようでなければそもそも皇国の修行メンバーに抜擢されたりはしないという側面もある。

 魔の森の踏破に必要なランクがAからA+ランクだから俺の今の実力で全く問題はない筈なのだが、魔人の件もあるし用心するに越したことはないからな。


「今日は装備やら携行品やらの準備をして、あとはゆっくり過ごそうか」

「うん。最近有名なアーレンダール工房とかハイトブルクの武器屋に興味がある。ハルトには是非案内して欲しい」

「任せな。ハイトブルクは俺の庭だぜ」


 自分の家の領地なのだから知り尽くしていない筈がない。貴族の嫡男が城下町を練り歩くというとまるでのように思われてしまうかもしれないが、むしろ自らの目で街の生の姿をしっかりと見ていないことの方が次期領主としては危なっかしいからな。趣味90%、責任感10%で幼少期よりハイトブルク中を練り歩いて隈なく網羅した俺に死角は無いのだ。


「頼もしい」


 そうしてその日の日中はアーレンダール工房を訪ねてメイに良さげな装備品を見繕ってもらい、錬金工房で回復ポーションを買い、最近はもっぱら出番の無かった魔力タンクに余剰魔力を注ぎ込んでいざという時の備えにしたりしつつ、のんびり過ごしたのだった。



     ✳︎



 その日の夜。我がファーレンハイト家邸宅にて、数日振りの帰省のお祝い兼、修行の旅に出る俺達の壮行会が催され、俺達はほどほどに優雅な晩餐を楽しんだ。二日酔いを治す『解毒』や『治癒促進』があるとはいえ、深酒は禁物だ。

 代わりに皇都での話や特魔師団での出来事について、機密に触れない範囲で話の花を咲かすことになった。


 妹弟きょうだい達は俺の話を聞いて目を輝かせている。姉ノエルもそこそこ楽しそうに聞いているようだ。


「兄上は流石です! 僕も早く強くなりたいです」

「アルベールはまず魔力をしっかりと鍛えつつ、少しずつ魔法を覚えていくといいぞ。それに、父さんと一緒に北将武神流の修行をしてるんだろ?」

「はい。今は北将武神流の『表』の修行をしています」

「アルベールは特に槍術に適性があるみたいでな。武神流の中でも槍術と格闘術に重点を置いて修行しているところだ。ひょっとすると槍術だけならエーベルハルトよりも強いかもしれんぞ」


 オヤジがワイン片手にニヤニヤと笑いながら言ってくる。なかなかアルベールも頑張っているみたいだ。


「へぇ、やるじゃないか。これは将来が楽しみだな」

「兄弟揃って凄い」


 イリスも俺達を持ち上げてくれる。


「ロゼッタはどうなんだい?」


 話せる人間の中では一番年少の(双子の弟妹達はまだしっかりとは話せないのだ)ロゼッタにも訊ねてみる。彼女は教養のお稽古にとても熱心だから、ひょっとしたらまた何か進歩があるかもしれない。


「あにうえ! わたしはさいきん、新しいピアノの曲をおぼえました!」

「そうかそうか! あとで聴かせて欲しいな」

「ぜひ!」


 うむ、健気に頑張るとても可愛らしい妹だ。


「そういえば、最近は姉上も新しい学問に挑戦なさってるみたいです」


 ぽろっとアルベールがそんなことを漏らす。


「姉ちゃんが?」


 ノエルの方を振り向くと、まさか自分に話が回ってくるとは思っていなかったのか、ノエルは慌てた様子で喋り出した。


「べ、別に大したことじゃないわよ!? 貴族家の令嬢に相応しい教養を身につけようと皇国法の勉強に手を出し始めただけよ」

「皇国法って……姉ちゃん法学者になるのか」

「ならないわよ! ……多分? だってまだ始めたばかりだし」

「姉上は来年から皇都の文理学院に進学されますからね。そこで首席取ってやるんだって、兄上がいない時に息巻いていました」

「首席か。姉ちゃん頑張れよ」

「特魔師団に最年少合格したあんたに言われてもプレッシャーにしかならないわよ……」


 何故かゲッソリとした表情で俺を恨めしそうに見てくる姉貴。だがまあ、ノエルがかなり優秀であるのを俺は知っている。あまり努力している様子を表に出さないだけで、影ではしっかりとお稽古お勉強に励んでいるのだ。その辺はやっぱり俺と姉弟なんだなぁという風に感じる。


「俺も負けてらんないな」


 こういう幸せな時間を守るためにも、俺は更に強くならねばならないのだ。


 宴もたけなわ。膨れた腹をさすりながら、俺は明日からの修行の旅に思いを馳せるのだった。

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