第82話 魔人
「さあ、正体を現してもらおうか」
全身をローブで覆ったそいつが、フードに手を掛ける。
お前があの薬をばら撒いた犯人なのか。仲間はどれだけいるのか。どこで製造しているのか。
訊きたいことは山ほどあるので、全て洗いざらい吐いてもらわなければならない。
「…………」
そいつがフードを外して、中身が露わになる。
「……その角、それに紅い目」
どうやら男だったらしいそいつの瞳は紅く、人間なら白い筈の白目の部分が黒い。額には数センチ大の特徴的な角が生えていた。身長は180センチかそこら。
そして目が紅く、角が生えているという特徴を持った種族は俺の知る限りただ一つ。それは十数年前、オヤジが死闘の果てに倒したという――――。
「――――魔人」
俺の言葉を聞いて、そいつはピクリと眉を上げ、俺に言葉を返してきた。
「そうだ。私は貴君らが言うところの魔人である。……それにしても見たところ、貴君は十年とそこらしか生きていない様子。よく私が魔人であると気が付けたものだ」
「話に聞いていたもんでね」
「はて、魔人の詳しい情報は機密情報に指定されていた筈だが」
……それは下手な情報が錯綜すると、似た特徴を持つ種族が迫害されたりする危険があるからだ。それだけ魔人という存在は人類から忌み嫌われている。
「たまたま知る機会に恵まれたんだよ。……で、あんたは本当に魔人なのか」
「それを訊いてどうするというのだ。仮に私が肯定したとして、貴君がそれを正しいと判断する根拠にはなりえまい」
「お約束ってヤツだよ……。ったく、どうやら本当にそうっぽいな……」
奴から感じる魔力の質は異常だ。どす黒く、濁りきった重たい魔力をその身に宿している。まるで自然界の法則から強引に外れたような、とても罪深い気配を感じる。生きているのに死んでいる――――そんな歪な印象を受けた。
「しかし、最近の人間は空を飛べるのだろうか。貴君が飛んで来たので私はたいへんに驚愕したのだが」
「そこは安心してくれ。飛べるのは俺だけだ。……さて、そろそろ覚悟はいいか? 色々逃げようと算段を立てていたみたいだが……」
「ふむ、洞察力も一級と。これはたいへん手強い敵である」
それはこっちの台詞だ。咄嗟に放ったから威力は小規模だったとはいえ、奴は躱せない必殺技――『烈風』を躱した。あの『雷光』のジークフリートですら躱しきれなかった『烈風』を、である。つまり奴はジークフリート以上の速さを持っているということになるのだ。
「……仕方がない。血を流すのは上品でないからあまり好まないのだが」
「まあ誰だって痛いのは嫌だもんな」
「? 血を流すのは私ではないぞ」
「……いや、あんただよ」
自分が負けることをこれっぽっちも疑っていないかのような態度。まったく、何故これで逃げようとしたのか意味がわからないな。
「……魔人であると露見してしまったからには貴君を処分せざるを得ない。すまないが我らが崇高なる使命のためにも理解してもらいたい」
どうやら逃げていたのは正体を秘匿したかったかららしい。俺から逃げられなかった以上、口封じをせざるをえないと奴は判断したようだ。
「崇高な使命って、世界平和でも成し遂げるつもりか?」
「魔人の世界にとっての平和という意味であれば、そうであると言えよう」
……これは駄目なやつだ。魔人原理主義というか、そもそも魔人以外を生存に値する存在だと見做していない。
「……とはいえ、血を流さずに済む可能性を追求しないというのも私の流儀に反する」
こいつは一体何を言いたいんだ?
「――貴君は魔人になってみる気はないかね」
「……は?」
こいつは今、何と言った? ……「魔人になる」? 魔人とは、魔人として生まれてきた、生まれながらに魔人である奴のことを言うんじゃないのか? こいつの言い方だと、まるで魔人以外の種族でも魔人になれるかのように受け取れる。人間が後天的に魔人になるだって?
