自信回復作戦


「へいリーリ!」


「なんだ」


 オレは廊下で窓の拭き掃除をするリーリに、手に持っている白シャツを差し出していた。だが、これはただの白シャツではない。


「さっき紅茶を飲んでたらこぼしちゃってな! 洗濯してくれよ!」


「愚か者め。そんなの自分でやれ。何故私が貴様の服など洗濯せねばならんのだ。寝言は寝て言え」


 額に青筋が入る。このクソ女ぁ! ちょっと気遣ってやったらすぐこれだ。ゴミでも見るような視線をチラとこちらに向けたあと、すぐに拭き掃除に戻る。だがオレもめげない。


「いやぁ、オレもそうしたいんだけどさ、リーリがやってくれた方が綺麗になるんだよ。頼むよ。洗濯してくれよぉ」


「しつこい奴だな。私は忙しいんだ。後にしてくれ」


 しかしリーリは窓を拭き終わると、すぐ隣の窓へと移動する。とは言えオレは知っている。こいつは今忙しくなんかない。屋敷の仕事はほとんどパトリシアが終わらせてしまって、もうやることがないからとりあえず拭き掃除をしているのだ。オレとリュカの観察眼を甘く見るな。だがここまで強硬に嫌だと言われてしまうと、こちらとしても押し切れないわけだが、


「その……ほら、かせ!」


「え?」


「わ、私に洗って欲しいんだろ! 仕方ないから洗ってやる! 別にお前に言われたからじゃないぞ!」


 そう言ってオレからシャツを引っ手繰ると、てくてくと洗濯場へ歩いていってしまった。その後ろ姿を見つめる。獣耳がパタパタと動き回っていた。よく分からんが、やった! 第一作戦成功だ!


「エドガーさま、ナイスです!」


 陰に隠れてこちらを窺っていたリュカは親指を立てる。ウィンクもおまけについてきてちょっと得した気分だ。


「では第二作戦に移行しましょう!」


「おうよ」


 リーリの跡を見つからないようにつける。彼女は寄り道することなく真っ直ぐ洗濯場へ向かう。途中で絵画の額縁が曲がっていたのを見つけてそれを直していた。

 洗濯場は、屋敷のすぐそばにある川だ。流れてくる水はとても綺麗で、オレもたまに飲み水として活用している。地下水の井戸もあるのだが、こちらの方が手間が少ない。物干し場も近くにあって、真っ白なシーツや、洗濯物が風に揺れていてなかなか壮観だ。

 リーリが川のほとりで洗濯を始めた。使うのは石鹸ではなく、黒魔女マミンが発明した魔法石鹸だ。これを使うとどんなしつこい汚れもたちどころに落としてしまう。さらに身体を洗うこと、食器を洗うことにも使える超オールマイティグッズ。こちらのお値段はなんと税込み……じゃない。

 時折執事服の袖をたくし上げた右手で嬉しそうに額を拭っている。洗濯もひと段落ついた頃合いだ。リュカ今だ行け!


「あ、あの、リーリ……」


「む、どうしたんだリュカ?」


 背中に声をかけたリュカに、満面の笑顔で振り返った。オレとの扱いに差があり過ぎるだろ。何であいつはこうも可愛げがないかな。


「今日のお夕食の献立ですけど、パトリシアちゃんが買ってくれたお魚をメインにしようと思うのですが、どんな料理にしようか迷ってまして。何か良い案はありますか?」


「珍しいな。リュカが献立で迷うなんて。そうだな。棚に良い炭があったはずだ。炭火焼きなんかどうだ?」


「良いですね! ならそうしましょうか」


 リーリが提案したのは、奇しくもリュカが考えていた献立そのままだった。それに嬉しくなってしまったのか、肝心な一言を忘れてこちらに帰ってきそうになっている。そのリュカに、物陰から必死で口パクを送る。


「あ、そうだ、そうでしたリーリ!」


「ん? なんだ?」


「さ、しゃすがリーリです!」


 噛んだ。ダメだ。予定通りにことが運ばないと途端にダメになるタイプだ。意を決したように大声で言ったので、恥ずかしさ二倍である。


「そ、そうか。ありがとう」


「は、はい。では私はこれで……」


 リュカがとぼとぼとした足取りで帰ってきた。見るからにヘコんでいるので、一応フォローをしてあげる。


「リュカ! 途中までは良かったぞ!」


「は、はい……」


 アクシデントはあったが、第二作戦も無事成功した。これでリーリの気分も多少は回復しただろう。ここから似たような作戦を決行することになっている。リーリみたいなタイプは、必要とされることに喜びを感じるものだ。それをこちらから与えてやるという作戦なのだ。

 作戦の効果の程を確かめるためにリーリの方を見てみると、


「少し、干し方が甘いな……」


 何かを小声で呟いて、干されている洗濯物をいくつか手直ししていた。










「おっと」


「わ! すみません」


「いや、大丈夫? 怪我してない?」


 廊下の曲がり角でパトリシアとぶつかってしまった。彼女の小柄で柔らかい身体がオレの腰に当たって、こかしてしまう。申し訳なくてすぐに左手を差し出した。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 しかし、パトリシアは笑ってオレの手を取ってくれた。よいしょと一息で助け起こす。その身体は羽根のように軽かった。


