第18話 女を家に連れ込んだ

 次の日の午後。荷車を手に入れた俺は、手ぶらの状態でメイの家にやってきていた。


「メイー、いるかー?」


 遊ぶ約束はしていないが、まあ駄目なら駄目で帰って別のことをすれば良いだけなのであまり期待せずに声をかけてみる。

 そのまましばらく待っていると、ドドドド、と階段を下りる音がして、工房の中からメイが飛び出してきた。


「ハルどの! おひさしぶりであります!」

「お久しぶりって、一日空いただけじゃないか」

「ハルどののほかに友だちのいないわたしには長かったんですよ!」


 一瞬、俺と一緒じゃん、と思ったが、そう言えば俺にはリリーがいたことを思い出した。まあ、リリーは友達と言うよりは許婚、あるいは彼女と言った関係性の方が近いような気もするので、忘れていた俺が薄情なわけではない。ないったらない。


「それは申し訳ない。まあ俺も毎日来れるわけじゃないからな」

「むしろわたしがむかうほうがよいのでは?」


 そういう問題でもないのだが、取り敢えず今は用件があったのでそちらを伝えることが先だ。


「それなんだけどさ。メイ、うちに来ない?」

「ハルどののおうちでありますか?」

「うん。まだ招待してなかったし、あとちょっと手伝ってほしいことがあって」


 そう言うと、メイはニコーッと笑顔になった。


「行くであります! ちょっとまっててください」


 言うが早いか、メイは家の中に引っ込んでしまう。そのまま数十秒ほど待っていると、メイは紙袋を持って帰ってきた。


「何それ?」

「おかしであります。おじゃまになるので」

「いいの? お菓子って甘いから高いよね」


 この世界で砂糖は高級品だ。ファーレンハイト領では甜菜てんさいのような植物が栽培されているため、他の領地に比べたらやや安い方ではあるだろうが、それでも普段の料理にひと味加える程度の使い方が主流だ。砂糖をふんだんに使ったお菓子なんてものは高級品であって、庶民が口にする機会はあまりないだろう。


「いえ、あまいおかしではないのです」

「甘くない?」


 煎餅みたいなものだろうか。そんなオリエンタルなお菓子があるとは知らなかったが。


「ドワーフの国でたべられているおかしであります。このへんだとあんまりみないかもです」

「なるほどね。そいつは楽しみだ。ありがたくいただくよ」


 納得のいった俺はメイと連れ立って実家(領主の館!)の方へと歩いていく。最初は楽しそうにしていたメイだが、だんだんと周りの建物がハイソサエティなものになっていくにつれ、口数が少なくなっていく。


「ま、まだでありますか?」

「んー、まだかな」

「なんだかとってもお上品なまちであります……」

「そうだね。こういう建物の一番上の階に住んでみたいね」


 この辺りの建物は低くても二階、高い建物なら五階六階にも達する高さだ。当然、縦に高い分、一階あたりの面積はそれなりに広く取ることが可能となっている。まあ日本で言う2LDKくらいの部屋に住める筈だ。その代わり家賃は月30万とか40万とかするんだろうけど……。

 この国の通貨単位が「エル」で、肌感覚的に1エルは約1円くらいの価値がある。書斎の資料を読んだ限りでは、ハイトブルクの庶民の平均所得は月15万エルくらいらしい。郊外に住む農民はそれより若干少ない程度だ。まあ農民は食事に関してはほとんど自給自足なので、それで問題はないようだ。月15万エルと言っても物価が低いので20万円分くらいの価値はありそうだが、いずれにしろ庶民がこのマンションに住むのは難しいだろう。夫婦共働きでも家賃しか払えないようでは飢え死にしてしまう。

 まあ、要するにこの辺りは非常に金持ちが多い。鍛治師は専門技能を要求される職人なので庶民の中ではそれなりに稼いでいる方だとは思うが、流石に上流階級に届くことはないだろう。中産階級上位が関の山だ。メイがハイソな街並みにやや居心地の悪さを感じたとしても、無理のない話である。

