第80話 スラム
ジロジロと見られている。そんな気がする……とかではなく、本当に睨むような物色するような、そんな何とも言えない不快な視線が俺達に注がれていた。
「……なんか嫌」
「確かにちょっと落ち着かないな」
冒険者の時と同じく仮面を被っている俺はともかく、素顔のイリスには非常に不躾な視線が刺さるように注がれていた。
「まあ、その内慣れますよ。相手にしていたらキリがありません。ようは不意打ちされても問題ないくらい強くなってしまえばいいんです」
オイレンベルク准将はそう言う。なかなかそれは難しい話だとも思うが、確かにその通りなのだ。
彼らはただの貧民ではない。「生きるため」という大義名分のもとに犯罪に手を染めた落伍者なのだ。真面目に生きている人間は救われるべきだろうが、不真面目でモラルの無い人間に手を差し伸べてやれるほどこの世界は物質的にも精神的にも豊かではない。向こうが手前勝手な欲望のためにこちらに手を出してくるのなら、こちらはそれ以上の力で以って叩き潰す。そういう殺伐とした対応が俺達には求められていた。逆に言えば、それができないなら特魔師団なんぞに入る資格は無いのだ。
「ハルト曹長は主に罠や騙し討ちなどへの警戒をお願いします。ここは経験を積むためにもシュタインフェルト曹長に前面に出てもらいましょう」
「えっ」
「わかりました。イリス、頑張れよ。俺が後ろについてるから心配ない。気張っていけ」
「う、うん」
イリスは緊張しているみたいだったが、彼女の実力なら
「怪しい人物がいたら職務質問といきましょう。抵抗してきたら、その度合いによっては公務執行妨害でしょっぴけます。巧く躱されたら黒と見てターゲットを絞っていきましょう」
「「了解」」
「それでは行動開始」
スラム街と一言に言っても、全員が全員、凶悪犯罪者という訳ではない。もちろん中には凶悪犯罪者もそれなりに多くいるが、もっとも多いのはカツアゲや暴行などの軽犯罪者だ。いわゆる感情が即行動に出る短絡的なタイプである。
そしてその手の人間がちゃんとした身なりの若い子供と年寄りの三人組を見て手を出さない筈がなく――――。
「オイ、あんた達ここがどこだかわかってんのか?」
ぞろぞろと、気が付けば人相の悪い集団に取り囲まれていたのだった。
……いや、実際には気が付けばも何も、敢えて近寄ってくるのを待っていただけなのだが。
「あー、この中に最近
空気を読まずに取り敢えず訊ねてみる俺。何の効果も無いだろうが、挑発くらいにはなる筈だ。
「無事に返してほしけりゃ金目の物は全部置いてきな。……もちろんお前らの身体もな!」
「ぎゃはははは! こんなとこ来るからいけないんだぜ? ここは危ないところだよって親に習わなかったのか?」
……当たり前だが、こちらの話など聞いちゃいない。そっちこそ「人の話はしっかり聞きましょう」って親に習わなかったのか?
「俺、あの女食っていいか? 最近溜まってんだよ……」
「まだガキだぞ? 趣味悪リィな」
「お、俺あの坊主が……」
「お前も物好きだなぁ……」
「おい、ジジイはどうする?」
「あん? ンなもん決まってんだろ、殺せ」
「金にならねえ奴は生きてる価値なんてねえな」
聞くに耐えない世迷言が飛び交っているが……これは宣戦布告と受け取っても良いのだろうか。
「オイレンベルクさん?」
「公務執行妨害ですね」
「だってさ。イリス」
俺はイリスの背中をポンと押してやり、発破をかけてやる。
「お? 女を差し出して自分達は逃げおおせようってか?」
「ははは、てめーらも同じ屑じゃねーか!」
勘違いした奴が何か言っているが、そんなことは気にせずイリスは魔法の行使に集中する。
「色々訊きたいし、殺すなよ」
「大丈夫。殺しはしない」
「シュタインフェルト曹長。下半身を狙うことをお勧めしますよ。上半身だとふとした瞬間に致命傷になりかねませんから」
「……アドバイス、助かります」
数秒ほど経ち、不逞の輩どもがイリスに手を出そうと近づいてきたその時。
「殺す」
「いや殺すなよ!」
イリスの右手が輝き、一瞬の後に不届き者が全員地面に倒れ伏していた。
「ぐああああっ!?」
「あ、熱い……!」
「っ痛ってえええ!」
「ひいいい……」
どうやら効果は抜群だったようで、あれだけ下衆な欲望を前面に出していた奴らは見事に萎縮して、恐怖と痛みに顔を歪ませていた。
「逮捕する」
通常の兵士の上位互換である特魔師団員は逮捕権も持っているので、こうして悪さをした相手を捕まえることができるのだ。それに今のはそもそも公務執行妨害・恐喝・暴行未遂の現行犯だった訳だしな。現行犯なら誰でも逮捕できるのはハイラント皇国も同じなのだ。
転がっている男達を縄で後ろ手に縛りつつ、俺は手近な奴を尋問する。
「なあ、あんたは昔からここにいたのか?」
「ひっ!」
「ちゃんと答えりゃこれ以上はやんないよ。正直に答えてくれ」
「お、俺は半年くらい前からここにいる」
「お前はここで何をしたんだ」
「……な、何も」