「何してるんだ? こんな所で」


「はい。魔王様に少し休憩をいただきまして。中庭に行こうと思っていたんです」


「そうか」


 魔王もそこまで仕事をガリガリするタイプではない。必要以上にメイドや執事を酷使したりしない。魔王のくせにホワイト企業なのだ。


「あの……」


「ん?」


 そんな下らないことにニヤついていると、下からパトリシアが窺うような上目遣いでオレを見つめてきた。


「良ければご一緒していただけませんか? お菓子の準備もございます」


「良いの? なら、お願いしようかな」


 リュカとの次の作戦は昼食時だ。それまでは自由時間、もとい次の作戦への準備時間なので、オレも暇なのである。


「はい! こちらへどうぞ」


 パトリシアがオレを中庭の休憩所まで誘導してくれる。彼女とテーブルを挟んで向かいあった。その上には、彼女が作ったのであろう色とりどりのクッキーが皿に盛りつけられている。


「パトリシアが焼いたのか?」


「はい。自信作ですので、どうぞ」


「ありがとう。いただくよ」


 星型のクッキーを一口に放り込む。レモンの香りのするクッキーだった。爽やかな味わいがして美味い。これならいくらでも食べられそうだった。


「ん、美味しいな。パトリシアは何でも出来るんだな」


 素直に感心してしまう。仕事の覚えは早いは、やらせて見れば丁寧だは。言うことなしだ。


「私は屋敷オーガですから。家事をこなすのがお仕事でもあり、生き甲斐でもあります。その分戦闘などはからっきしで……」


「良いよ。女の子は無理して戦う必要なんかないさ。好きだとか何か使命があったりすれば別だけどね」


 リュカは家事全般が得意だが、戦ったりはしない。だがリーリは戦うことも出来る。団長も同様だ。それぞれ好きなこと、得意なことをすれば良い。まあ、戦わないで済むならそれに越したことはないが、今の魔界と人間界の関係性だとそうも言ってられない。

 自分で考えていてふと気がついたのだが、オレの周りの女性陣スペック高すぎないか? 隣にいて肩身が狭いくらいだ。


「そ、そうですか。エドガー様は、私を女の子として扱って下さるのですね……」


「当然だろ。なに、扱ってくれない人いるのか?」


 誰だそいつは。一発ぶん殴ってやろうか。こんな可愛くて真面目な子を手酷く扱うなんてありえない。


「あ、いえ。そう言うことではなく。その、素直に嬉しくて」


「そうか? まあ喜んでくれるなら良かったよ」


 何故か頬を染めるパトリシア。その細くて綺麗な指をもじもじさせている。


「その、エドガー様は、お好きなお料理はありますか? お菓子とか。是非教えて下さいまし」


「オレか? まあだいたい何でも好きだぞ。甘い物もだな。ただこってりした物よりはさっぱりした物の方が好きだ。だからこのクッキーは凄く美味いと思う」


 なので、リュカが作るシチューも好きだ。あれ、あれのこの世界での正式名称なんだったかな。名古屋攻めだったことは覚えてるんだけど、イメージと実物があまりにも合致しないので混乱してしまうのだ。

 まあ、今はそんな話ではない。パトリシアとの何気ない会話に花を咲かせた。彼女は少し口下手なようだが、一生懸命身振り手振りを交えて話をしてくれるので何とも微笑ましい。


「エドガー様は、私達屋敷オーガの事はよくご存知なのですか?」


「いや、悪いけどあまり知らないんだ。て言うか、この世界全般に詳しくない」


 自分で言っていてあまりにトンチンカンな内容だ。世間知らずの箱入りお嬢様か。


「そうなんですね。では、私達について聞いていただけますか?」


「もちろん。興味あるよ。是非話して欲しいな」


「では。私達屋敷オーガは、とても弱い種族です。魔力は乏しく、腕力も僅か。ですので、強い魔族に寄生して暮らしています。お身体のお世話をしたり、お屋敷のお世話をしたりして、保護してもらうんです」


 カクレクマノミみたいだと思った。小さい頃学校の授業で習ったのだ。彼らはイソギンチャクに隠れることで外敵から身を守っている。昔ディズニー映画で主役を張った赤とオレンジの中間くらいの色の小魚だ。


「なので、私達は総じて手先が器用で物覚えが良いとされています。あと、女性が多いです」


「最初のは分かるけど、なんで女性が多いの?」


「それは、その……」


 パトリシアは頬を染めてオレから顔をそらして小声でぽそりとこぼした。


「主人に気に入ってもらい易いからです。その……子供を授かることもありますから……」


 聞くんじゃなかった。そりゃそうだよな。どうせ仕えてもらうなら可愛いメイドさんの方が嬉しいよな。パトリシアなんかその象徴みたいなものだ。必死に我慢しないと変な気分になってしまう。今も恥ずかしそうにする彼女に心がときめいている。


「でもそうか。ならパトリシアは理想の屋敷オーガだな。さぞ一族の皆は誇りに思ってるだろうぜ」


「え、そんな、私なんて……」


 オレの言葉に、パトリシアはぶんぶんと首を振った。本気で謙遜しているみたいだ。洞窟都市で出会った老人は自分を傲りなさいと言ってくれたが、謙虚な心でいることもまた美徳だ。慎ましい彼女にはそれがよく似合っている。


「オレも色々迷惑かけると思うけど、よろしく頼むよ」


「いえ! 私もエドガー様にお仕えできて本当に嬉しいですから!」


 そう言ってもらえると嬉しくなってしまう。

 と、ここで思いついたことがあった。


「あのさ、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど……」


 耳打ちするためにパトリシアに近づくと、凄く良い香りがして身体が熱くなってしまった。邪念をなんとか振り払って、彼女にオレとリュカの計画を伝えた。

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