第9話 秘密の修行場所

 リリーと仲良くなり、少し汚れたドレスを見てアリサと公爵家の使用人に悲鳴を上げられ、会談を終えたオヤジと公爵閣下にその姿を笑われ、そしてリリーに「ばいばーい!」と最初のお淑やかな挨拶とはかけ離れた別れの挨拶をしてもらって、公爵閣下達は帰っていった。

 そのまま屋敷に戻ってオヤジに言われるままサロンに向かい、そこでオヤジが紅茶を飲みながら、ようやくホッとした表情を見せて俺に告げた。


「婚約は成立した。リリーちゃんは今日から正式にお前の許婚だ」

「よかった〜……」


 満足そうな顔で告げたオヤジの台詞に、俺は胸を撫で下ろす。


「なんだ、もう好きになったのか」

「いや、まあ可愛いには可愛いけど、そんないきなり好きになったりはしないよ。ただ、相手は公爵閣下の娘さんだからね。仲良くなれたはいいけど、もし婚約が流れたりしたらまるで僕の責任みたいじゃない」

「なんだ、そんなこと子供のお前が気にすることじゃないだろう」

「気になっちゃうんだからしょうがないでしょう」


 ちなみにモノローグでは「俺」だが、家族の前では、俺は自分のことを「僕」と呼んでいる。あるよね、相手によって一人称変えることって。


「まあ、とにかくお前はちゃんと結婚できるってことだ。よかったな、将来の嫁さんを心配しないで済んで」

「そうだね。あれだけ可愛い子なら僕も鼻が高いよ」

「あんな可愛い許婚を見つけてきてやったんだから俺に感謝しろよ?」


 冗談めかしてオヤジが言ってくるので、俺も笑いながら礼を言う。


「ありがとね。まあ、あの子のハートを射止めたのは僕の力だけどね」

「やるじゃないか、流石モテモテだった俺の息子だ」

「それ自分も褒めてるじゃん」

「ははははっ」


 こんな冗談ばかり言うオヤジだが、実は凄い人であることを俺は知っている。アリサ達使用人や母ちゃん、そして時に本人に訊いたり、書斎の本などを読み漁ってみたりして色々調べてみたのだ。曰く、四将の中でも最強の男。曰く、若い頃に魔人を倒した英雄である。曰く、皇国最強の三大師団が一つ、近衛騎士団の師団長だった。曰く、皇国に八人しかいないSランクの戦士である。

 逸話には枚挙に暇がないが、どれも本当のことのようだ。まるで物語に出てくる勇者みたいな話だが、これが実の父親だってんだから、不思議なものだ。普段はそんな感じは全くしないのに。

 まあ、だからこそベルンシュタイン公爵のような最高位の貴族が自ら進んで婚約を持ちかけてくるのだろう。カールハインツという男と、ファーレンハイト辺境伯家と関係を持つことが得であると大物貴族をはじめとした周りの人間に判断されているのだ。

 そんな辺境伯家を、俺は将来継ぐことになる。その時に親の七光りだと笑われないよう、そしてリリーのような可愛い婚約者をしっかりと自分の力で守れるよう、俺は強くならなくてはいけない。


「修行してくるよ」

「今からか? もう暗くなるぞ」

「大丈夫。夜ご飯までには戻るから」

「辺境伯家嫡男として自己研鑽の修行に励むのはたいへん結構なことだが、羽目を外し過ぎて庭を壊すなよ。広いとはいえ、一応先祖代々の土地だからな」

「…………んー、まあ、気をつけるよ」

「なんだそのフワッとした答えは……。まあいい、頑張ってこい。近いうちお前にも稽古をつけてやる」

「本当? じゃあ楽しみにしておくからね」


 そう言い残して俺は裏庭に向かう。我が家の裏庭はたいへん広い。それこそ俺の秘密基地がある林の中から、果樹園が広がる小さな岡、鬱蒼と森が茂る小高い山まで、その全てが我がファーレンハイト辺境伯家の邸宅の敷地内だ。

 今から行くのは、その中でも俺が主に修行をする時によく行く山だ。アリサに庭に穴を開けるなと、お小言を言われた裏山である。

 ここ数年間に亘って修行を行っていた、俺専用の訓練場だ。



     ✳︎



 ファーレンハイト家の邸宅から裏庭方面に1キロほど向かった先にある、標高100メートルくらいの小さな山。日本の地方の山間部に行けばいくらでもあるような没個性な山だが、俺にとっては他のどの山よりも思い入れのある山だ。

