十点(リュカ視点)


 アヤさんと二人で立てた作戦はこうだ。まず、朝食の後わたくしがエドガーさまに、お部屋のお掃除を手伝って欲しいと頼む。本来ならリーリやパティちゃんにお願いするところだけれど、二人には別件の仕事をしてもらって、そこに出来た空白を利用するのだ。しばらく二人きりでお掃除したあと、お掃除道具が足りないと言って、エドガーさまをお掃除道具のお部屋に誘い込む。あとは、お部屋の扉を外からアヤさんの魔法で締め切ってもらえば完成。狭くて暗い密室の出来上がり。そこからは私次第だけれど、この日の為にしっかりと心を作ってきた。だからきっと大丈夫。


「エドガーさま、少し良ろしいですか?」


 狙い目はここ。朝食が終わって、リーリとパティちゃんが後片付けを始めたタイミング。これで二人に気づかれることはない。団長さんにはバレてしまうけれど、あのお方はもともとイレギュラーの塊みたいなお方なので、計画に組み込んでも仕方ない。出たとこ勝負だ。


「ん、良いよ。どうした?」


「はい。今から私のお部屋のお掃除をしようと思うのですが、是非お手伝いをしてくれませんか?」


 噛まずに言えた。演技も不審なところはなかった。これならきっと、優しいエドガーさまは、


「そんなことか。じゃあ一緒にやろうか。リュカじゃ手の届かないところとかたくさんあるだろうしな」


 ほら、快く頷いてくれる。さりげなく私を気遣ってくれたりもして、それだけで胸がときめいてしまう。ダメよ。まだダメ。もう少し我慢してね、私の心臓。


「ではこちらへ」


 今回の作戦に向けて、私のお部屋は少しだけだけれど汚れている。この塩梅がとっても難しかった。全然汚れていなければお掃除をするなんておかしいし、でも、汚ればっかりがあったらエドガーさまを幻滅させてしまう。汚れ過ぎず、綺麗過ぎず。一日たっぷり悩んで作りあげた完璧なフィールドなの。


「なんだ、そんなに汚れてないじゃないか」


「え、そ、そうですか?」


 あれ、綺麗にし過ぎたかな。


「やっぱりリュカは綺麗好きなんだな。こんな状態でも掃除がしたいだなんて。オレなんかどこを掃除したら良いのかもわかんねぇよ」


「そ、そんなことありませんよ。ほら、お部屋の隅には埃もありますし、髪の毛だって落ちてます。窓も水垢がありますし……」


「あ、本当だ。でもこんなのオレだったら気にしないし、見逃しちゃうな。まあリュカが掃除したいって言うならしようか。まずどこから手をつけたら良い?」


 ふぅ。何とか説得出来たようだ。でもまだまだ。これからも計画は続いていくのだから。


「では、まず窓とか棚とか、高いところからお掃除しましょうか。掃き掃除拭き掃除は最後に」


「了解。ならオレがやるよ。そうだ、シャンデリアは?」


「ああ、それは先日パティちゃんがやってくれましたから、大丈夫ですよ」


 こうして、私とエドガーさまの二人きりのお掃除が始まった。こんな近くに長い間いられるなんて本当に久しぶりのことだ。だからついつい目で追ってしまう。ほら、あんな真剣にお掃除してくれている。私のお部屋が綺麗かどうかなんて、エドガーさまに何の関係もないのに。嬉しい。そしてとうとう、この時が来た。


「あれ、エドガーさま。箒を知りませんか?」


「ん? 知らないけど、そう言えばないな。掃き掃除出来ない」


「ですね。では取ってきます。エドガーさまも一緒についてきて下さいませんか?」


「オレはここで掃除してた方が良くないか?」


 う。痛いところを突いてきた。でも大丈夫。こんなこともあろうかと、色々シュミレーションしてきたのだから。


「いえ、確か箒は高いところに置いてあったので、私で取れないかもしれないのです」


「へぇ、なら仕方ないな。行こうか」


 ふふ。そこで自分一人で行くという選択肢が浮かばない辺りはまだまだ甘い。エドガーさまって以外と簡単? それが分かっただけもで収穫ね。そして、私達は掃除道具をしまっているお部屋にやってきた。すると、お屋敷の曲がり角に隠れたアヤさんを見つけた。私にだけ分かるようにこっそりウィンクしてくれる。美人のウィンクって素敵。


