第86話 尋問大会と正妻の貫禄
「ア゛ア゛ア゛ア゛アアァァァ……」
「うぶぇぇ……」
「ン゛ン゛ン……」
翌朝。ファーレンハイト家、皇都邸宅のホールにゾンビのような呻き声が響いていた。およそ上品な貴族の屋敷とは思えないほどの死屍累々とした惨状は、他家の人間には到底お見せできない光景であった。
「ああっ……苦しい……」
「ばかねー。呑んだこともない酒をあんなに飲むからよ」
「いやぁ……祝い事だし良いかなぁって思ったんだけど……」
「それで潰れてちゃ意味ないじゃない」
休日とはいえ、いつ緊急招集が掛かるかわからない
「……『解毒』『治癒促進』」
ガンガンに痛む頭を抱えながら、朦朧とした意識の中で数年前に母ちゃんとのスパルタ修行で覚えた回復魔法を使う。体内の
回復の魔力を一、二分ほど循環させていると、ようやく元気が戻ってきた。「(もう二度と酒なんて呑まねえ!)」などと禁酒を誓った呑んだくれのようなことを考えつつ、俺はゆっくりと起き上がる。
ホールの床にはモザイク必須の、飲みサーもびっくりの光景が広がっていた。異世界の酒飲みの民度、低いなぁ……。
……まあ、苦しんだり、桶に向かって突っ伏している人間はチラホラいるが、寝ゲロした奴はいないようだ。あれやると窒息死の危険すらあるからな……。皆さん、呑み過ぎた日は横向きになって寝ましょうね。お兄さんとの約束だぞ。
そんなことを考えていると、「いやー、呑み過ぎたであります」などと言いながらほんのりと赤みの差した顔で、酒瓶片手にドワーフ娘が楽しそうに近付いてきた。
「あっ、戦犯!!」
「お酒ってこんなに美味しいんでありますな〜! 新しい世界を知ってしまったであります!」
「お前なぁ〜、俺がどれだけの苦しみを味わったと思ってるんだ」
この酔いどれドワーフ娘、ご多分に洩れず、ドワーフらしくたいへんに酒豪であった。しかもただの酒豪ではなく、人に酒を勧めてくるタイプの酒豪だったのだ。絡み酒は本当に良くない。呑みサーのコールと同じくらい滅ぶべき文化だ!
「そんなこと言って〜、ハル殿も楽しんでいたじゃないですか〜」
スケべ親父みたいなことを言わないで欲しい。嫌よ嫌よも好きの内ってか。……認めよう、確かに楽しかったとも! しかしこんな苦しみが待っていると知っていたら俺はあそこまで呑んでいなかった!
「まったく……。居酒屋に『ドワーフは別料金』って書いてあるのがわかる気がするよ」
皇都の店を歩いていると、たまにそういう但し書きを見つけることがあるのだ。てっきり人種差別的なアレかとも思ったが、どうやらそういう訳ではないようだ。食べ放題の「力士・プロレスラーの方は別料金」みたいなものだろう。在庫を空にされては店側としても堪ったものではない。
「皆、お酒に弱すぎるんであります」
「お前、次それ言ったらおっぱい揉みしだくからな」
「セクハラであります!」
「お前はアルハラだ!」
まったく、酒は人を駄目にするな。今度からは自重しなければ。
……それよりも、今回の最大の失敗は、メイル・アーレンダールという女に酒の味を覚えさせえしまったことだ。今後のことを思うと背筋が震えてしまう。メイは技術面でも肝臓面でも末恐ろしい奴であった。
✳︎
「で、ハル君。この子は?」
「随分と綺麗な子でありますなぁ……」
アルハラ騒動の後。朝食のスープで胃腸を休めた俺達は、リビングで仲良くお話しをしていた。
「ど、同僚です」
「へえ。とっても可愛いのね」
「ありがとう」
「あら、貴女には言ってませんことよ」
「イリス……! 申し訳ないけど今はその天然振りを発揮しないでくれ……ッ!」
しかしそろそろ足が痺れてきたな。いい加減に正座を解きたい。なぜソファがあるのに、しかも俺の家なのに、俺はこうして床に正座しているのだろうか? おかしい。俺は何もしていないのに。
