2-2
伝統的なこの死体運びの道順は線路を辿ればいいし、古くからの専用の街道があるので下手なことをしない限り道に迷うことはない。
でもこの時ぼくは下手なことをしたので、道に迷った。
バンカが密集するこの森は木々が邪魔をして先が見通せない。上を見ても葉が邪魔をして空がよく見えない。肝心なコンパスは歩鹿の荷物の中だ。その歩鹿は何処にいるのか分からない。そして何より、ぼくも何処にいるのか分からなかった。
でもこの時ぼくには焦りは無かった。
というのもぼくは森の中で迷った時の方位の調べ方は多少知っているからだ。色んな方法があるらしいけどこの時ぼくは簡単な二つの方法を試してみた。
まず初めにやったのは切り株の年輪を見て確かめる方法だ。
年輪の渦の中心は必ずどちらかへ寄っている。
その寄っている方に指し示すのが「北」になる。
手持ちの刃物は折りたたみのナイフしかないので木を切り倒すことは出来ない。ということで切り株を探して森の中を彷徨った。そしたらまた余計に迷った。
後で知ったけど、切り株の年輪は必ずしも北に寄っている訳では無いらしい。場合によっては逆に向いていることもある。
ただ他にも方法ある。
岩や木に生えている苔を見るのだ。
苔が多く生えている方がこれも「北」になる。これならわざわざ森を探し回らなくても、その辺にいくらでも苔は生えている。
ぼくは岩に生えている苔を眺めてみた。ただトロメライは乾燥した土地なので苔は薄らとしか生えていなくて、ぼくの目には北がどちらか分からなかった。
──万策尽きた。
既に手の施しようのない状況だ。
もとよりぼくは方向音痴なんだ。
葉っぱの隙間からわずかに見える空はまだ若干の明るさは残っているけど、森の中は既に真っ暗になっていた。それになんだか寒くなってきた。気持ちの上でもどこか寂しい気がする。
森の中に居ながら底なし沼にはまったようにずぶずぶと深みに沈んでいくようだ。ぼくはもう取り返しのつかない深い森の底に沈んでしまった。
「ヨダカ、その……、もしかして迷ったの?」
よく喋る死体にしては言葉短めに尋ねてきた。
それには返事をせずにぼくは近くの木の根元に腰を下ろした。
防腐処理は完璧だけど死体に土を触れさせたくなかったのでぼくの外套の前のボタンを外して死体の下半身を覆うように包み込んだ。
本当は死体を背負ったまま腰を下ろすのはよくないのだけどこの時は仕方がない。あと流石に息苦しかったのでマスクも外しておいた。
これ以上動き回っては余計に迷ってしまう。ここで一晩過ごすつもりだった。
季節はもうすぐ夏に向かっているけど、夜中は霜が降りるくらいに冷え込む。暖を取らないと流石に耐え切れないだろう。火おこしの道具は歩鹿の荷物の中だ。
でもこのときは幸いにも猟銃を持っていた。
ぼくは銃弾を一つ取り出して火薬を使って火を起した。
既に一発無いので、今使った弾丸を省いて残りは三発だ。
あまり考えたくは無かったけどこの森には森犬が出る。森犬とは森に棲む狼のことだ。森に棲むのだから果物とかキノコとかを食べればいいのに残念ながら肉食だ。
ただ焚き火をしているから火を恐れて近寄ることはないだろう。
でも念のために猟銃を脇に抱えて用心しておいた。
「ヨダカは本当に何でも知っているのね。簡単に火を灯したわ。……それに引き換えわたしは何も知らないのね。勉強は沢山してきたけど、この手の知識はなにもないの」
そんな様子を見ていたのか、背中の死体がまた話しかけて来た。
森に迷い途方に暮れるぼくを励ましているつもりだろうが、その慰みもこの時のぼくには全く響かなかった。
「ヨダカ、ごめんなさい。わたしが森に入ろうなんて言ったからこんな目に会ってしまったわ。これでも反省しているの。死者が生者の命を危険にさらすなんてあってならないことだわ」
冷たい死体の手がぼくの頬を触れた。
冷たいけれど何となく彼女の優しさが伝わってくる気がした。
それでもぼくは返事をしないで黙っているつもりだった。
「いや、キミは悪くないよ」
でも何故かぼくの口は自然と開いてしまった。
「ぼくは死体運びだから行先を決めるのはぼくだ。だからぼくに責任がある」
そう言い終わると背中の死体が小刻みに震えだした。
「ヨダカ……、やっと、返事してくれたのね」
その少女の声も震えていた。
ぼくは背中の彼女を見ないようにした。
だって見なくてもこの死体がニヤついていることくらいはその声で分かったからだ。
「素直になって嬉しいわ。このまま
というふうに、死体なのに明るく言っていた。
死体に同情するのは間違っていた。
生前の彼女はトロメライでも有名でとても優秀だとみんな評価していたけど、少なくとも死後に出会ったこの死体の少女は、押しが強くて自分勝手で何だか好きになれないな、とぼくは思っていた。
ぼくはまた無視することにした。
「ヨダカ、もう手遅れよ。いい加減にしなさいな。一度私を認識したのだからもう無視することは許さないわ」
死体の少女はぼくの肩に顎をのせて耳元でそう言った。
それとぼくの肩を力強く掴んでいる。逃がさないぞ、とでも言いたそうだ。
