第34話 ω

 風呂から上がった俺達は、寝間着に着替えて冷たい果実水を飲んでいた。この果実水、レモンのような酸味と、ほんのりとした甘さが特徴的なトカナの実という果実を天然水に浸して作るのだが、冷蔵庫のような魔道具で冷たく冷やしてあるので、とてもスッキリとしていて夏にぴったりなのだ。街中ではレストランなどで提供されることが多く、一般家庭にはあまり普及していない。冷却用の魔道具は本体価格もさることながら、維持費も充分高いため、庶民にはなかなか手が届かないのだ。貴族の味である。

 そんな果実水を飲みながら、俺はひたすらリリーの話を聞いていた。


「それでね、やっぱりわたし、わるいのはその商人だとおもうの。いくらお父様が手をださないのがわかってるからって、あれはぶれいだわ」

「うん、それは市井の民にあるまじき無礼な所業だな。身分を弁えろと言うものだ。許すまじ許すまじ」


 適当に相槌を打って聞き流す俺。というか、さっきまでお互いに全裸を晒していたのに全く羞恥心を覚えずにこうして話しているリリーが異常なのだ。いくら子供だからって、普通に男女だったら裸は恥ずかしいと思うんだけどな!?


「わたしはね、ルールはまもるべきだとおもうの。ちがうかしら?」

「何も違わないね。意味のないルールならともかく、大抵のルールにはちゃんとした理由があるのだから」

「そうよね! やっぱり自分たちだけズルしようったってそうはいかないのよ」


 どうやらリリーの父親、ベルンシュタイン公爵閣下の治める公爵領にも、あまり性質のよくない商人が出没するらしい。リリーの話では、違法スレスレの手を使ったりして阿漕な商売をする商会があるそうだ。それも大資本だと言うから厄介である。


「そんな商会なんてぶっつぶしちゃえばいいのに……」

「リリー、権力に任せてそんなことをしたら、それこそ俺達貴族が悪者になっちゃうよ」

「わかってるわ。でもなんかひきょうでスッキリしないわ……」

「まあ公爵閣下も指を咥えて見ているわけじゃないだろうから、その辺は問題ないと思うよ」


 我が辺境伯領においても、怪しい活動や脱法行為に手を染める者はいる。人が集まれば必ずそういう負の面も出てくる以上、それらを上手くコントロールして被害をできるだけ出さない政治手腕が統治者である俺達貴族には問われる。

 当然、数百年の歴史を持つ我が家にもそういう輩を取り締まるノウハウが引き継がれており、ここハイトブルクが大きな被害を出したことはほぼ無かった。それは別に我が領に限った話ではなく、ベルンシュタイン公爵家にも言えることだろう。むしろファーレンハイト家よりも歴史が長い分、その手のノウハウの蓄積は我が家以上とも言える。


「そうね。お父様なら安心ね。ふあぁ、安心したらなんだかねむくなっちゃったわ。ハルくん、いっしょにねましょ」


 リリーが欠伸をしながらそう言ってくる。こういうところはやっぱりまだ子供だ。かくいう俺も身体は紛れもなく子供なので、同じく眠くなってきたところだ。


「一応、リリーのための部屋はあるんだけど、戻らなくてもいいの?」


 男女七歳にして席を同じうせず、とも言うし、結婚前の良家の娘が男と同衾するなど社会通念上許されないと思うのだが。


「いーの。ハルくんはいや?」

「ぜーんぜん」


 (俺の精神的に)一緒に風呂はともかく、一緒に寝るくらいなら全然問題ないだろう。不埒なことなんて6歳の身体じゃできよう筈もない。というかそもそも俺達はまだ6歳だしな。7歳じゃないのでフトンを同じうしても無問題というわけだ。


「ふかふかー」


 いつも俺が寝ているベッドに飛び乗ってゴロゴロ転がるリリー。どうやら彼女は転がるのが好きらしい。前会った時も芝生で転がってたしな……。


「疲れたからすぐ眠れそうだね」


 この世界、文明レベルが中世に毛が生えた程度の前近代クオリティなので、正直転生した時には布団もかなり重くて硬いんだろうな、と想像していた。しかしいざ生活してみると、これが思ったよりも遥かに心地よいのだ。それこそ前世で俺が寝ていた、二卜リで買った木の板の上に布団を敷くタイプのベッドなのか布団なのかよくわからないアレに比べたら遥かに寝心地が良い。

