第91話 アレン・バザロフという男

 あの後、取り敢えず転がって死んでいた役人をインベントリに入れて(入れたくなかったけど、貴重な資料になるので我慢した)確保した俺は、ついでに部屋のものも全て収納してオイレンベルク准将達の元へと戻った。

 魔人が転移で逃げる前のあの膨大な魔力エネルギーの波は准将達も感じていたようで、逃げられた旨を伝えたら「そうですか、残念です」とあまり残念そうでない様子で言われてしまった。

 ……まあ相手は魔人だからな。この前の相手は転移魔法を持っていない代わりに回復力が凄かったが、今回の魔人は転移魔法が凄かった。回復力が凄いのかは実際に戦ってみないとわからないが、どうやら魔人にも得手不得手があるようだ。



     ✳︎



 さて、魔人を逃してしまった以上、喫緊の課題は支配者のいなくなってしまったカサンドラの町の統治である。まさか旧特権階級である自警団の面々を使う訳にもいかないし、はてどうしたものかと悩んでいたら、農奴扱いされて酷使されていた城壁外の領民達が立候補してくれた。


「特魔師団の旦那方、俺たちゃコイツらに虐げられてすげえ大変だったんだ。だから、今度はできたら自分達の手でこの町を守りてぇ」

「自治がしたいのか?」

「簡単に言うと、そういうことだ」


 農民の自治か。なんだか中世日本の惣村みたいだな。


「オイレンベルク准将。どうしますか?」


 俺としては、虐げられても頑張って働いていた彼らなら信用できると思う。それに、彼らを頼らなければ現実的にカサンドラの町の統治は不可能だ。自警団を牢に入れつつ、軍が来るまで町を統治する。いくら特魔師団の団員である俺達でも、たったの三人でそれをするのは流石に不可能だった。


「まあ事情が事情ですからね。協力を仰がざるを得ないでしょう」

「だってさ」

「すまねえ。恩に着る」

「ただ、皇国軍がやってきて新しく代官が選定されてからは保証できませんよ」

「ああ。そこは俺達で交渉するから問題ねえ。それにこうして一度やらかしてんだ。中央の奴らもあんまし強くは言えねぇだろう」


 民主化には教育が必須なので、実際にどこまで上手くいくかはわからない。ただ、自分達の町の自治程度であれば、もしかしたら認められるかもな……と俺は思う。主権が脅かされない範囲までなら、意外と体制側も譲歩するものなのだ。まあもっとも、絶対に一歩たりとも退かない体制側もいたりするのだが……。地球のとある国やら公国連邦を思い浮かべながら、俺は彼らに町の統治の協力を仰ぐのだった。



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 それから一週間ほどが経ち、俺の持つ通信魔道具で連絡を受けて皇都から派遣された皇国軍二個中隊(約250名程度)がようやくカサンドラの町に到着した。二個中隊を率いていた中隊長の大尉は、オイレンベルク准将にめちゃくちゃ畏まって敬礼していた。


「たいへん遅くなりまして申し訳ございません!」

「いえ、ご苦労様です。資料はこちらにあります。早速配置について下さい」

「了解!」


 一週間の間に自警団の連中を尋問して訊き出した領地経営のノウハウや資料、その他諸々の記された書類を中隊長の大尉に手渡すオイレンベルク准将。これでようやく俺達も解放だ。


 それにしても、今回の件で特に常軌を逸していたのが税率の高さだった。重税と言ってもせいぜい六割かそこらだろうと高を括っていたが、蓋を開けてみれば八公二民という戦時下でもまだマシと思えるほどのウルトラブラック領地だったのだ。

 よくこれで一揆が起きなかったなと思ったが、そういえば反乱を起こすにはある程度の余力が被支配者側に残っていなければならない、とどこかで聞いたことがあるのを思い出した。体制を支える強力なイデオロギーが無い場合、体制側の力が圧倒的に強いか、あるいは被支配者側の力が弱りきっている場合には、なかなか反乱は起こらないのだ。ちなみに強力なイデオロギーが存在していたらどうなるかというと、かつてのソ連やらナチスやら中国やら北朝鮮のように反乱など起こらない(国民皆がイデオロギーの信奉者として体制側に協力的だし、そもそも反乱を起こす前に消されるから)という訳である。


 まあ、カサンドラのような小さな田舎町に強固なイデオロギーが存在する筈もない。要するに、それだけ悪代官が領民達から搾取していたということだ。歴史に残る馬鹿領地運営である。


 この悪政から解放された領民達に、二個中隊とともに派遣されてきた新しい代官が示した政策は「一年間非課税。二年目以降は二公八民。五年目より通常の四公六民に戻る」というものであった。健全な領地経営に足りない分は前代官が肥やした私腹を切り崩して捻出し、それでも尚足りない分は国庫から補填するらしい。国としては、このような失態をあまり公にされたくないようで、リカバリーに必死になっているようだった。



