2-4
森犬の死体は土をかぶせて埋葬した。
シントたちには埋葬の概念が無いからか背中の少女は興味深くそれを眺めていた。
埋め終わってから急に何かを思い出したように彼女が森犬の毛が欲しいと言いだした。とても面倒だったけど彼女の言う通りにもう一度掘り起こして尻尾の毛を一束切り落とした。
それを彼女に渡したら
彼女なりのけじめらしい。
ぼくはまた木の根元に腰を下ろした。
疲れと緊張が頂点に達していたせいかその後の記憶は曖昧だった。
半分寝ていて、もう半分は起きている。そんな中途半端な状態で時間が過ぎていった。死体の彼女は何かまだ喋っていたような気がしたけど、ぼくの頭には入らなかった。
木々の隙間から見える空が次第に白けてきた。
小鳥たちの囀りが耳に入る。
バンカの森の夜もようやく明けた。
朝日が横から入って来てぼくの顔に射している。
陽の光を浴びて何だか顔がむず痒かった。
ただその時ぼくは不思議に思った。
バンカの木が密集するこの森に何で横から朝日が入るのだろうと。
「──まあ」
背中から声が聞こえた。
最初は歩鹿の鳴き声かと思ったけど、死体の少女の声だった。
「ヨダカ、起きて」
彼女はぼくの身体を揺らした。
ぼくは完全に閉じ切っていた瞼を渋々ひらく。
するとそこには朝日を背にする影があった。
ぼくはそれを見て思わず驚いた。
「あっ」
それは山のような大荷物を積んだ歩鹿だった。
あんなに森の中を探し回ったのに、今ここに短い脚を広げて当たり前の様に立っている。嬉しいと思うよりも、それを見ていると何だか腹が立った。
まあ、見つかったのならそれでいい。
ぼくは歩鹿を呼ぼうと指笛を吹いた。
フィッ、フィッ、フィッ、と短く切るように三回連続で吹く。
ただ歩鹿もぼくの顔を見て、ケン、ケン、ケン、と鳴いた。
不思議な現象が起こった。
それは互いに親が子を呼ぶ音を出している。
「お前が来いって言っているみたいね」
背中から声が聞こえた。ぼくは無性に腹が立った。
一向に歩鹿は動こうとしないので、ぼくは重たい身体を起こして歩鹿に近寄った。
歩鹿は生意気にもぼくを睨みつけていた。
今度は逃がさないように歩鹿の手綱を力強く握りしめたら、歩鹿は着いて来いと言わんばかりに朝日に向かって歩き出す。
へとへとのぼくは悔しいけれどそれに従った。
少し歩いたらあっけなくバンカの森を抜けた。
そしたら背中の死体は恐ろしいことを急に言う。
「あら、やっぱり森の出口に近かったのね」
「……やっぱりって、知っていたの?」
ぼくがそう聞いたら、背中の彼女は事も無げにこう言った。
「ごめんなさい。開けた空間が見えていたけど、余計な事を口に出したらまた迷うかと思って黙っていたのよ。悪気はなかったわ」
重ねて何度も書く。
こんなにもよく喋るのだからもっと先に喋っていて欲しいと思った。
「それにしても、お利口なロバさんね。森に逃げ込んでいた訳では無かったのね。きっとこのロバさんもヨダカを探し回っていたのよ」
「ロバじゃなくて鹿。これは歩鹿だよ」
「まあ、これが歩鹿なのね、初めて見たわ。確かに言われてみればどことなく鹿に見えなくもないわね。特にこの角の部分が鹿にしか見えないわ。いえ、これをもってしてようやく鹿と言えるわね」
「確かに。角以外はほとんどロバだね、──イタッ」
何故かぼくだけ歩鹿に噛まれた。
背中の彼女は「二人は仲がいいのねえ」と言っていたけど、この噛み癖はどうにかしないといけない。
「ところでこのロバさんは何て名前なの?」
「知らないよ。父さんが育てているから」
「あら、名無しは可哀想だわ。そうね……、この子の名前は『カイロ』よ」
「カイロ?」
「古い言葉で『一団を率いる者』を意味するわ。今も森からわたしたちを導いてくれたじゃないの。まさにこの子はわたしたちの隊長よ。よろしくカイロ。ほら、ヨダカも挨拶しなさいな」
まさか歩鹿を隊長と崇める時が来るとは思わなかった。
「よろしく、……カイロ」
ぼくは渋々ご挨拶をした。
隊長殿はフンと鼻を鳴らして口をもしゃもしゃしていた。
一方背中の死体は死体なのに明るくこう言った。
「では、気を取り直して、
「……うん」
ぼくは歩鹿のカイロの手綱を強めに引っ張って歩き出した。
首を振って嫌がる歩鹿を無視しながらずんずん進んで行った。背中の彼女には話しかけないように。
だけど背中の少女がぼくに語り掛ける。
「ヨダカ、そっちだとトロメライに戻るのではないかしら?」
「……そうだよ」
さすがに彼女も気づいたらしい。
ぼくはトロメライを目指していた。
「まあ、それはどういうことかしら? 死体運びの目的地は
「忘れ物はしてないよ。キミをトロメライに連れていかないと」
ぼく一人では背中の死体の少女が手に負えない。
一刻も早くトロメライに戻ってローランさんに相談するべきだと思っていた。
「まあ、もしかしてヨダカはわたしを売り飛ばすつもりかしら。そうはさせないわ、ずっと黙ったままでいてやるのだから。死人の死んだふりを甘く見ない方がいいわよ。これでも数年間も医者の父を騙し通したのだから」
「売り飛ばさないよ。ローランさんにキミのことを伝えないと」
ぼくはそう言うと、背中の彼女はぼくの肩を強く掴んだ。
