第17話 50キログラムの秘密

 さて困った。このグリーンボアをどうやって持って帰ろうか。見た感じ、軽く300キロはあるだろう。「身体強化」したとして、到底持ち帰れる重さではない。


「参ったな……。荷車でも持って来ればよかったかな」


 とはいえ、持ってこなかったものは仕方がない。取り敢えず解体して、内臓や脚のような価値のない部分は捨ててしまおう。革の袋ならあるので、最低限の素材だけ持ち帰るのだ。

 ポーチの中から革袋とメイ製のナイフを取り出した俺は、周囲を警戒しつつグリーンボアの解体作業に取り掛かる。

 ザク、と刃物が魔物の皮を切り裂いていく感触がダイレクトに伝わってくる。


「考えてみれば、動物の解体作業なんて前世を含めてもこれが初めてだな」


 一応、知識としてはある。辺境伯家の書斎には魔物の解体の仕方を記した本もあったからだ。ただ、知っているのと実際にやってみるのではやはり勝手が違うようだ。思ったように肉や皮が切れず、なかなか煩わしい。


「これを熟練の猟師や冒険者は一瞬で解体しちゃうんだから凄いよなぁ」


 肉屋や魚屋、料理人もそうだ。プロの包丁さばきや解体風景はとても鮮やかで、見ていて飽きない。それに引き換え、初めてとは言え俺のこの解体は……。


「あー……」


 見事に凄惨な殺人現場が出来上がっていた。いや、解体したのは猪だからではないんだろうが、いずれにしろあまり6歳の子供が目にしていい現場ではない。

 臓物は散らばり、赤い池が広がっていて、鉄臭い臭いが辺りに充満している。心なしかおどろおどろしいオーラも漂っているような気がする。


「は、早く帰ろう。他の魔物を誘き寄せることにもなりかねないし」


 魔物の死臭は、肉を求める他の魔物を誘き寄せる餌にもなるのだ。こんなところ、さっさと引き払う以外に選択肢はない。

 俺は急いでグリーンボアの牙、毛皮、ヒレ肉、ロース肉などの価値の高い部分を革袋に詰め込んでいく。流石に300キロ超の巨大を全て持ち帰るわけにいかない以上、随分と厳選することになったが、おかげで一番美味しい部分の肉だけを持ち帰ることになったので味は相当期待できる。毛皮や牙は、生まれて初めて狩った魔物なので、職人になめしてもらって記念に取っておこう。


「うっ、お、重いな……。ふんっ、『身体強化』!」


 厳選したとはいえ、革袋の中身は軽く40キロはあったので、「身体強化」をしてから背中に担ぐ。とはいえ重たいものは重たい。いくら魔法で強化していたとしても、6歳児には40キロという重さは重すぎるのだ。

 次からは荷車なり何なりを調達してから来よう、と固く決意する俺だった。



     ✳︎



「ええっ、これをハル君が捕まえたの!?」

「エーベルハルト、お前マジか」

「ぼ、坊っちゃま……」

「ハル様…………」

「ハル、すごーい!」

「はうにーすごい」


 帰宅して調理場に肉を持っていったところ、母ちゃんをはじめ、オヤジ、料理長、アリサ、姉貴、弟の皆が驚いていた。何せ40キロだ。牙と毛皮があるので実質肉は30キロくらいだとは思うが、それにしても多いだろう。家族六人では到底食べきれる量ではない。おそらくファーレンハイト家の使用人全員にたっぷり食べられるほど賄ったところで、足りないということにはならないだろう。


「料理長さん、これ、使用人達にも振る舞ってあげて欲しいんだ」

「良いのですか? こんな立派な部位、我々にとっては滅多に食べられないほどのものなんですよ」

「まあ、それは役得ってことでさ」

「そう言っていただけるなら是非ありがたくいただきます。その分、明後日の夕食は期待しておいてくださいね。最高の牡丹肉料理を用意させていただきます」

「明後日? 今日じゃないんだ」

「ええ。例えば魚であればその日の内に食べたほうが美味しいのですが、肉に関してはある程度熟成させたほうがより味に深みが出るのです」

「へえ、なるほどな」

「グリーンボアは今くらいの時期がちょうど旬ですから、比較的熟成時間は短くてすみますよ。冬を越して無駄な脂が落ちきったところへ、春の恵みを受けて少しずつ脂が乗ってきた段階の肉です。締まりのいい肉と、それを引き立てるようなとろける脂が霜降り状に乗っていて、最高に美味しいんです」

「「「おおお……」」」


 料理長の解説を聞いた家族が全員、期待に目を輝かせて感嘆の声を漏らす。


「ですがそれは明後日の夜です。今日はシウス魚の塩風味ソテーでございますよ」

「シウス魚か。あれも美味くて好きなんだ」


 シウス魚とは、ここファーレンハイト領に流れる河川や湖に広く生息する全長一メートルあるかないかくらいの大型の淡水魚だ。川魚なので味自体はやや淡白なのだが、これに塩を振って焼いて食べると非常に美味しくて最高なのだ。