「では」


「ああ」


 エドガーさまを先に部屋に入れて、後から私が扉を後ろ手に閉める。すると、扉の向こうからアヤさんが魔法を発動したのが分かった。これで準備は完璧……!


「ん? あれ、ないな。リュカ、箒ってどこ……? あれ?」


 私達の術中にまんまとハマっているのも知らずに箒を探すエドガーさまに自然と笑顔になってしまう。でも、いざ密室で二人きりになってしまうと、心臓が早鐘のように打ち鳴らされて、今にも倒れそう。でも頑張れ私。もう少しだけ、勇気を出して。


「あの……エドガーさま……」


「なに? あ、え……?」


 勢いをつけてエドガーさまの胸に飛び込んだ。その厚い胸板と左手で、私の身体を支えてくれる。でも、私はもっとあなたの近くに行きたい。


「しばらく、こうしていてはいけませんか……?」


「ど、どうしたんだ急に」


「急ではありません。近頃ずっと、こうやってお近くに行きたくて仕方なかったのです」


 あんなに悩んで苦しんで。でも、いざこうしてエドガーさまの胸に包まれただけで、そんなことどうでも良くなってしまった。せっかくだから、言いたいことを言ってしまいたい。


「近頃、他の皆さまとばかりお話したり遊んだりしていて、私とは全然一緒の時間を過ごしてくれませんでした。私は、少し怒っているんですよ?」


「え、そ、そうかな? オレは別にそんなつもりは……」


「そうです。毎日私に優しくして下さいと命令したのに、全然してくれていません。命令なのに」


 エドガーさまの鼓動が聞こえる。少しずつ、少しずつ早くなっていく音が心地良い。私を抱いて、エドガーさまがちょっぴりでも緊張したりしてくれているのなら、こんなにも嬉しいことはない。でも、願うなら。


「私を、抱きしめて下さいませ……」


 私の肩を、抱いて欲しい。エドガーさまの御意志で、あなたの胸の中に居場所を作って欲しい。小さな子供みたいなワガママだけれど、それが私の願い。本当は、もっともっと色んなワガママを言いたい。毎日手を繋いで欲しいとか、笑顔を向けて欲しいとか、私とお話して欲しいとか、その、キスして欲しいとか。けれど、私にはそこまでのワガママを言える権利なんてないから、今出来る最大限のワガママを伝える。抱きしめて。あなたの体温を、私に下さい。


「……っ!」


 エドガーさまの左手が、私の腰に回された。ぎゅっと引き付けるように、私の身体を抱いてくれる。けれど、


「これで、良いか?」


 はい。もう十分です。自分の熱で血液が蒸発しそう。蕩けていくどろりとした空気に埋まってしまいそう。でも、そんなことは言わない。だって、エドガーさまは、まだその右腕で私に触れては下さらないから。


「抱きしめて、下さい。どうか、その両の腕で」


「ダメだ」


 むぅ。エドガーさまは、いつだって右腕で私に触れようとしない。最初はどうしてなのか分からなかったけれど、今なら分かる。怖がっているの。ご自身で嫌いだとおっしゃった右腕で、誰かを傷つけてしまうことを恐れている。

 でも、私は思う。傷つけてくれたって構わない。エドガーさまになら、少しくらい乱暴にされたって、手荒くされたって良い。あなたのものであると、私の心に刻み込んでくれて良い。そう思っているけれど、やっぱりエドガーさまは右腕で私を捕まえて下さらない。一度だけそうしてくれた夜があったけれど、あの時はマミンさまに邪魔されてしまった。

