第32話 婚約者からの手紙
メイと一緒に魔力タンクを開発してから数ヶ月が経った。季節は春から夏に変わり、日本の真夏ほどではないにせよ、そこそこ蒸し暑い日が続く毎日だ。とはいえ冷房が必要なほどでもない。日影で風通しさえ良ければ比較的快適なのが救いといったところだろう。
南部の海に面している地方では、気温も高ければ湿度も高いので色々と大変だそうだ。まあその分冬は暖かいらしいので、冬が寒く夏が涼しいファーレンハイト領と比べてもどっちもどっちと言えばそれまでなのだが。
そんなことはさておき、俺とメイの近況についてだ。俺達が開発した魔力タンクだが、あれはどうやら俺が予想していた以上に画期的な発明だったらしい。
商業ギルドに「ノーム=ジェネラル」名義で親方が持って行った瞬間、あっという間に魔法ギルドにまで話が伝わり、なんと商業ギルドの仲介で魔法ギルドと専属契約を結ぶことになってしまったのだ。なんでも、新しい魔法の開発、実証実験に役立つたいへん重要な意義があるんだとか何とか。詳しいことは魔法ギルドのメンバーではないのでよく知らない。
現状、魔力タンクの製作は魔力を正確に知覚できる俺とそれに合わせて精密な加工のできるメイにしか難しい。商業ギルド、魔法ギルド、職人ギルドから選ばれた選りすぐりの製作チームが現在、特許料を払いつつ何とかして量産体制を確保しようと試行錯誤しているようだが、彼らが製作可能になるまでの間、全ての製作は開発者である「ノーム=ジェネラル」が請け負うことになる。当然、価格も吊り上がることとなり、気がつけば俺とメイは一般庶民の生涯年収くらいの大金を稼ぐようになっていたのだ。
あまりの売れ行きと技術的価値に、親方も娘の実力の凄さを実感したらしく、目下のところ魔力タンクの製作を弟子達に課して鍛治稼業は一旦お預けになっているようだ。メイの荒稼ぎと仲介手数料で、アーレンダール工房は突然降って湧いた好景気にウッハウハらしいと聞いた。ただ、その儲けを全て技術開発に投資するところが職人らしい。工房の将来が楽しみだ。今の内に株でも買い占めておこうか……。
そんなこんなで、豊富な資金をアーレンダール工房の設備や人員の投資に回したり、あるいはファーレンハイト家の敷地内にある俺とメイの専用工房の設備をより充実させたりしながら、多忙なメイは魔力タンクの製作の合間を縫って新しい魔道具や武器をどんどん発明している。俺の現代的知識とメイの悪魔的センスのコラボレーションは留まるところを知らず、気がつけば新しい商品が魔法ギルドや商業ギルドから市場に出回るなどしている有様だ。
ちなみに明らかに世界の軍事バランスを崩壊させかねないような銃とか大砲みたいなものは、危ないのでまだ世間には公表はしていない(作ってないとは言っていない)。そういうのは俺が北将を継いで、必要があると判断した時に公開すればいい話だ。
もちろん作らないのと作れないのでは全く別の話なので、開発を怠ることはしない。俺が転生するといった具合に、何が起こるかもわからない異世界だ。いざという時のための備えは必要だろう。俺は石橋を叩き崩して新しく鉄骨の橋を架けてから渡る主義なのだ。
そんなある日、オヤツでもつまみ食いしようと自分の部屋から出ると、廊下を歩いていた姉とばったり出くわした。
「あっ、姉ちゃん」
「ハル」
この俺より二つ歳上の姉貴、名をノエル・エカテリーナ・フォン・フレンスブルク・ファーレンハイトと言う。たいそう気が強く傍若無人で我儘な彼女に、俺は日々イタズラをされたりして困っていた。無邪気だから怒ろうにも怒れない。怒ろうと思わないギリギリを攻めてくるのだから、ある意味才能だと思う。
「ハル、どうしたの?」
普段は家庭教師と勉強をしているか、庭で駆けずり回っているか、あるいは街の外へ出掛けている俺が家にいたから驚いているのだろう。別に俺だって休まない訳ではないのだが。
「腹減ったからオヤツでも摘んでこようかなと」
「あら、それはいいわね! どうせなら料理長に何か作ってもらいましょ」
そう言ってノエルが俺の腕をひっ掴んで部屋から引きずり出す。相変わらず遠慮を知らない人だ。
「パウンドケーキとか食べたいわね」
「寿司食いてえ……」
「スシ? 何よそれ」
思わず日本人時代に好きだったものを口走ってしまう俺。
「酢を混ぜた米の上に生の魚を乗せたやつ」
「何それまずそう……」
確かに寿司って調理過程だけ聞くとメチャクチャまずそうに聞こえるから不思議だよな。あんなに美味しいのにな……。
この世界、基本が西洋なので、デミグラスソースや異国風のスパイスなんかはあっても醤油や味噌は聞かないのだ。幸いにして食文化は比較的豊かなので苦痛ではないのだが、懐かしの塩分多めの和食が恋しい。南部や島嶼部には米を食べる文化もあるらしいので、その内商会とかに依頼して是非取り寄せたいものだ。
