1ー4
ぼくはローランさんの拳銃に背中をつつかれながらお屋敷の離れにある四角い建物に向かった。
豪華な造りのお屋敷の敷地内にあるのにそれは場違いなほど簡素な造りをしていた。
その建物の中はお屋敷の中よりも暗かった。
次第に目が慣れてきたら、色んな薬品とか変な機材が並んでいたことに気付いた。
ここはローランさんの医術の研究室みたいなところだろう。
ローランさんが何か壁の器具をいじったら部屋が一気に明るくなった。ローランさんはお屋敷に電気を引いているようだ。さすがトロメライで有数のお金持ちだ。
ぼくは電気の仕組みがイマイチ良く分からない。
糸みたいな針金の線の中を火が通って明りを灯しているらしいけど、一体その火はどこから来ているのか、針金の断面には穴が通っているように見えないけど何で火がそれを通り抜けるのか、いろいろと思うところはあるけど考え出したら切りが無いのでまた今度にする。
今度はローランさんは床をいじりだした。すると床板が開いた。
それは隠し扉だった。
何が入っているのか気になって覗いてみたら、そこには地下に繋がる階段が続いていた。
「進め」
ローランさんに拳銃でつつかれてぼくはその階段を降りて行った。
地下室にも電気が引いてあるようで既に明るかった。
地下室の隅には人間の形をした彫像が何体かあった。他にも絵画が重ねてある。
地上の部屋は仕事部屋でこの地下室はローランさんの趣味の部屋も兼ねていたのだろう。
他に気になったことがあった。
それはこの部屋の匂いだ。
地下室はとある薬品の匂いが充満していた。ぼくはこの薬品の匂いを知っていた。
この匂いは「バルサム(※バンカの樹脂の抽出液)」の匂い。
ぼくたち死体運びが良く知る防腐剤の材料の匂いだった。
そしてなにより目を引いたのは地下室の中央にあるガラス張りの水槽だった。
水槽には液体が浸されてある。恐らくこの液体が匂いの正体の防腐剤だろう。そして水槽に浸された液体が防腐剤ならば沈んでいるその影は死体だ。
「娘のネリだ。ネリ・ノスカイヤ・ローラン」
ローランさんはその死体を指して言った。
ぼくは死体運びをしているので沢山の死体を見てきた。たぶんそれはお医者さんであるローランさんよりも数は多いだろう。
シントは死体に触れてはいけないので触れた数ならば更に圧倒的だと思う。
そんなぼくでもその死体の少女は死んでいるように見えなかった。
死んでいるように見えないほど綺麗だった。
ガラスの水槽に気を取られていると、ローランさんはおかしなことを言った。
「娘が死んだのは四年前だ」
「……え? 先日魂が浮かばれた、のでは?」
「それは嘘だ。四年前、娘が十四の時に亡くなったのだ」
そう言われてぼくは頭が混乱した。
つい先日亡くなったはずの娘さんは普通ならばぼくより年上の外見をしているはずだ。
それなのにこの水槽の死体はとてもぼくより年上には見えなかった。
ローランさんは続けてこう言った。
「生まれてから娘はずっとここにいる」
どこか寂しそうに見えたのはぼくの気のせいだろうか。
ぼくはローランさんに尋ねた。
「いいのですか?」
「何だ?」
「四年も不浄な死体と一緒にいたのですよ、魂が穢れるのでは?」
ぼくは死体運びなので年中死体と一緒に過ごしている。彼らシントから言わせたらぼくたち死体運びのビジテリは常に『穢れている』ともいえるけど、ぼくはビジテリなのでそれは関係ない。
でもローランさんはシントだから教えに反する事になるので、大変なことになるのでは、と思った。
だけどローランさんはぼくの言葉にニヤリと笑みを浮かべた。
「何を今さら。もとより私の魂は穢れている」
「え?」
「君は死体運びだろう。見て分からないか」
ローランさんは水槽の娘さんを見た。
ぼくも一緒に見た。
先にも書いたけど娘さんは死んでいるようには見えない。普通なら四年間も死体をこの状態に保つことは出来ない。
例え防腐剤に漬け込んでいたとしてもこう綺麗な状態にはならないだろう。この状態に保つには死体に直接処置を施さないといけない。
それはつまり、
「まさか死体の処置も済ませた、娘さんに、死体に触れたんですね?」
死体を防腐剤に漬け込む程度なら手伝ってくれるビジテリがいるかもしれない。でも死体を加工する防腐処置はとても凄惨な作業でそれを手伝うビジテリはなかなかいないだろう。
つまりローランさんは死体に触れた。
医者のローランさんならそれくらいは一人で出来るはずだ。
でもそれは、シントの教えに反する行為だ。
「そうだ、私は死んだ娘の身体に触れた。でなければ処置を行うことが出来ない。つまり娘が亡くなったその日から私の魂は穢れているのだ」
ローランさんは当然のように言っていた。
「なぜこんな真似をしたのですか?」
ぼくはそう尋ねた。
