2-1



 ぼくたち死体運びは毎日のように安息地トーブを目指して長旅に出ているわけじゃない。前にも書いたけど、死体運びの仕事は街の中でもある。


 街で死んだシントの死体をモルグまで運ぶのもぼくたち死体運びの仕事だ。

その際に死体運び専用の背負子を使う事はあまりない。モルグまで距離があった場合は使うけど、基本的には手軽にできる死体運びの技で済ませている。

これは秘伝ではないのでほとんどの死体運びが知っている。


 用意するものは丈夫な綿麻の帯の一本だけ。

 長さは大体ぼくの身長くらいあれば充分。


 まずは端を結んで輪っか状にする。輪っかの大きさは死体に合わせて大きくしたり小さくしたりする。そしてこれを楕円形にして床に置く。輪っかの中央に死体の腰がくるようにしてその死体を横向きに置く。輪っか状の帯の端を死体に掛ける。その時に帯は死体の脇下とひざ裏に当たるようにする。


 次は死体の懐に身体を入れ込んで帯と死体をしっかり持って身体を捻り死体の下敷きになるように体を潜り込ませる。死体が背中に乗ったら両手を地面につけて腰と足と背中を意識して立ち上がる。これで完成。


 やってみれば分かるけど、これで綿麻の帯がしっかり掛かって死体を「背負い鞄」のよう背負って歩ける。両手も空くから便利だ。


 というようなことをしていると、背中から声が聞こえた。


「まあ、ヨダカって凄いのね。これも死体運びの技かしら? 生きている時にこれを知っていたらラムダに教えていたわ。──ああ、ラムダはわたしのお手伝いさんよ、足が動かないわたしの世話をしてもらっていたの。それだからよく腰が痛いとよく言っていたわ。ラムダは元気かしら? わたしが死んでからは父が使用人を全員解雇したから一度も会っていないのよ」


 というふうに聞こえたが気のせいだと思うことにした。


「それよりも、ヨダカはあれで驚いていたのね。意外と驚いていないから安心していたけど、急に倒れるからびっくりしたわ。でも倒れるなら倒れるで、先に伝えて欲しかったわ。わたしはもう死んでいるから傷が癒えない身体なの。傷ついたらどうするつもりかしら? 貴方も死体運びのプロならもっと丁寧に扱って欲しいわ。でも今回は仕方ないから許してあげる。次からは気を付けてね」


 また聞こえた。でもこれは頭を強く打ってしまったせいだ。


 ぼくはこれまでに無い大きな声を張り上げてから、何故か気を失って小高い丘の頂上で倒れていた。気づいた時にはお日様は空の一番高いところまで昇っていて、倒れた拍子に死体専用の背負子が壊れたようで死体も転がっていた。

 背負子は使い物にならなかったのでこの簡単な死体の背負い方をした。


 それと大切な荷物を山ほど乗せたぼくの歩鹿もいなくなっていた。倒れた時に手綱を離してしまったようだ。あれには死体運びの荷物もそうだけど、ローランさんから貰った大金が入っている。


 丘の上から周囲を見渡しても目の届く範囲に歩鹿は見当たらなかった。一度忠誠を誓った歩鹿は主人の元を離れないはずなのに困ったものだ。

 やはり歩鹿は馬鹿らしい。


 そうしているとまた空耳が聞こえた。


「ところで、ヨダカは何でマスクを急に付けたの? それって死体運びのマスクでしょう?奇妙な形をしているわね。そのくちばしみたいなところに空気をろ過する仕組みが入っているのでしょう? とても気になるわ、一度取り外して見せて下さらない?」


 これは空耳なのでぼくは気にしない事にしている。

ぼくたち死体運びのビジテリに神様はいないけど呪いや災いは信じられている。


 この鳥のくちばしみたいなマスクは魔除けのマスクとされている。ぼくはこれが奇抜だし恥ずかしいから嫌いだったけど、何となく今はつけておいた方がいいような気がしたから着けることにした。


「まあ、また無視ね。わたしは数年ぶりに人とお話しするのよ、少しくらい相手してくれてもいいじゃない? もしかしてヨダカは淑女のお相手が苦手なのかしら? 気を失うまではあんなに話しかけていたのに何故かしら?」