 けどね、メイ。君は今からもっとヤバいところに行くんだよ……。

 内心でちょっとの申し訳なさと意地悪さを感じつつそんなことを考えていると、何か不穏な気配を感じたのか、メイがこちらを振り返ってくる。


「?」


 取り敢えずにっこりと笑って誤魔化しておく。同時に逃げられないように手も繋いでおく。するとメイもにっこり笑って、俺の手をぎゅっと握り返してきた。かわいい……。

 リリーの時とはまた違ったトキメキを感じつつ、決して逃がさぬようメイの手をしっかりと握って俺は歩き続ける。

 そして歩くこと約十分。上流地区、公共地区を抜けて俺達はついに領主の館の正門前に到着した。


「あれ? おうちはどこでありますか?」


 周囲に家が無くなってしまったので不思議に思ったのか、辺りをきょろきょろ見回して首を傾げるメイ。そんな彼女に、俺は正門を指差して言った。


「ようこそ、我が家へ」

「ほあ?」


 門番に挨拶して、門を開けてもらう。ギギギ……、と音を立てて立派な正門がゆっくりと開いていく。

 友達を家に呼ぶ、という前世も含めて人生初の試みは、半ばなし崩し的にではあったが、なんとか成功したようだ。



     ✳︎



「ででででっかいおしろであります!」


 お城というか、館と表現した方が近いような俺の実家を見てメイがはしゃぐ。

 我がファーレンハイト辺境伯家の館は、いわゆる「お城」と聞いてイメージするようなシンデレラ城とかドイツのノイシュヴァンシュタイン城みたいな高層建築タイプの城ではない。近いのはフランスのシャンボール城とか、ヴィランドリー城のような横に広いタイプの城だ。宮殿と言った方がイメージに近いかもしれない。

 まだ俺が日本に生きていた頃、洋の東西を問わず城に興味があって、各国の城について調べてみたことがある。今の家はその時に綺麗だな、と思った城にそっくりだったので、ここに住む人間としては非常に心踊る毎日だったりする。

 ただまあ、性根がウサギ小屋住宅住まいの日本人だからか、敷地が広すぎるというのはどうも性に合わない。隣の建物に行くだけで散歩になってしまうし、雨なんか降ろうもんなら最悪だ。せめて建物と建物の距離だけは近づけてほしかった俺である。


「は、はははハルどのはおうじさまだったのでありますか!?」

「皇子様ではないよ。皇子様は皇都にいらっしゃるからね」

「ではおきぞくさまですか?」

「うん。俺の本名はエーベルハルト・カールハインツ・フォン・フレンスブルク・ファーレンハイト。ファーレンハイト辺境伯家の長男だよ」

「ははーっ」


 俺が本名を名乗ると、メイはその場に膝をついてぺたーっとひれ伏してしまった。ご丁寧に腕まで伸ばしていて、なんだかまるで漫画のような所作だ。というか、実際にコレやる奴初めて見たぞ。地面が芝生で服に土が付かないのが幸いか。


「えっと、メイちゃん? メイル・アーレンダールさん?」

「ははーーっ!」


 どうやら、貴族に関して間違った知識を持ってしまっているようだ。ひょっとしたら変な喋り方も同じようなところから来ているのかもしれない。メイの過去に何があったのか、若干気になる俺である。


「面を上げよ」

「ははーっ」


 万歳したような体勢になりつつ、ちゃんと表を上げるメイ。なんだか面白い。


「……えっと、普通にしてくれると助かるかな」

「ふつうに、でありますか?」

「うん。だって俺とメイは友達だろ? なら身分なんて関係ないよ」

「……たしかに、われわれはお友だちであります!」


 かしこまったメイに笑顔が戻る。

 うん、やっぱりメイは笑っていた方が可愛いな。


「さて、メイを呼んだのには訳があるんだ」

「訳?」

「ン、まあ友達を家に呼ぶのに理由は要らないから、厳密にはこのタイミングで呼んだ訳、かな」

「はあ。なんでしょう」


 頭にハテナを浮かべたメイが可愛らしく訊ねる。


「荷車をね、改造したいんだ」

「にぐるまでありますか」

「うん。ついてきて」


 荷車を置いてある裏庭へとメイを連れて行く。

 俺が今日メイを呼んだのは、荷車を改造したいからだった。昨日貰った荷車は、確かに丈夫で良い作りをしていたのだが、いかんせんこの世界の技術力なので車輪を回す時の抵抗がそこそこ大きかったのだ。一応、車軸には何らかの毛皮と脂らしきものが塗られていたのだが、現代日本の車輪と比べるとやはり動かしづらい感じは否めなかった。

 だから俺は異世界転生の醍醐味こと、現代知識チートをしたいと思ったのだ。作りたいのはボールベアリング。別名、玉軸受というこの機構は、金属製のリングとリングの間にこれまた同じく金属の玉を挟んで閉じることで、回転時の摩擦抵抗を下げて小さな力で回転させることができるようになるという代物だ。意外に地球での歴史は古く、この世界の技術力でもやってやれないことはないと思うわけだ。きっとこれなら荷車の車輪の性能をより良くしてくれるだろう。

 とはいえ、知識こそあれど、俺本人には金属の加工技術はない。そこで出番なのが、数日前に鍛治師デビューしたメイというわけだ。


「メイには、これから俺の言う通りにあるものを作ってほしいんだ」

「わかりました! なんだかおもしろそうであります!」


 一応、メイが嫌そうなら辞めておこうかと思っていたのだが、初めて聞く工作の話にメイもなんだか楽しそうだ。これなら上手くいくかもしれない。

 早速、俺はボールベアリングについて、図を用いて構造を説明していく。フムフムと真剣に聞くメイの目は輝いている。


 まさか、これがのちの大発明家を生み出す瞬間になろうとは、この時の俺は予想だにしていなかった。

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