優しい日常と


 昼食はハンバーグだった。ぐつぐつと熱い鉄板の上に、肉汁を溢れさせそうな分厚い楕円形の肉の塊が鎮座している。ハンバーグには蕩けるチーズがかけられており、良い匂いが鼻をくすぐる。ポテトや温野菜も添えられていて、健康にも気を使ってくれているのが良く分かる。リュカとパトリシアの合作は視覚的にも味覚的にもオレを存分に楽しませてくれた。

 だが、オレには為すべきことがある。ただぼーっと飯ばかり食ってはいられない。リュカとパトリシアと目配せをして、第三作戦を開始する。


「なぁリュカ。ちょっと今日のハンバーグ、味が雑じゃないか?」


 もちろんそんな事はない。リュカの料理は完璧だ。なので、味が雑だ、というわけのわからないいちゃもんになってきまう。


「え? そ、そうでしたか? すみません、時間がなかったもので……」


 これも演技だ。リュカは料理に言い訳をしたりしない。彼女はいつだって何事にも真摯なのだ。


「すみません。私も少し味付けに失敗したかもしれません……」


 リュカの演技は少しぎこちなかったが、パトリシアは上手いものだ。本気で申し訳なさそうに目を伏している。


「そうか? 私にはいつもの料理に思えるがな。今日も美味いぞ」


 魔王よ。その通りだが今は黙っていてくれ。オレ達の素晴らしい作戦の邪魔になるからさ。ごめんね、除け者にして。


「……たまにはそう言うこともある。気を落とすことはないさ」


 オレの後ろに立っていたリーリが、眉を動かしながらそう言った。オレのカップに紅茶を注いでくれている。その時、


「きゃ、きゃあ!」


「す、すみませんお嬢様! お召し物を!」


 同じくリュカの紅茶のお代わりを準備していたパトリシアが、手を滑らせて中身を撒いてしまった。それがリュカのスカートに溢れて染みを作ってしまう。


「すぐに洗濯します! こちらでお召替えを……」


「も、もう! パトリシアちゃん! 気をつけて下さい!」


 リュカの怒った演技は有り体に言って下手くそだった。魔王すらその行動を不審そうに眺めている。ここでリーリも動いた。


「まあ落ち着け。すぐに洗えばなんてことはない。パトリシアは紅茶の溢れた床を拭いておいてくれ」


「は、はい!」


 良し。リーリは上手く騙されてくれている。オレがそう思って心の中でガッツポーズをした矢先、かつかつとオレに近寄ってきたリーリが耳元で一言囁いた。


「後で私の部屋に来い」


 睨むような目つきで言われて、オレの背筋が凍った。リーリの背中には、オレにしかわからないような怒りのオーラが見え隠れしていた。










「で? 今日のあれやこれやは一体どう言うつもりだ?」


 オレが破壊したせいで屋敷の奥から玄関先へと部屋を移動したリーリが、机に背を預けてオレを見下ろしていた。組んだ腕をとんとんと指が叩いている。


「何のことだ? オレはパトリシアを愛でていただけだぞ」


「それはそれで問題だが、私がしているのはそんな話じゃない。誤魔化しても無駄だぞ。私の耳は心音を聞き分けることで相手の嘘を見抜く」


「なんだそのチート!?」


「冗談だ。その慌てぶり。やはりだな」


 しまったハメられた。くそ、こいつこんな小技が出来る奴だったのか。少々侮っていたようだ。


「全く。何かリュカとこそこそしているとは思っていたが、パトリシアまで巻き込むとはな」


「その、皆お前のためを思ってやってたんだよ。悪気があった訳じゃない」


「そんな事は分かっている。どう言うつもりかと聞いているのだ。さっさと答えろ愚か者め」


 一言多いんだよなぁ。なに、愚か者ってフレーズ気に入ってるの? だが、ここまでバレてしまってはもう誤魔化し切れない。まだ作戦を継続しているリュカやパトリシアには悪いが、ここでネタばらしせざるを得ないようだ。