「何をしたんだ?」
もう一度強く訊くと、そいつは震えながら小さく答えた。
「ポ、ポーションを売ってた」
「何?」
「ポーションだよ。何のポーションかまでは知らねえ。とにかく高く売れるから裏の商人に卸してたんだ」
「どこの商人だ?」
「知らねえ。毎回別の人間が買い取りにきてた。俺は受け取ったポーションを決められた時間と場所に持って行ってただけだ」
なんだか麻薬密売人みたいだな。というか何のポーションかわかっていない時点でかなり怪しい。それに、そもそもポーションとか薬ってのは錬金術ギルドの仲介無しでの取引は禁止されている筈だ。たとえ真っ当なポーションだったとしても、いずれにしろ黒であることには違いない。
「藪を突いて蛇がたくさん出てきたような気分ですね」
後ろで話を聞いていたオイレンベルク准将がため息を吐きながらそう呟く。
「こういう非合法な取引ってやっぱりよくあるんですか」
「よくあるも何も、常態化していますね。摘発しても摘発してもいくらでも湧いてきますから、取り締まる側も大変です」
「……警邏隊が常に見張るとか、そういう対策は立てられないんですかね」
「なかなか難しいですね。彼らは見ていない隙を狙ってきます。むしろ泳がせておいて、ある程度取引ルートを絞ってからの方が確実に摘発できます」
「抜本的な改革が必要ですね」
「ええ。私も常々そう思いますよ。……ですが、今回は運が良かったみたいですね」
「? ……!」
破落戸どもを縛り終えたところで、向こうから只者ではない奴らが歩いてくることに気が付いた。破落戸……今縛っているこいつらは素人も同然だったが、近づいてくる奴らは別物だ。実戦に慣れている気配を感じる。
「スラムの仲間が済まなかったな、特魔師団の旦那さん方」
「あなたは?」
「怪しいもんじゃねえ。ここのスラムを取り仕切ってるもんだ」
「怪しい」
「ちょっ、イリス」
せっかく緊張した空気だったのに、イリスが空気を読まずに突っ込むもんだから張り詰めた空気が雲散霧消してしまった。緊張を返せ!
「……見ない顔ですね。ご出身はどちらで?」
暗に「お前はこのスラムの人間ではないな」と告げるオイレンベルク准将。こういう皮肉めいた遣り取りってのはやっぱりそれなりの場数を踏んでいないと難しいよな。俺達はそういう部分を見て学ばないといけない。
「育ちはここよりもうちっと東だな。生まれは覚えてねえ」
「東、ねぇ」
敢えて「東」の部分を強調する准将。それを聞いて俺も何となく出身地の予想がついた。東というのは何もハイラント皇国内とは限らないだろう。さらに東、ということも充分に考えられる訳だ。
「まあそこは今は置いておきましょう。いずれはっきりすることです。……ところであなた、今このスラムを取り仕切っていると仰いましたね」
「ああ」
「では当然、ポーションとやらの違法取引のこともご存知で?」
「いや、そいつは知らねえな。最近どうもこの辺りに違法な商人どもが蔓延ってるらしいからな。新しく入ってきたような奴らが俺の管理を外れていても不思議ではねえな」
よくもまあ堂々と白々しいことを言えるな。嘘も方便とはよく言ったものだ。こいつは明らかに知っている。
「では何故、あなたはここへいらしたので?」
「あん? だからさっきも言っただろう。俺はウチの人間が迷惑を掛けたから…………ッ、クソ。お前ら!」
まあ、こうして誘導してやれば
……流石はオイレンベルク准将、伊達に経験を積んでいない。
「相手は特魔師団だ。嘗めてかかると死ぬぞ。いずれにしろ、もうバレてんだ。アレを使え!」
「えっ、ボス! 本気で? それをやったら二度と言い逃れなんてできなくなりますぜ」
「奴らは俺らが黒だって確信してんだよ。今更隠したって遅いってことだ。助かりたいなら奴らの口を封じるしかねぇ!」
「…………うす」
ゴソゴソと奴らが腰のポーチやポケットをまさぐり、全員が小さな瓶のようなものを取り出す。
「あれが『ポーション』?」
「多分な」
このタイミングで取り出す、ということに何か嫌な予感がする。増強薬とか興奮剤とか、きっと碌でもないものだ。
「二人とも、戦闘準備」
「「はい」」
オイレンベルク准将の指示で俺達は体内の魔力を練り上げ、戦闘態勢に入る。
イリスが魔法陣を展開し、俺は『纏衣』を発動する。
――――ドクン、ドクン。心臓が拍動する度に俺の視界が冴え渡り、身体の奥から力が漲ってくる。
「っ……行くぜ」
こちらが戦闘準備をしている間に、男達がポーションを飲み干してしまう。心なしか、奴らの目が血走っているように見える。
「……シュタインフェルト曹長。攻撃を許可します。奴らが一歩でも動いたら攻撃して下さい。あの瓶の中身……不確定要素がありますので、この際致命傷でも構いません」
「了解」
数秒、沈黙が流れる。
次の瞬間、異様な雰囲気を纏った男達が俺達を襲うべく、一気に飛び出してきた。
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