     ✳︎



 さて、統治業務から外れた俺達が次に取り掛かったのは、本来の業務であるこの事件の原因の調査であった。誰が何の目的でやったのか、何が行われていたか、背後には誰がいるか等を調べる作業である。重要な項目に関しては皇国軍が派遣されてくるよりも前から領民達の手を借りて調査してはいたが、これでようやく本格的に調査に入れるようになった訳だ。

 ちなみにこの調査には派遣されてきた二個中隊の中からも十数名ほどが参加してくれるらしく、非常に助かっていた。



 本格的に調査を開始して数日経ったある日。俺と同じチームで調査をしていたテールマン少尉――特魔師団の入団試験の時に俺を案内してくれたあの少尉だ――が、緊迫した表情で執務室へと入ってきた。普段は落ち着いている印象が強いだけに、それだけ大事なことなのだろうと察する。


「テールマン少尉。どうしたの?」

「ハルト少尉。これを」


 そう言って彼が渡してきたのは、例の魔人に殺された役人の素性についてまとめた資料だった。


「アレン・バザロフ。年齢・出身地不詳。ここの文官を取りまとめていたナンバーツー……。代官はお飾りで実質的な支配者、か」


 どうやら、代官は無能なトップだったようだ。それなりに豊かな生活を送ってはいたみたいだが、実務にはほとんど関わっていなかったらしいな。

 言われてみれば、俺達が作戦を開始した際、狼狽えて微動だにしていなかった。いざという時に指示を下せないようでは上に立つ者としては失格だろう。無能扱いされるのも然もありなんといったところだ。


「バザロフ、ねぇ……。このアレン・バザロフという男、代官側近の文官なのに本当に出身地が不明なのか?」


 日本なら市長のすぐ下で働く所長クラスの市役所の職員ということになる。出身地不明なんて話があり得るのだろうか?


「カサンドラの元職員や同僚、皇都の行政官に問い合わせてみましたが、皆一様に知らないということです」

「そんな馬鹿な話があるか」

「役人としての採用は東部で……ということらしいです。臨時の下級官吏として採用したところ、たいへん優秀だったのでそのまま正式採用。あれよあれよという間に出世して、気がつけば皇家直轄領の代官補佐になっていたそうです。それ以前の経歴に関しては不明ですね。東部の方で放浪生活をしていたか、あるいは孤児の生まれか。真実は本人しか知りません」


 要するに、どこからともなく現れた人間らしい。出身地の特定は不可能だった。


「それにしても、また東部か……」

「最近多いですね。東部からの不法移民」

「ああ」


 他国との国境線を有する大陸国家ならではの悩み。それが不法移民だ。合法的な移民はそれなりの数がいるが、彼らはきちんと管理され、真っ当な職業に就いていることがほとんどだ。しかし不法移民は冒険者や日雇いのようにその日暮らしで生活が不安定なことが多く、酷い場合にはマフィアや盗賊になって皇国の治安を脅かすことが多い。なぜ不法に移住してくるかといえば、合法的な手段では入国できないような人間だからだ。大抵は犯罪者であったり、政治的野心があったりと碌な理由ではない。


 今回のアレン・バザロフという男。ひょっとしなくてもその不法移民か、あるいはその子供だろう。


「やはりハルト少尉も引っかかりますか」

「ああ。敢えて改名しなかったのか、それとも単純に知らなかったのかはわからないけど……。ここらじゃ聞かない苗字だよな」


 バザロフという苗字は、ハイラント皇国にはほとんど存在しない。一応いるにはいるが、東部のごく一部の大昔に帰化した元異民族の末裔とかが名乗っているに過ぎない。むしろ多いのは、その異民族の母国――公国連邦だ。アレン・バザロフは間違いなく連邦に関わりのある人物と見て良いだろう。


「スパイだったんでしょうか?」

「かもしれないな。それか、あるいは工作員か」


 でなければここまで不自然な領地経営をする筈がない。加えて魔人がいたのだ。公国連邦は魔人と通じていて、カサンドラの町はその公国連邦のスパイの拠点になっていたと見るのが妥当だろう。

 閉鎖体制を取ったのは、人の流れを制限することで異変を察知され難くするためで、城壁を増築したのも、籠城して防衛している間に魔人の転移魔法で逃げるか、あるいは証拠の隠滅を図ることが目的であったと考えれば辻褄も合う。


「かなり自然ではあったらしいですが、よく注意して聞くと若干東部訛りがあったようですね」

「……てことは移民二世ではなく、連邦で生まれ育った可能性が高いな」

「連邦、要注意ですね」

「ああ」


 ただの地方の悪代官の調査及び征伐に向かった筈が、いつの間にやら国と国との壮大な工作戦へと変わっていた。まったく、自分から望んで特魔師団に入ったとはいえ、もう少し平和であって欲しかったな……と思わなくもない俺であった。

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