1ー6
伝統的な死体運びは色んな知識が必要だ。
死体の管理もそうだし、野宿の知識もそうだし、それと死体を担ぐので正しい身体の使い方を知らないといけない。あとシントたちの教えも少しは知る必要だってある。
ただし死体運びの道順に関してはそう難しくはない。
昔から死体運び専用の街道があって今はその街道に沿って鉄道が伸びている。
それを辿れば自ずと最終目的地に到着する。
最終目的地とはシントたちの墓地のこと、彼らの言葉で「
でもぼくはその街道も鉄道も逸れて小高い丘を目指していた。
久しぶりの古い死体運びなので準備運動も兼ねて遠回りをしようと思ったからだ。
それと手綱に引かれて不貞腐れながら後を着いて来る生意気な歩鹿にぼくが主人であることを知らしめるためだ。
そして何より、この丘の頂上に登れば外からのトロメライが全て見えるから。
ぼくは娘さんにその景色を見せてあげようと思っていた。
もう春も半ばを過ぎて夏も間近だけど地面には霜が降りていた。大地を踏めばザクザクと小気味よい音が鳴る。
しばらくそうして遊びながら進んでいたら空が明るくなりだした。日が昇ると霜が溶けて泥になる。靴が泥まみれになったら歩きに支障がでるのでお遊びはほどほどにしておいた。
お日様が顔を出したようで辺りが一気に明るくなった。
日の光が当たって凍っていた一面の草がパキパキと一斉に音を立てる。
「──まあ」
背後から声が聞こえたのでぼくは後ろの歩鹿を見た。
これは歩鹿の鳴き声だ。
歩鹿は普段は犬に似た鳴き声を出す。でもいまは猫みたいな鳴き声をだした。
これは子供の歩鹿が親の歩鹿を呼ぶときの鳴き声だ。
つまりこの歩鹿はぼくを親と認識した。ぼくの第二の目的は達成したようだ。これでぼくは歩鹿の主人になった。
こうなれば後は簡単。鹿だけど馬車馬のように
潰れてしまったら生ハムにするつもりだ。詳しくはここに書かないけど、実はぼくたち死体運びの防腐剤の材料で生ハムを作ることができる。これが実に美味しい。過酷極まりない伝統的な死体運びで数少ない楽しみの一つだったりする。
暫く歩いて丘の頂上へたどり着いた。
ここからトロメライの街並みが見渡せる。
街の中から見た景色と違って、ここから見たトロメライは小さくて、朝日に照らされ色鮮やかなおもちゃみたいに見える。
だけどこんなおもちゃみたいな世界でぼくたちは生活している。
かつてはこの背中の少女もこの街で生きていた。
「ほら、キミの生まれた街だよ」
ぼくは背中の死体の少女に語り掛けた。
ぼくはたまにこうして死体に語り掛ける。
死体だから返事は無いけどきっと気持ちは伝わるはずだ。
「ええ、ずっと見ていたわ。案外小さな街だったのね。でも思っていた通り素敵な街だわ」
返事があったのでぼくは驚いた。
「え?」
振り返ればそこにはぼくを見る歩鹿が草をもしゃもしゃ口にしていた。
「お前、もしかして喋れるのか?」
ぼくは歩鹿に近寄ってもしゃもしゃしている歩鹿の頬をぺちぺち叩いた。
歩鹿は嫌そうに顔を振ってぼくの手を払い退けた。
その態度がまるで「そうだ」と言っているように見えた。
この歩鹿はぼくの父さんが育てた歩鹿だ。だから生まれもこのトロメライである。ぼくは背中の死体の少女に語り掛けたつもりだけど、この歩鹿はそれを聞いて「素敵な街だわ」と返事をしたのだ。
この歩鹿は人の言葉を理解して人の言葉で返事をする。
これまで小馬鹿にしていた歩鹿がこんなにも賢い生き物だとは知らなかった。
それとこいつはオスだけどお嬢さんみたいな喋り方をするようだ。
「……お前、喋れるんだな?」
少なくともこの時点まではぼくはそう思っていた。
「違うわ、わたしよ。このロバさんの骨格や筋肉の構造では人と同じように言葉を話すのは難しいわ。まあ確かにわたしのほうが喋るなんておかしいのは理解できるけど。だってわたし自身も驚いているもの。でも事実だから仕方がないじゃない。これは奇妙な出来事だけど、ひとまず現実を受け止めて徐々に理解していきましょう」
というふうにぼくの背後のすぐ傍から聞こえた。
すぐ後ろを振り向けば、ぼくの背中にいる少女の死体の首が動いてぼくに向いた。
大きな瞳がぼくを覗いて長いまつげをぱちくりさせて瞬きする。
思わず息を飲んだ。
「今あなたが何を思っているか察しがつくわ。でも落ち着いて、わたしもいつ貴方に声をかけるか悩んでいたの。一応色々な状況を想定してみたのだけど、恐らくどのタイミングでもあなたは腰を抜かすほどに驚いていたわ。でも貴方から声を掛けて来たから、ここだ! と思って返事をしてみたのよ。でもやはり結果は同じね。いずれにしても貴方は驚く運命にあったのよ。一先ず今は深呼吸をしてみなさい。気持ちを落ち着かせるの。ほら、鼻からゆっくり息を吸って……」
そう言われたからではないけど、ぼくは大きく鼻から息を吸った。
これまで死体に散々語り掛けて来たけど返事をする死体と出会ったのはこれが初めてだった。それは相当に驚いてしまい、この時ぼくは間抜けた大きな声を出した。
「うひゃあっ!」
「叫ぶ必要はないわ、息を吐くのよ。叫び声をあげると血圧が上がって逆に落ち着かなくなるわよ。ほらもう一度、やり直してごらんなさい」
──というのが、このよく喋る死体の少女との出会いだった。
こんな不可思議な出来事はぼくの人生の中で後にも先にも無いだろう。
だから日々の他愛のない出来事を記録していたこの日記が小説風に見えてしまうのは無理もないことなのだ。
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