「ヨダカ、止まりなさい!」
ぼくは彼女の言う通り歩みを止めて次の言葉を待った。
すると強気に語りだした。
「いい、ヨダカ。それはお断りよ! 父に伝えることは不要だし、トロメライに戻るのも許さないわ。わたしたちの行先は
それにぼくは少しムッとしてしまった。
「ぼくが運ぶのは喋らない死体だけだよ。それでも行くっていうなら一人でどうにかしてくれ、──イタッ!」
ぼくの言葉を遮るように背中から強めのゲンコツを貰った。
「痛い、痛いよ!」
それが何度も続いた。
「痛いって、やめてよ!」
何度も何度も続いたのでぼくは根を上げた。
それでもゲンコツは止むことなく背中の彼女はこう言った。
「わたしは歩けないのよ!」
彼女の言葉にぼくははっと我に返った。
「死体に礼儀はいらない、でも言っていいことと悪いことがある。これはヨダカの為に打ったのよ!」
死体を不浄のものとして扱うシントと違ってぼくたちビジテリの死体運びは死体を丁寧に扱わないといけない。
ただそれを差し引いてもぼくは失礼なことを言っていた。
お喋りが下手くそなぼくは言いたいことは言えない癖に余計な事は口に出してしまう。
「……ごめん」
ぼくは素直に謝るしかなかった。
「いいのよ。それにわたしも悪かったわ。もっとヨダカと真剣に話しておく必要があったわ。わたしはお喋りだけど肝心な事はいつも喋らないで先送りにしてしまうの。これはわたしの悪い癖ね。死んでもこれは治らないみたい」
それはぼくも知っている。それにぼくも種類は違うけど似た者同士だ。
「父とはもう別れを済ませている。もちろん死ぬ間際にね。父は医者よ、わたしを延命しようと必死に尽くしてくれたけど、それは叶うことなくわたしは死んだわ。死んでいるのに生きているように振る舞う歪なわたしでは父に会っても喜ぶことはしないと思うの。むしろ悲しませるだけよ」
その考えはぼくの頭になかった。
ローランさんに彼女を押し付けて、あわよくば喜ぶだろうとさえ思っていた。
でもそれは勝手な考えだった。
「わたしはもう終わった人間なのよ。この世にいてはいけない存在なの。わたしは歪なままでこの世にいたくないの。でもわたしは歩くことができない。ヨダカを頼るしかないのよ」
ぼくは死体運びなのに死体の気持ちを考えていなかった。
生者のことだけ考えて、死者の気持ちを蔑ろにしていた。
死体を不浄のものとして雑に扱うのはシントだけで、ぼくたちビジテリ、特に死体運びのぼくたちは彼らと考えが違うのだ。
最後に彼女はこう言った。
「ヨダカ、お願い。
どうやらぼくは勝手に一人で決め込んでいたようだ。
思い込みの激しいぼくは二人の言葉をきちんと聞いていなかった。
普通なら不浄な死体はぞんざいに扱う。シントの戒律でそう決まっているからだ。でもローランさんは戒律を破り銃で脅してまでぼくに死体運びを求めた。それに死体の彼女も死んでいるのにこれほど喋ってまでぼくに死体運びを求めた。
そりゃそうだ。彼らの願いを聞き届けるのはぼくしかいない。
だってぼくは死体運びだから。
よく喋る死体にしては黙っていた。
ぼくも暫く黙っていた。
でも決意を口にした方がいいだろう。
そう思って、ぼくは背中の彼女に語り掛けた。
「ごめん、
この時ぼくはカッコいいことを言おうと思っていた。
でも歩鹿のカイロがぼくを噛むものだから途中で止まってしまった。
「そうよ、カイロを忘れてはだめよ、一人と一頭と一体で
「……ああ、うん」
ぼくは曖昧に返事した。
歩鹿のカイロは満足気な顔をしている。
その様子に背中の彼女は笑っているみたいだった。
背中にいるので顔はハッキリ見えないけど間違いないだろう。先程までの険悪な雰囲気が和んでぼくも少し嬉しくなった。
すると背中の彼女は急にこう切り出した。
「それにしても、ヨダカと生前に出会わなくてよかったわ」
「……どういうこと?」
「もし、わたしが生きていた時にヨダカに出会っていたら可笑しくなってしまいそうだからよ」
こんなにもはっきりとしない陰険な性格のぼくに呆れたのだろう。
「恐らく大好きな研究も手に付かなかった。食事も喉に通らなかったかもしれない。夜も魘されて寝付けなかったかもしれないわ」
「それくらい、腹が立った?」
彼女の返答はぼくが思っていたのと違った。
「いいえ、それくらい貴方を好きになっていたと思うわ」
「んなっ!」
「もちろんそれは異性として好きということよ。まず単純に顔がタイプだわ、それに寡黙なところが魅力ね、あと急に危ない行動をするから放っておけないのよ、他にも理由はあるけど上げ出したら切りがない。恐らく人を好きになるというのはそういうことなのよ。ヨダカは人を好きなった経験はあるかしら? ちなみにわたしは初めての経験よ、まあ死んでしまったので、意味のないことだけど」
彼女は急になんてことを言うのか、これでは仕事がやり難くなるではないか、本当に唐突に、急に、変なことを言い出すものだからぼくはとても困ってしまい、どう表現していいのか分からない不思議な気持ちになった。
辛うじてひとつ言える事は、やはりぼくは彼女の事が苦手なのだろう。
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