 もちろん貴族という身分も関係しているんだろうが、睡眠の質で言えば今世は確実に前世の水準を上回っていた。これが噂に聞く真実の眠りトゥルー・スリープか……。

 そして俺のベッドはやたらでかい。金持ちのベッドはでかいイメージがあるが、6歳児には無意味なほどにでかかった。相撲取りや海外のラグビー選手でも余裕で二人並んで眠れるだろう。子供が二人など余裕のよっちゃんである。


「あなた……」


 いかがわしい声を出して、薄い夏用ブランケットをめくって俺をベッドに誘うリリー。一体どこでそんなことを覚えてきたのだろうか。


「そういうのは十年後にやってちょうだいな」


 十年後なら俺とリリーは16歳。この世界の文化的に、結婚していてもおかしくはないだろう。結婚しているなら同衾しようがナニしようが周囲には何も言わせない。というかむしろお家繁栄的な意味で、そういうことはしなきゃ駄目だろう。

 ふわふわの緩やかなパーマのかかったプラチナブロンドに、きめ細やかな白磁の肌。透き通った碧の瞳に、ビスクドールのように整った可愛らしい顔。そして俺と楽しそうに一緒にいてくれる性格。これを十年後には好き放題できると言うのだから、俺は恵まれている。ぐへへ……。

 俺が布団に転がると、リリーが寄ってきて抱き着いてきた。布団はまだまだ広いのだが、リリーは密着していたいらしい。


「ふあ、おやすみ……」


 そう言って目を閉じてしまうリリー。子供特有の高い体温と女の子らしい柔らかい感触が俺を悩ましい気持ちにさせる。ダメだ、相手は子供、相手は子供……。


「おやすみ」


 そろそろ俺もうつらうつらとしてきた。隣のリリーのせいで精神は昂ぶっているが、肉体は限界のようだ。俺は抱き着いてくるリリーの手を握って、目を閉じた。



     ✳︎



「ハル様、おはようございます。朝でございますよ」


 俺を呼ぶ声がする。せっかくの心地よい睡眠の時間を邪魔しないで欲しい。


「ほら、起きてください。今日が始まりますよ」

「んあー、うるさいなぁ」

「お外は明るいですよ!」


 シャッ、とカーテンを開ける音がして、一気に目の前が明るくなる。どうやらメイドのアリサが俺を起こしに来たらしい。


「リリー様も起きてください。たいへん危ない体勢になっておりますよ」

「……危ない?」


 だんだんと冴えてきた意識をフル稼働して目を開いた俺が見たものは、半分はだけた白いパジャマとプリプリのお尻、そして可愛らしい女児のアンヨであった。ん?


「な、何じゃこれは……」


 完全に目が覚めた俺が見たのは、普通に横を向いて寝ていた俺の胸に乗って、ちょうど俺と上下逆さまになるようにして寝ていたリリーの姿だった。俺の顔の目の前にはリリーの股があるし、俺の股間には危ないところに顔を埋めて寝ているリリーの顔がある。


「こ、これは拙いな」


 こんな、前世で親に隠れてこっそり見た大人向けビデオみたいな格好、公爵令嬢がしていい筈がない。間違いなく事案である。


「拙いんだけど……これはこれで……」

「ハル様……何言ってるんですか。寝ぼけてるんですか?」


 酷い言われ様だ。別に婚約者なんだしいいじゃないか。


「んー、ハルくん……すきよ……」


 寝ぼけて告白してんのか、それともお友達として好きなのか、いずれにせよ好意的な感情を暴露してくれるリリー。可愛いのだが、アリサの俺を見る目が鬱陶しい。


「よかったですね、ハル様」

「そのニマニマした目をやめてくれ」


 温かい目とはこういうものを言うのだろうな、とか考えながら、俺はリリーのプリケツをぱしぱしと叩く。


「ほれ、リリーちゃんや。起きなさい。格好がはしたないぞ」

「んぅ……あと5分……」


 お前は社畜か学畜か、などと思いながら、しかしリリーが起きないことには俺も起き上がれないので、俺はそのまま彼女の柔らかい尻をぺしぺしと叩き続けるのだった。

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