「それでは早速、熟成作業に入らせていただきます。失礼」


 そう言って料理長は包丁を取り出し、俺が適当に捌いた肉を丁寧に切り出し始める。最高の状態の肉を前にした料理長は、集中でもう周囲が見えていなさそうだ。


「さて、俺達も戻るか」


 オヤジの合図で、俺達も厨房を後にする。料理長の邪魔はできない。

 と、そこでふと思い出した俺はオヤジに声を掛ける。


「ねえ父さん。どっかに荷車ってないかな。あるいは馬車でもいいんだけど」

「荷車か。悪いが場所までは知らんな。だが管財係なら知ってるだろう。俺の許可があるってことで、好きにしろ」

「わかった。ありがと」


 管財係は使用人館の管財課にいる。そこの人に訊けばまず借りられるだろう。今日持ち帰ったグリーンボアの素材は40キロだが、それでもあと260キロほどは捨てて帰ってしまっていた。今頃取りに戻っても、もう他の野生動物やら魔物やらに食い散らかされていて遅いだろう。85%の損失は大きい。

 なので、できたら素材はまるまる一匹分、持ち帰りたいのだ。現地での解体も危険だし、何より面倒なのでやりたくはない。

 そこで用意するのが荷車だ。荷車なら素材はまるまる持って帰ることができるし、そのまま冒険者ギルドに運び込めば未解体でも引き取ってくれるだろう。多少解体料金は差し引かれるだろうが、それでも40キロしか持ち帰れないことに比べたら収入の増大は確実だ。実際、外での解体は危険なので、荷車で素材をまるまる持ち帰って街で解体するという冒険者も数多くいるらしい。街の外れにある解体小屋に運び込まれる素材と冒険者、解体請負人達の出入りは密かにハイトブルクの街の名物として有名だ。


「アリサ、管財係に会いに行こう」

「はい、ハル様」


 俺はアリサを引き連れて使用人館へと赴く。使用人館は俺達家族の住む本館からはやや離れていて、歩くには若干遠いのだ。


「広すぎる家ってのも考えものだな」

「そうでしょうか? 立派で素敵だと思いますが」

「持たざる者は皆そう言うのだ」

「なんですか、それ。誰の真似です?」

「俺の名言だよ!」

「ハル様……」


 なんて下らない会話をしつつ歩いていれば、あっという間だ。散歩でもないのに一人で歩くには遠いが、こうして話している分にはさほど気になることはない。そういう微妙な距離にあるのだ。使用人達も大変である。


「さてと、管財課は……」

「こちらですね」

「流石本職は違うね」

「まあ私も使用人の端くれですからね」


 アリサに案内されて、俺は管財課の扉を叩く。


「はい、開いてますよ」

「失礼〜」


 そう言って俺は管財課の扉を開く。


「おや、エーベルハルト様。いかがなさいました?」


 何人かいる内の、一番奥の机に座っていた中年の管財係のおっさんが立ち上がって訊ねてくる。


「荷車を探してるんだけどないかな。できたら結構大きいやつ。大人が一人で牽けるくらいの」

「荷車ですか。大人が一人で牽くサイズとなると……ああ、確か第二倉庫の方に。おい、アンソニー。第二倉庫までご案内しろ」

「はい、課長。……では、エーベルハルト様。ご案内しますので、どうぞこちらへ。アリサも一緒に」


 アンソニーと呼ばれた若手の使用人がそう言って案内してくれることになった。いきなり押しかけて悪いね。



     ✳︎



「荷車というとこちらにあるもので以上になりますが、いかがでしょう」

「おっ、これいいじゃん。結構大きくて丈夫そうだ」

「その、失礼ながらエーベルハルト様には随分と大きいように思われますが、それでよろしいのですか?」


 心配そうにアンソニーが訊ねてくる。


「俺は『身体強化』が使えるから」


 あとついでにもう一つ、荷車に改造を施すつもりだが、それはまだ構想段階なので言わない。


「なるほど、流石はファーレンハイト家の血でございますね。そのお歳でもう魔法をお使いになられるとは」

「褒めても給料しか出ないぞ」

「あれだけ多くの給料がいただけるなら他に欲しいものなどございませんよ。こうしてお仕えさせていただいて光栄でございます」


 やはり我が家はホワイト企業のようだ。きっとファーレンハイト辺境伯領の中でも一番人気の就職先だな。


 その後、礼を言ってアンソニーと別れ、俺は荷車を牽きながらアリサと本館へと戻る。その道すがら、ふと気になってアリサに訊ねてみた。


「アリサも結構貰ってんの?」


 これ、ハラスメントにならないよね、と言ってから気づく。まあアリサだし大丈夫だろう。


「まあ一応、ハル様の専属メイドですからね。これでも世間では高級取りなんですよ」

「へえ。じゃあもっとこき使っちゃおうかな!」

「もう十分こき使われているじゃないですか」

「いや、足りんな。差し当たって、この荷車に乗ってもらおう。荷車の練習に付き合え」

「ええっ、恥ずかしいですよ。体重がバレちゃうじゃないですか!」

「まあ俺の「わーーー!!」倍くらいあるからね」


 流石に二十歳くらいの成人女性と6歳男児では比べる意味もないだろう。だが女性にとって体重とは、例え相手が6歳児であっても聞かれるのは恥ずかしいらしい。

 しかし俺は鬼畜主人なので、有無を言わさずアリサを荷車に乗せ、「身体強化」をして庭を駆け回った。おかげで荷車の扱い方はだいたい覚えた。これなら次からグリーンボア一体くらいなら問題なく持ち帰れるだろう。だいたいアリサの六倍くらいだからな。

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