 だから、私から手を取るの。エドガーさまの右手の指に、私の指を絡める。


「ダメ、だ」


 エドガーさまは、手を引いて逃げようとする。私はそれを追いかけるために手を伸ばした。その瞬間、


「え……?」


 エドガーさまの左手が、私の顎にかけられた。くいと上を向かされ、自然と目と目があってしまう。エドガーさまの瞳に、私が写り込んでいる。頬どころか耳や首筋まで赤く染めた自分が、このお方のすぐそばにある。


「っ……」


 顎を持ったまま、エドガーさまの親指が私の下唇をなぞる。左から右へ、ゆっくりと。何故か口腔に唾液が溢れてきて、ごくりと飲み込んだ。いやだ。今、変な音しなかったかしら。


「可愛いな」


「えっ?」


「聞こえなかったか」


 初めてかけられた言葉に、動揺してしまった。何を言われたのかは聞き取れたけれど、どうして言われたのかとかがわからなくて、もう一度聞き直してしまう。


「可愛いなって言ったんだ」


「そ、そんな……」


 可愛い、だなんて。お父さまやリーリには何度も言ってもらったことはあるけれど、エドガーさまに言ってもらったのは初めてだった。私を愛で、慈しむような声で囁かれた言葉に、一層顔が赤くなる。


「そ、その……よく聞こえませんでしたので、もう一度……」


 嘘。ちゃんと聞こえてる。でも、やっぱりもう一度、いえ、何度でも言って欲しくて、ついつい甘えてしまう。自分でも驚くほど切ない声だった。そんな私に、エドガーさまはくすりと笑って、


「可愛いよ」


 私の耳元で、囁いた。ああ、もう膝に力が入らない。崩れる私の身体はしかし、エドガーさまが支えているせいで、逃げられない。自分からこんな状況を作っておいて、いざとなると、逃げたくなるほど恥ずかしいだなんて。意気地なしはどちらなのだろう。

 ゆっくりと私は後ろ向きに床へと倒れていく。腰、肩、頭。私が痛みを感じないように、ゆっくりと支えながら、寝かせられる。こんなちょっとした所作にもエドガーさまの優しさを感じられて嬉しくなってしまう。私に覆いかぶさるエドガーさまの顔が近づいてくる。心臓の音が、脳で打楽器のように鳴り響く。ああ、もう少しだけ頑張って、私の心臓。あと十秒、いや、五秒で良いの。私を私でいさせて。

 エドガーさまの唇を待って、目を閉じた。少しだけ怖かったから、両手を胸の前で重ねる。私の出来る最大限の勇気を振り絞って、待つということに心と身体を捧げる。だと言うのに、


「……意気地なし」


「知らなかったのか?」


 エドガーさまの唇は、私のおでこに落とされた。以前されたキスよりも少しだけ長くはなったけれど、私の唇をついばんではくれなかった。


「さて、掃除に戻ろうか。この部屋暑いしな」


 そして、何事もなかったかのようにエドガーさまは立ち上がると、私の手を取って立たせた。

 知らず知らずのうちに、むすっとしてしまっていたのだろう。そんな私を見て、エドガーさまは苦笑いをする。


「そんな顔しないでくれよ。オレなりに頑張ったんだからさ」


「……わかりました。十点をあげます」


「何点満点で?」


「百点です!」


 こんな状況に、雰囲気になってもきちんとキスして下さらないなんて、切ないし、寂しいし、何より自分に魅力がないのかと不安になってしまう。けれど、


「そうか。なら、次は二十点を目指すよ」


 ズルい。そんな笑顔を向けられてしまえば、私の単純な心なんて、ころっと騙されてしまう。そして、十点でも心臓がはち切れそうだったのに、二十点になってしまえば、私はどうなってしまうのだろう。高まるのは期待だけではない。


「私も、頑張ります!」


 幸せ。このお方を好きになって、このお方に出会えて、私はとっても幸せ。心からそう思える。

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