 麓部分の、少し木々の疎らな辺りから山の中腹に向かって続いている獣道。獣とは言うものの、この道を作ったのは他でもないこの俺自身だ。

 獣道を進んで、山の中腹よりやや上の位置まで来る。そこには小学校の体育館と同じくらいの広さの開けた空間が存在していた。そして特徴的なのが、地面、木、崖、岩などありとあらゆる場所に、無数の穴が空いていることだ。小さいものは数十センチ、大きいものは数メートルに達するだろう。この穴こそが俺のこの四年間の修行の産物であり、俺の強さを証明するものだった。


「……今日もとりあえず一セットいきますか」


 深呼吸。呼吸を整え、精神を落ち着かせる。そして次の瞬間、俺は

 ドガッ、と音を立てて先ほどまで立っていた地面が抉れる。一気に数メートル先まで跳んだ俺は、そのまま地面に足を落とさず、途中にある木の枝を踏んで、再び跳んだ。

 木々の間を跳び、地面を抉って崖を駆け登り、大岩を飛び越えて俺は山を一気に登っていく。明らかに登山に向いていない急峻な斜面を、ほんの数秒に満たない時間で忍者のように駆け上がっていく。


 ――ザッ


 数分後、再びスタート地点に戻ってくる俺。汗は少し滲む程度、呼吸は乱れていない。


「……だいたい五分か。まあ最初の頃よりは随分と早くなったかな」


 この修行を始めたのが、自由に外に出てもよくなった一昨年の始め頃だ。その時は山を一周するのに日が暮れるまで丸一日かけていたので、俺もなかなか成長したものだ。

 ところで、6歳現在の俺の身体能力は「42」だ。魔力の「23298」というとんでもない数値と比べたら、ごく普通の大したことない数値である。多分、俺以外の6歳児とそんなに変わらないだろう。

 では何故、先ほどのような超人じみた運動を行うことができたのか。それは別にこの世界の6歳児が超人じみているとかそういうわけではない。これこそが俺の四年間の修行の成果の一つなのだ。


「……はっ!」


 ズドドドドンッ!


 拳を振るう。十メートル以上離れた崖に、数十センチ〜一メートルサイズの穴がいくつも空く。


「……よし、【衝撃】の連発も難しくなくなってきたな。命中精度もバッチリだ」


 そう、俺が爆発的な加速をしたり、跳んだり跳ねたり、そして離れたところに穴を開けることができたカラクリの正体は、俺の固有魔法【衝撃】だ。俺は母ちゃんに魔法のコツを教わりながら、「魔法大全」に載っていた通常の無属性魔法に加えて、この固有魔法【衝撃】をここまで使いこなせるようになったのだ。

 【衝撃】の効果は至極単純だ。俺の身体から物理的・魔力的な衝撃を、任意の強さとタイミングで発生させるというものだ。発動には他の魔法のような魔法陣もルーン文字も詠唱も要らない。ただ、腕や足を動かすように、普通に念じるだけで良い。

 今でこそ腕や足を動かすくらい自然に【衝撃】を扱えるようになったが、魔法を使い始めた頃は大変だった。ハンドルの左右を逆にして自転車を運転するようなものだ。少しでも気を抜くと、すぐ力が暴発して怪我をした。まだ小さいから母ちゃんも凄く心配して、何度も怒られたものだ。

 結局、何度言っても修行をやめないので、母ちゃんが付きっきりで修行を見てくれるようになった。おかげで二年とちょっとでようやく基礎的な魔力の扱いと、魔法の使い方を体得できたのだ。

 それ以降はこうしてこの裏山に来て、ひたすら精度と威力を上げる修行をしている。魔力は使い切れないほど有り余っているので、用事のない時はずっと修行だ。地球で暮らしていた時と違って、努力すればする分、どんどん自分の実力になるのが実感できて、日々の修行がとても楽しい。

 ただ、流石に単調な毎日にもやや飽きてきたところだ。そろそろ変化があってもいいだろう。これまでは家の敷地内から出ることは許されていなかったが、もう6歳になったのだし敷地の外に出ても良いか、オヤジに直談判してみよう。俺は世界を広げたいのだ。

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