 そんな声が背中から聞こえて、ぼくの頬をマスク越しにつんつんとする。


 それでもぼくは無視を続けた。

ただぼくは何事も無いかのように振る舞っていたけど、内心そうではなかった。

 恐怖や葛藤が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。


正直これは認めたくない。だけど認めるしかない。

おかしいのはぼくじゃない。おかしいのはこの死体の方だ。


 この死体は動く。そして何より、──よく喋る。


「気にしなくていいのよ、わたしは死体だから。死人に遠慮は必要ないわ、気兼ねなくお話しして下さらない?」


 得体が知れないので返事は控えておこうと思った。


 取り急ぎ歩鹿を見つけたらすぐにでもトロメライへ戻ろう。この死体をどうにかしないといけない。ローランさんに知らせるのが先決だ。というかそもそもローランさんはこの死体について何か気づいていたのではないだろうか、とにかくぼく一人の力ではこれは手に負えない。でも今は目の前の問題を片付けるのが先だ。


 ぼくはこの小高い丘の上から指笛を吹いた。

 フィッ、フィッ、フィッ、と短く切るように三回連続で吹く。


「今度は何かしら? 指で鳴らしたの? 音が凄く響くのね。どうやって吹いているの? わたし指笛が吹けないの。教えて下さらない? でも今はそのマスクね、外すのならわたしに貸してちょうだいな」


 ぼくはマスクをずらして指笛を何度か繰り返した。

 意地でもマスクは外さなかった。


 ちなみにこの指笛は親の歩鹿が子供を呼ぶときの「ケン、ケン、ケン」という鳴き声を真似たものだ。ぼくがした指笛と違うように聞こえるけど歩鹿はこれで騙せる。

あの歩鹿は既にぼくに懐いているので、この音が耳に届けはすぐに駆けつけるはずだ。


 だけど、来なかった。


 しばらく何度も繰り返していたけど何も起こらなかった。

 唯一起こった出来事は、背中の死体が指笛を習得したことくらいだ。


「面白いわ、指の形と舌の具合を変えて色んな音が出せるのね。死ぬ前にこれを知っていたら、屋敷の何処にいても人を呼べたわね。──あ、なるほど、ヨダカはこれで何かを呼ぼうとしていたの? わかった、あの愛らしいロバさんね。ロバさんならこの丘を越えて、あの森の方に向かって行ったわ。かわいそうにヨダカが急に倒れたから驚いたのよ」


 あれはロバでなくて鹿なのだけど、細かいことを訂正する気にならなかった。

 それよりこんなに喋るならもう少し早くそれを喋って欲しかった。


 ぼくはこの死体に言われたからではないけど、トロメライ近郊にあるバンカの木が生い茂る森へ向かった。


 このバンカの森には何度か訪れたことがある。

バンカの樹液は防腐剤の原材料になるからだ。でもトロメライのビジテリ居住地にこのバンカの林があるのでいつもそこで採取できるから訪れたと言っても数回ほどしかない。


 あと大きな理由がほかにもある。この森には野生の獣がうじゃうじゃいるからだ。そんなところにすき好んで訪れる人は狩人くらいだろう。


「あれ、貴方のライフルじゃないの?」

まだ遠くにあるバンカの森を指して背中の死体が喋り出した。


 ぼくも目はいい方だけど、この死体が何を言っているのか分からなかった。


 しばらく歩いてバンカの森に近づくと、森に入るその手前に枯れ枝が落ちているのかと思えば、それはぼくが父さんから貰った猟銃だった。


 荷物の隙間に挟み込んでいただけなので滑り落ちてしまったのだろう。

この猟銃は連発式で五発まで連続して弾丸が撃てる。ただこの時は空の薬莢が排出口に装填されたままで、残りの弾丸は四発しか入っていなかった。


 もしかしたら落とした弾みに銃弾が発射されたのかもしれない。

本当は弾丸を装填したまま持ち歩くのは危険なのだけどぼくはそれを忘れてそのままにしていた。ずぼらな性格が災いした。


 そのぼくの様子を目ざとく見ていた背中の死体が口を挟んだ。


「もしかしたらあのロバさんは銃声に驚いてこの森に駆け込んでしまったのかもしれないわね。かわいそうに……。でも血痕が無いから傷ついてはいないみたいね、よかったわ」


 それをぼくは無視した。

ぼくの予想では歩鹿は銃声に驚いてこの森に駆け込んでしまったのだろう。血が落ちていないところをみると怪我はしていないようだ。


 ぼくはバンカの森を見た。

お日様は一番高いところに登っているけどバンカの木々が生い茂る森の中は薄暗い。


 何だか嫌な予感がした。

ちなみにぼくの予感はたまに的中する。それは主に悪い方だけだけど。


「どうしたの、ヨダカ? もしかして迷っているの? 仕方がないわね、迷っているならわたしが背中を押してあげる。実際に背中に乗っているからとても簡単だわ」


 そう言って少女の死体はぼくの背中を揺らした。


「ほら、貴方の大切なお友達が猛獣に食べられる前に助けてあげないと。救える命は救いなさい。これは死人からの尊いお言葉よ。さあ行きましょう!」



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