「その、お前が元気なかったからさ。仕事をさせて自信を取り戻してもらおうって話だったんだ」


「自信か。気を遣ってもらったことには素直に礼を言おう。だがな、そんな事する必要はない」


 言葉はやや刺々しいが、話し方は穏やかだ。リュカやパトリシアの気持ちが分かっているからこそ、無下に出来ないのだろう。


「いつから気づいていたんだ?」


「最初からだ。貴様は服を汚したら自分で洗うし、リュカも献立で迷ったりしない。そして一番は、失敗して服を汚されたくらいでリュカは怒らない。優しい娘だからな」


 リーリの言う通りだ。オレ達の作戦は、ハナから無理があったのだ。


「リュカの演技も酷かったしな」


「リュカって基本鈍臭いからなぁ」


「努力型と言え。パトリシアも演技は上手かったが、やり口が不器用だった。わざと絵の額縁を斜めに飾ったり、洗濯物を皺にして干したり」


 リーリの話に、一瞬ついていけなかった。そんな作戦は知らない。それに、それらはオレ達がパトリシアを作戦に誘う前の仕事だ。それはつまり、


「パトリシアは仕事に対してとても真面目だ。あんな手の抜いたような真似はしないだろう。大方、私に怒ってもらうつもりだったのだろうな」


「そうか……。パトリシアもお前を心配してたんだな」


 本当に良い娘だ。この屋敷には、優しい者達の心遣いで溢れている。自分もそこで暮らせているのだと思うと、胸の奥底から温かい物が湧き出してきて、左手でそっと胸を抑えた。

 そして、リーリは小さな吐息を漏らすと、足音を立てないように扉まで歩いていき、そしてパッと開いた。


「うぎゃ!」


 すると、リュカとパトリシアが潰れるようにして部屋の中に雪崩れ込んできた。リュカが下に、パトリシアが上に二人で床にうつ伏せになる。


「私の耳が良いのは本当だ。二人とも、盗み聞きとは感心しないな」


「あ、いや、これは……」


「別に怒っている訳じゃないさ。変な気を遣わせてしまったようですまない。私は大丈夫だから、普段通りにしていてくれ」


 リーリは少し照れくさそうに頬を赤くしながら、二人の頭を撫でた。そんな彼女を見て、二人も自然と笑顔になる。くすくすと笑い会う女の子達は、ここでもマイナスイオンを発生させてくれた。オレまで笑顔になってしまう。


「パトリシアよ。私も頑張る。二人で屋敷の皆に喜んでもらえるような仕事をしよう」


「はい!」


 立ち上がったパトリシアは満面の笑みでリーリに答えた。手と手を取り合う。

 これからきっと、この屋敷はもっともっと素敵になる。皆がその優しさを見失うことがない限り、飛び切り楽しくて、春の陽射しのような柔らかい日常が続いていく。オレが渇望していたそれは、この異世界の、魔界の、魔王の屋敷で手に入った。別段オレが何か努力をした訳でも、行動を起こした訳でもないことを負い目に感じるほど、幸福な明日が手を振ってくれている。オレも頑張ろう。この娘達の一員であるために。

 三人で抱き着きあう女の子達を眺めながら、そんな事をオレは考えていた。








 パトリシアが屋敷にやって来て四日目の午後、オレは中庭の休憩所で魔王の書斎から借りてきた本を読んでいた。「ゼロから始める魔法の書」というタイトルだ。オレもこの世界に来てから長い。そろそろ魔法を使えても良い頃合いだ。とにかく魔法はカッコ良いのだ。詠唱を唱え始めると術者の周囲に魔法陣が現れ、それが最初はぼぅっとした鈍い色なのだが、魔力が高まるにつれてどんどん色鮮やかになっていき、最後は目が眩むような閃光となって魔法が発動される。簡単な魔法の場合はそこまで大掛かりなことにはならないが、こつこつ習得していけば、カッコ良い魔法も使えるようになるはずだ。