……もしかして魔人は「種族」ではない?
「魔人だ。魔人になれば魔力は人間の時よりも更に増え、寿命は永遠になり、病で死ぬこともなく、下等な情念に苛まれることもない。魔人とは完全なる人間の進化系であり、上位互換である。魔人こそが神の創り給うた生命の究極形であり、それ以外の全ての生命を凌駕するものなり」
頭が混乱してきた。するとこいつは元人間とでも言うつもりか?
「我もその昔はしがない人間であったが、魔人に進化したことでようやく目が覚めたのだ。世界とは人間のような劣った生命のためにあるのではない。魔人こそが世界の支配者に相応しい」
「……世界の支配者、か」
「左様。貴君は魔人になる資格がある。是非その汚い皮を脱いで生まれ変わろうではないか」
「なあ。その魔人になるにはどうすればいいんだ?」
俺は、ある一つの疑念を抱きながら奴に問う。もしこれが真実だとすれば、俺は奴を倒さなければならない。
「簡単なことだ。我々魔人により血を与えられれば良い」
「どうやったら血を与えてもらえるんだ」
「薬を飲むのだ。先ほど貴君らが戦っていた男達は、魔人の血が含まれた薬を服用することで爆発的な身体能力を手に入れていた」
「……魔人ってのは皆、ああやって生まれるのか」
「否。あれは魔人の個体数をさらに増やすための実験に過ぎない。通常であれば魔人の血を与えられた人間は十中八九、死ぬ。しかしあの薬を通すことで、魔人の血に適合する確率を数百分の一から十分の一程度にまで引き上げることができる」
俺は身体の奥から湧き上がる灼熱のマグマを抑えるべく深く息を吐きつつ、再度目の前の魔人に問う。
「……それはつまり、十人に九人は死ぬってことか」
「その通りだ。魔人になる資格の無い下等生物は淘汰されて然るべきである」
「…………わかった」
「ほう、わかってくれたか。では早速魔人の薬を」
「俺達人類とお前達魔人が相容れないってことがな!」
スラムにいた奴らは救いようのない犯罪者だが、それでも無条件に死んでいい筈がなかった。取り締まる過程で戦闘が発生し、それで死ぬことはあるだろう。あるいは裁判にかけられて、罪の重さによっては死刑になることも無いとは言えない。
しかし、全員が全員、人としての尊厳を奪われて無残に死んでいくなんてことがあっていい筈がない。彼らには裁判を受ける権利があるし、人間なのだから人間らしく死ぬ権利もあった筈だ。
それなのに
「…………そうか。しかし理解ができないな。なぜさらなる高みを目指さぬのか。先ほどの男達とて、貴君らに害をなしていたではないか。貴君らは彼らを捕まえて裁くのであろう。人が人を裁くことと、魔人が人を選び殺すことに何の違いがあろうか。どちらも等しく人が死んでいるではないか。片方が肯定され、片方が否定されるというのは非常にナンセンスであるとは思わないか」
魔人には魔人の理屈があるのだろう。ただしそれは人間側の都合を尽く無視した、手前勝手な自己中心的な理屈に他ならない。そんな大前提の欠けた理屈を掲げたところで、誤った答えを導き出す以外ありえない。
「まあ、それはこっちも同じか」
魔人とは共存できない。ならば俺達人類は魔人を滅ぼすことでしか生存することはできない。
魔人も同じだ。俺達人類と敵対し、その中から適性のある者を抽出して強引に魔人に変えることでしか魔人という種を維持できない。でなければ数の少ない魔人はいずれは人類に淘汰されてしまうだろうから。
これは種の存亡を賭けた戦いなのだ。どちらかが妥協すれば、どちらかがいずれは滅ぶ。
俺は人間として、人間社会の秩序を守る貴族として、こいつを倒さねばならない。
人類と魔人。生き残りを賭けた戦いが今、始まろうとしていた。
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