これは敬虔な信者のシントのローランさんがやるような事じゃないからだ。
ローランさんは拳銃をぼくに向けたままこう言った。
「……サウラン(※穢れ)を恐れぬ君たちには分かるまい」
「え?」
「サウラン」とはシントの古い言葉で『穢れ』を意味する。ぼくの家系は古い死体運びなのでその言葉は知っていた。
でも言葉の意味とは別で、ぼくはローランさんの言っている事が理解できなかった。
わざわざ古い言葉を使ってローランさんはぼくに何を伝えたかったのか、ぼくには分からない。
だけどその言葉はずっとぼくの耳に残り続ける。
「理解してもらわなくていい。だがこれで分かっただろう。私の魂は穢れた。そして娘の肉体は私の穢れに触れて毒された。私と娘は穢れているのだ」
ローランさんは手元の拳銃を強く握りしめた。
「我が家からこれ以上穢れをまき散らすわけにはいかない。あの詰め込みの汽車では他の死体にも穢れが移る。これは我が家の名誉に関わるのだ。だから伝統的な死体運びが必要なのだ」
ローランさんは銃口をぼくに向ける。
「既に最低限の処置は済んである。だが道中の管理は私にはできない。後は君が運ぶのだ」
ローランさんはそう言って拳銃をぼくのおでこに突きつけた。
重たい拳銃がぼくの額にゴツンと当たって痛かった。
そこまでされてもちろんぼくは断るつもりはないけど、それよりも気になることが増えたので尋ねてみた。
「……ローランさんは嘘をついていませんか?」
「なんだと?」
「本当は娘さんのためでしょう?」
「なに?」
ぼくの言葉にローランさんは顔を顰めていた。
ローランさんはじっとぼくを見て、たぶんぼくの次の言葉を待っているのだろうけど、ちなみにぼくもローランさんの次の言葉を待っていた。
ぼくが聞きたかったのはそれだけだ。
ローランさんは、家の為、穢れがどうこう言うけど、きっとそれは嘘だと思う。
本当は娘さんが大切だから、死んだことを認めたくないから、防腐処置を施して生前のままで留めようとしたのだ。
この伝統的な死体運びだって歩けなかった娘さんの為に、せめて時間をかけて外の世界を見せてあげたいのだろう。
これはシントの教義とは違う考えだけど、きっとローランさんはそう思っていたはずだ。
……いや、今思えば、ここまでちゃんと説明しておけばよかった。
お喋りが苦手なぼくはたまに肝心な事を言いそびれてしまう。それで人を混乱させるんだ。
この時もぼくは何も喋らないままでおでこに拳銃を突きつけられ茫然と立っていただけだった。
「どうでもいい、やると言え」
「本当のことを教えてください」
思っていたことは言わないけど、ぼくはローランさんから本当のことを聞きたくて意固地になっていた。それと銃を突きつけられているけど実は余裕もあった。
ローランさんはビジテリに嫌われて、ビジテリを嫌っているけど、本当はいい人なんだ、とぼくは思っていた。
だからぼくはローランさんが絶対に撃たないと信じていたんだ。
だけどその予想は違った。
「……悪く思うな」
「え?」
ローランさんは撃鉄を起こしてすぐに引き金を引いた。
ぼくはその衝撃で後ろに倒れた。
死体運びもいずれは死体になるけど、こんなに早く死体になるつもりはなかった。
尻もちをついてお尻が痛かった。
倒れた拍子に手も一緒に地面に着いたので手のひらが擦り剥けてしまった。
でも不思議と撃ち抜かれたはずの頭に痛みはない。
脳みそが吹き飛んだから痛みを感じなかったのかと言えばそうではない。
ぼくは吹き飛んだはずの頭を触ってみたけどいつも通りの感触がそこにあった。
そりゃそうだ。だってお尻と手に痛みがあるので頭は健全な筈だ。
それに無愛想な顔をしたローランさんがこの目に写っている。
「……あれ?」
「安心しろ、弾は入っていない。私は医者だ。救えない命もあるが故意に死体は造らない」
ローランさんは尻もち付いたぼくを見下しながら言った。
ぼくも茫然とローランさんを見上げていた。
ここに正直に述べておくけど、この時ぼくはお漏らしをしていた。ただ幸いにも床が濡れていたのでちょうどズボンも濡れて上手く誤魔化せたと思う。
たぶんローランさんも気づいていないだろう。
ローランさんは拳銃を懐に入れた。
「死体運びは他の街で探す。君はもう帰っていい。だがこの事は他言無用だ。誰にも話すなよ、いいな? 私は死体を造らないが、私の知人には死体を造る仕事をしている者がいる」
ローランさんは座り込むぼくに手を差し出してくれたのでぼくはその手を引いて立ち上がった。「ありがとうございます」とお礼を言って、ついでにこうも言った。
「……ぼくがやります」
「何だ?」
ローランさんが聞き返してきた。
「娘さんの死体運び、ぼくがやります」
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