「虹の彼方・天と地・黎明の終焉・瞬き見る者・光陰・彷徨う御心・今ここに飛び立たん!!」


 ちょっとカッコつけて詠唱してみたりして。今のは転移魔法の詠唱だ。何回も聞いているうちに耳コピしてしまった。ばっと右手を前に突き出した決めポーズでニヤリと笑う。良いんじゃないか? 良いんじゃないか!? これが使えればどこにだって行き放題だ。リュカやパトリシアを景色の良い所に連れて行ってあげたり出来るぞ。きっと二人は喜んでくれるだろう。広がる妄想。みなぎる活力。よし、これから頑張って……


「あのぅ」


 決めポーズの姿勢のまま背後を振り向くと、見てはいけないものを見てしまったと言う困った表情でパトリシアが立っていた。そらされた目。行き場のない彼女の右手は、取り敢えず髪の毛を耳にかける動きをしている。


「何だいパトリシア」


「いえ、お忙しいようなら私は……」


「構わないよ。話があるんだろ? 聞かせてくれたまえ」


「分かりました。なので、そのポーズを解除していただけませんか。目のやり場に困ってしまいます……」


 オレも恥ずかしいので、その提案は慎んで受け入れよう。二人して石の椅子に着席する。何故かパトリシアは椅子を少し後ろに下げようとしたが、この椅子は地面に取り付けられているので動かない。少し迷ったあと、あえて身体をそるようにして座り直した。


「それで、何の用だ?」


「いえ、つまらないことなのですが、ちょっと気になってしまって……」


 何だろう。わざわざオレに言うのだから、何かオレに関係することなのは想像出来る。部屋が汚いとか、服が皺くちゃだとかそう言うことかな。でも、オレもリーリやパトリシアの仕事を無駄に増やさないように気を使って生活しているつもりだ。


「あの、私の名前なんですが……」


「名前?」


「はい。私はパトリシアです。家族や親しい友人は皆パティと呼んでくれていました。でも、ここのお屋敷の皆さまにはそう呼んでいただけなくて……」


 思わずほっこりしてしまった。なるほど。愛称で呼んでくれないのは寂しい、また屋敷の皆に受け入れてもらえていない気がして不安なのだ。だが、決してそんな事はないと自信を持って言える。


「それは、何と言うか偶々だよ。まだお互い出会って間もないから、遠慮してる部分もあるかもね」


「そ、そうですか?」


「うん。だから、そう呼んで欲しいなら少し強引にでもお願いしてみても良いんじゃないかな」


「わ、分かりました。やって、みて良いですか……?」


 パトリシアの上目遣いに、心臓が跳ね上がる。あ、ヤバい。今ここでオレにされる流れか。自分で言っておいて心の準備がおろそかだった。


「あの……。私、皆さまに、エドガー様にパティと呼んでいただきたいです。ダメ、ですか……?」


 いかん。この可愛さ超弩級だ。小さな握りこぶしを口元に当て、目を左右に動かしながら、時折期待と不安の入り混じった視線を向けてくる。その小動物のような姿に蕩けてしまいそうだ。


「う、うん。じゃあ、今日からパティって呼ばせてもらおうかな」


「は、はい! ありがとうございます!」


 飛び切りの笑顔の追撃も加えられた。もう吐血しそうだ。

 リュカはもちろん可愛いし、リーリだって魅力的だ。団長は華のような美しさだし、アヤさんは大人の色気たっぷりだ。だが、この娘の可愛いらしさは圧倒的な破壊力を持つ。守ってあげたくなる、と言うのはこう言うことか。自然とデレついてしまうのを抑えることが出来ない。

 その後、二人で少しお話してパトリシアは仕事に戻った。ふわふわとした感覚がいつまでもオレの心に残った。

 今日の夜までは。

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