ノエルに引き摺られて厨房まで向かっていると、応接室の扉が開き、中から人が出てきた。どうやら来客があったらしい。
「おや、小さい紳士と淑女がいらっしゃる」
中から出てきたのは、上品な服を着こなしてはいるものの、のっぺりと作った笑みが張り付いて本音が見えないような、不気味な男だった。口調は丁寧だが、内心何を考えているのかいまいち読み取れない。たまにいるんだよなぁ、こういうの。俺は苦手だ。
「私の娘と息子だ」
続いてオヤジが出てきて、俺達の紹介をする。オヤジも表面上は笑顔を繕っているようだが、長年近くで見てきた俺から見ればあまり上機嫌でないのは明白だった。
「そうでいらっしゃいましたか。お嬢様は可愛らしく、お坊ちゃまは聡明そうだ。辺境伯様の血を引いていらっしゃる」
「世辞はよせ。取り敢えず話は確認した。我が領の法に従っていただければ当主として特に介入することはない」
「ええ、もちろん承知しております。こちらとしても商売させていただく上でご挨拶に伺うのは当然のことですから……。それでは失礼」
そう言って慇懃無礼な商人の男は執事に案内されて屋敷を去っていく。何とも言えない空気がそこに残った。
「……エーベルハルト」
「何?」
「特に証拠がある訳では無いんだがな。最近、巷で後ろ暗い話が噂に流れているようだ。お前はよく街に出掛けるからな。一応、気を付けておきなさい」
「わかったよ。自分の身は自分で守らなきゃだしね」
「まあお前なら大丈夫だろう。俺もそれに関してはそこまで心配していない。……ノエルも街に出るのは控えるようにな」
「私は街に行く用事なんてないもの。友達や商人はうちに呼べばいいんだわ」
「お前はそのままでいた方が良い」
何とも自己中心村のような気もするが、こと貴族に関して言えばそちらの方が実は都合が良かったりする。お忍びで街に出掛けるというのは、警備の人間からしたら気が気でないだろうし、街の商人にしても、自分の店で何か問題でも起きようものなら文字通り首が飛ぶ。その点、人を館に呼ぶ分には安全上のリスクも限りなく低くなるし、コストもかけられるので商人達民間への還元率も高くなる。
庶民に金を還元し、かつ問題を起こさないという意味ではむしろノエルの方が正しいのだ。俺が自由に街を出歩いているのは、あくまで黙認されているに過ぎない。許可は出ているものの、本来ならば館に閉じこもっているのが普通なのだ。俺の場合は俺自身が強く、それこそドラゴンか北将でも呼ばない限り害することのできる者が存在しないので、自由度が高いのである。強いって素晴らしいよね!
「そう言えばエーベルハルト、お前宛に手紙が届いていたぞ」
「手紙?」
誰だ。俺にペンパルなぞいなかった筈だが。もしや販促DM……。
「リリー?」
販促DMではなかった。普通に友達、もとい婚約者からの手紙だった。
「何々……?『お久しぶりです。エーベルハルト様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます』……って恩師への手紙かよ」
残念ながら俺はまだ恩師と呼べるほどの人間に出会ったことはない。オヤジは俺の武術の師匠でもあるが、オヤジはオヤジだしな。実家暮らしなので、手紙なぞ書いたりはしない。
「『さて、こんな風に形式張って書くのもいかがなものかと思うので、単刀直入に書くことにするわ。最近暇だから、今度そっちに遊びに行くわね。以上』……はぁ〜、リリーらしいや」
字がやたら丁寧で、大人っぽい口調なのはおそらく側にメイドか家庭教師でもいたからだろう。6歳児の文章を無理やり大人に書かせたような、そんな体裁だ。
「リリーちゃんが遊びに来るのか。それは良いな。婚約者とはできるだけ仲良くしておくことだ。将来が円満になるぞ」
「流石、イチャラブ円満夫婦の言うことは違ぇや……」
「へー、リリーちゃんね。私、まだ会ったことがないから会ってみたいわ!」
「まあ女の子同士仲良くできるといいね。幸い、気も合いそうだし……」
お転婆なリリーと理不尽な姉。駄目だ。俺が挟まれて潰れる未来しか見えない。
「で、今度って、つまりはいつ来るんだ? ……『到着は精霊祭の三日前になると思います』って、今日じゃん!」
毎度毎度、急すぎると思うのだが。
「何でも、手紙を出した次の日には出発したらしい。公爵からの手紙にそう書いてあった」
「思い立ったらすぐ行動するなんて、まるでハルみたいね」
「似た者同士ってことだな」
「迎える準備しなきゃ……」
取り敢えず、新しい発明品や秘密基地を見せるとしよう。最近の俺はほとんどそういうことにしか時間を費やしていない。
俺は久々にリリーに会うことを楽しみにしつつ、どうやってもてなそうか考え出した。
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