「メイルに続いて二人目の女ね。ねぇハル君。婚約はもうしたのかしら?」
「い、いえ」
「駄目よ。囲うならちゃんとしないと。曖昧なのが一番足もとを掬われるのよ」
「あのね、リリー。俺はまだ手を出してはいないっていうか、そもそもまだ誰にも手を出してないというか」
「そういう問題じゃないのよ」
「あ、ハイ」
流石は正妻というべきか、その辺の管理はしっかりしているようだ。女の子と気軽に仲良くなれないなんて、貴族って面倒くさいよな。
「まあ、幸いにして特魔師団の団員だから身元ははっきりしてるわね。将来的にもそこは安心できる要素だわ。変に大物が背後にいる訳でもなさそうだし」
「いやー、大変そうだな」
「他人事みたいに言わないの!」
「はい!」
家同士のパワーバランスとかもあるからな。こっちは辺境伯家と公爵家だから、そんじょそこらの家柄では相手にもならないが、それでも気を付けなくていい理由にはならない。特に敵対派閥(といってもそこまで大それた派閥抗争がある訳ではないが。皇国では皇家の権威がとにかく強いので、封建制度とはいっても貴族間の権力闘争はある程度落ち着いているのだ)に与する家の人間とそういう噂が流れてしまっては、リアル「ロミオとジュリエット」になりかねない。せっかく将来が安泰なんだから、下手な騒動の原因は作らないように留意しなくてはならない。
「ま、次から女の子と友達になりたかったら背後関係をしっかり洗ってからにするのね。私がやってあげてもいいんだけど、やりすぎるとハル君も嫌でしょ?」
「ンー、そんなことはないかな。リリーが俺のことを思って言ってくれてるのはわかるから。それに、なんだか嫉妬してくれてるみたいで可愛い」
「ばっ、ちょっ、そんなこと!」
「そんなこと? リリーは嫉妬してくれないの?」
意趣返しも含めてそう言うと、さっきまでは俺を説教する立場だったリリーは急に縮こまって黙ってしまった。何やらモゴモゴと言っているが、うまく聞き取れない。
「……そりゃ……は……するけど……って……なんだもん……」
「んんー?」
「やっ、なっ、何でもないし!」
「ははは、リリーは可愛いね」
こうしてたまに見せてくれるツンデレの部分が、何とも言えぬ喜びを俺に与えてくれるのだ。家同士の繋がりのために知り合い、婚約した俺達だが、相性はかなりいいんだろう。こういう何気ない遣り取りが俺はとても好きだった。
「……なんだが置いてけぼりになってるみたいでつまらないであります」
「メイ」
見ると、どことなく面白くなさそうなメイがぶすっとしてあらぬ方向を向いてしまっていた。そしてリリー、そんなメイを見てドヤ顔をするんじゃあない。意地が悪いぞ。
……うーん、これは後で埋め合わせが必要かな?
などと思っていたら
「ここにいる全員、ハルトの女?」
「ばあああああっ、ちょっ、おまっ!!」
「いい!? 正妻は私なんだからね!」
「ポッと出の女には負けないであります! ……私の方が大きいし」
何が、とは言わない。ある部分が、だ。
それにしても、まさかイリスにもその気があるとはな。「政略結婚は嫌」みたいなことを言っていたように思うのだが。
「ン、ハルトは良いヤツ。わたしは知ってる」
そう言ってくるイリスの顔は、恥ずかしいのか、ほんの少しだけ赤くなっていた。……まったく、真顔なのに感情を読めてしまうなんて、俺もイリスのことを随分としっかり見ていたのかもな。
と、まあ、こんな感じで俺の尋問大会は幕を下ろしたのだった。
ちなみに足はあまりに痺れすぎて感覚が無くなっていた。
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