「……分かったよ」
押しに弱いぼくには観念するしかなかった。
「よかったわ。実はわたしはヨダカにたくさん聞きたいことがあったのよ。そんなに構えなくてもいいわ、まずは簡単な事から聞こうと思うの。そうね、ヨダカの年齢は幾つ? 父との会話では名前しか聞き取れなかったから気になっていたのよ」
「…………」
「まあ、この期に及んでまただんまりかしら? それは認められないと言ったはずでしょう? さあ年齢は幾つ? 答えてくれるかしら」
この時ぼくは黙っていたのは彼女の質問にどう答えようと考えていたからだ。
実はぼくは自分の正しい年齢をしらない。ぼくと同世代のビジテリにも結構そういう人が多い。というのも税金がどうとかで生まれた年を誤魔化しているからよく分からないのだ。
だからぼくは大体の年齢を告げることにした。
「……十五か十六か十七」
「何それ? 曖昧ね。わたしは享年十四歳で生誕十八年よ。──まあ、わたしも曖昧じゃないの。でも面倒だから十八歳としておくわ。ヨダカも紛らわしいから十五歳としておきなさいな。あら、そうなるとヨダカのほうが随分と歳下ね。三つも歳が離れているわ。これではわたしがお姉さんじゃないの」
何だか納得いかないところもあるけど、何故かこの少女の死体がお姉さんになって、ぼくはこの日から十五歳ということに決まった。
もう少し上の年齢で伝えておけば良かった、と思った。
「ヨダカもわたしに聞きたいことがあるのではないの? 交代しながら順番に質問していきましょうよ。次はヨダカの番よ」
そう言われたら聞きたいことはこれしかない。
「キミは本当に死んでいるんだよね?」
どうもぼくには背中のこれが死んでいるように思えない。
これが夢や幻でなければ一体彼女は何だろうか。
「もちろんよ、大半の臓器とほぼ全ての血液が無くなっているのよ、この状態で生きている訳ないわ」
死体の少女はそう簡単に言う。
確かにぼくもそれは出発前に確認している。あんなにお腹の中身を取り除いて人間生きている筈がない。では目の前にいるこの死体はどうして動くのだろうか。いや、目の前にはいない。この時は背中にいる。
「でも確かに可笑しな話よね。死んでいるのに生きていた時と全く同じに振る舞えるなんて。それなら脚も動いてくれてもいいのに。これも生きた時と同じままよ。まあ今更愚痴を言っても仕方がないわ。全て過去の事だし、何せわたしは死んでいるもの。次はわたしね、この話の流れで質問するわ。──ヨダカはわたしみたいな死体に出会ったことあるのかしら?」
よく喋る背中の死体に対してぼくは簡単に答えた。
「ないよ」
当然あるわけがない。
こんな不可解な出来事が頻発しては身が持たないだろう。この時も限界ギリギリだ。
「ヨダカの家は古くから死体運びをしているのでしょう? ヨダカの経験だけでなくて、お父様から何か言い伝えでも聞いていないかしら? 死体が急に喋り出したとか、動き出したとか、そんな他愛も無い話とか」
「まったくないよ」
ぼくは父さんから死体運びの冗談を沢山聞いているけど、その手の怖い話は聞いたことがない。
いちいち死体が動き出すならぼくたち死体運びの仕事は不要だろう。
死体が動けば運ぶ必要はないからだ。
「困ったわ、前例なしだったのね。何か手がかりになりそうなことでもあればと思ったけど、残念だわ。これはわたしの名前が歴史に残ることになりそうね。まあ、主に悪名になりそうだけど。死後にして不名誉なことだわ」
死体の少女はそう言うけど、彼女の父親、ローランさんはどう思うだろう。
彼女が何でこんな身体になったかは理解ができないけど、少なくとも普通に話せるし、生前と同じように振る舞っているはずだ。
シントの教えはイマイチ分からないけど、これは悪いことではない、気がする。
ローランさんはずっと、ひた隠しにしていたけど、娘想いのよい父親だとぼくは思っている。彼女の喋る姿を見たら、ローランさんはきっと喜ぶはずだ。
「ローランさん……、キミのお父さんはこの事を知っているの?」
「恐らく気づいていなかったわ。というか気づかれない様にしていたわ。わたしは目覚めてから数年間ずっと黙っていの。父がこの事を知ったらヨダカと同じように腰を抜かしていたわね。それはそれで見たかったけどやらなかったわ」
「だめだよ、ローランさんに伝え、──イタッ!」
ぼくの言葉を遮るように死体の少女から軽めのゲンコツを貰った。
「交代しながら、と言ったじゃないの。何度も質問するのはルール違反よ!」
先ほど彼女は連続して質問をしていた筈だけど、ぼくがそれをするのは気に入らないらしいようだ。生前の彼女のことはあまり知らないけど我が儘で育てられたのだろう。
背中の死体のことを真剣に考えていたけど、何だか馬鹿らしくなって一気に気が抜けてしまった。
「では次はわたしの番ね。そうね──」
そして死体はまた喋り続けた。
お喋りが苦手なぼくは何だか疲れてしまい瞼が重たくなってきた。
やはり死体は喋らないに限る。
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