サタニキアと言う王


 オレはこの店で一番弱い酒を、アキニタはミルクを注文し、カウンターのテーブルにそれぞれが置かれる。


「それで、マダム・ギラ」


「……ギラで良いわ」


「ならギラ。どうすればサタニキアにシミズ草を分けてもらえる?」


「……簡単よ。気に入られればいいわ。貴方なら多分大丈夫よ」


  ね? と、ギラはアキニタに意味ありげに目を向ける。それにアキニタは首を振って応えるにとどめた。


「どうすれば会ってくれる? ギラの言っていることが正しいなら、会えさせすれば何とかなるはずだよな」


 しかし、ギラは胸の前に腕を組んでキセルを吸う。よく見ると、この人は全身のいたるところに縫合跡がある。不思議と似合っていると思ってしまった。


「……どうかしらね。ねぇ、坊やはどう思う?」


「僕に振られてもなぁ」


 オレは必死で全力なのだが、二人はのらりくらりとしていて、真面目に相談に乗ってくれている気がしない。それでも、これから別の魔族を捕まえる気にはならないし、サタニキアの知り合いだと言うギラが一番確実性がある。


「……三百年も誰とも会ってないような王様との会い方なんて、見当もつかないわ」


「そもそも、何で会ってくれてないんだよ。引きこもってんのか? そんなことで部下とかは困ってないのか?」


 あの牧村をトップに据えているようなものだ。これだけのデカい、また特殊な町の運営が出来るとは思えない。


「……部下が優秀なんでしょうね。それより貴方、どうもサタニキアがどんな魔王か分かってないようね」


「どんな、魔王か?」


 確かに、言われてみれば、オレはこの洞窟都市に来るまではサタニキアについては、憤怒の王という二つ名しか知らなかった。これまで他の誰かとの会話でもサタニキアの話が出てきたこともない。オレにとっては、ルシアルと同様馴染みのない魔王だった。魔王相手に馴染みも何もないかもしれないが。



 灼熱色の鱗に地獄の業火を纏い、煌めきし牙は神さえ屠る。翼はためかせれば雲を掻き分け、地に降り立てば大地を揺らす。貫く咆哮は海さえ割る。

 その者世界を制し者。天空の覇者サタニキア。



 すると突然ギラが子守唄を聞かせるように唄い出した。


「……昔の詩人の唄よ。下手くそだけどね。六体の魔王は、それぞれ特徴を表す二つ名を持ってる。でも、その中でも唯一『王』という二つ名を冠しているのはサタニキアだけよ」


「それはつまり、どういうことだ?」


「……サタニキアは、新興魔王勢力が台頭してくる前の二千年間、魔界全土を支配していた正真正銘の魔王なのよ」


 ヒュッと変な音を鳴らして息を吸い込んだ。ギラから飛び出してきた数字があまりにもぶっ飛んでいて、頭が処理をするのに時間がかかった。


「二千年って……」


「……本人も魔族の象徴たる赤竜だし、とにかく規模が違うのよ。だから彼の部下は他の魔王を魔王と認めてすらいないわ」


 サタニキアの全容が見えてくるようで、見えてこない。それでもギラの話からは、魔王という、オレの中にあったイメージとぴったりと重なり合う姿が想像された。


「とは言え、他の魔王達に領地を切り取られてこんな穴蔵で隠居してるんだから、そこまで大仰に捉えなくて良いよ」


「……手厳しいのね」


 コップのミルクをこくこくと飲むアキニタは、小馬鹿にするような言い方で片付けた。おいおい大丈夫かよ。もし誰かに聞かれたらヤバそうな気がする。だが、だからこそ疑問が湧いてくる。何故それほどまでの力を持っていた魔王が、今の状況に甘んじているのか。それが顔に出ていたのか、アキニタが無表情で言う。


「歳なんだよ。三千年近く生きてるんだ。ロートルも良いとこさ」


「お前、なんかサタニキアに厳しいな」


 一杯目のコップを空にしたアキニタは、お代わりをギラに注文する。オレの前にも干し肉をカットしたおつまみの皿が置かれた。その時、


「うおっ!?」


「……あら、ごめんなさいね」


 ギラの右手首がポトリと外れた。青白いそれは、オレの足元に転がる。あまりに突拍子もなくホラーな事態に背筋が凍りついた。ひ、拾った方がいいのか? それに、これは怪我なのか? だとしたら手当を……。動揺する頭でそんな事を考えていると、ギラの右手首が、


「うおおっ!?」


 カサカサと五指を動かして、オレの脚から這い上がってきた。二の腕に鳥肌が立つ。払い除けようとしたオレの左手をかわした右手首は、ぴょんとジャンプしてカウンターに乗っかった。そして、それをギラの左手が掴み、自身の千切れた手首に取り付けた。感触を確かめるようにグーパーさせる。


「あ、あんた大丈夫なのか?」


「……平気よ。驚かせちゃったかしら」


 アキニタが口を開く。コップのミルクがみるみる減っていく。


「マダム・ギラはゾンビなんだ」


「ぞ、ゾンビ?」


 二杯目のミルクをもう飲み干したアキニタは、まるで何事も無かったかのようだ。その手は干し肉へと伸びる。オレもそのつもりでギラを見てみると、確かに肩や首筋の肌が千切れていたり、剥けていたりしていた。妙に青白い肌や縫合跡にも納得出来る。


「……女性の身体をまじまじ見るものじゃないわよ」


「あ! ご、ごめんなさい!」


「……ゾンビを見たのは初めて?」


「は、はい」


 するとギラはキセルの灰をかつんと落として、怪訝な顔で首をかしげる。


「……この辺りでは珍しくないけど、貴方、どこから来たの?」


「魔王アスモディアラ領だ」


 隣で干し肉を貪り食っているアキニタが、その手を止めて固まった。眉根を寄せて考えこむような仕草をする。


「おかしいね。アスモディアラ領に火毒蜂なんかいないはずだよ」


「んな事言われても……。現に患者はいるんだ」


「ふーん」


 それだけ呟くと、アキニタはまた食事に戻った。すでに干し肉の皿は空だった。オレはまだ一度も肉を口にしていない。それを見てギラがまた干し肉の皿を出してくれる。これ、代金はもしかしなくてもオレ持ちだよな。アキニタ食い過ぎだろ。ちったぁ遠慮しろよ。


「……さて、どこまで話したかしら」


「サタニキアが衰退したとこまで。ゲフ」


 ほら、腹膨れてんじゃねぇか。しかし、アキニタは二回自分の腹をさすると、それがみるみるうちに萎んでいった。どういう身体構造だ。


「……月を撃ち落とした話は知ってるかしら?」


「え? 月?」


「……そうよ。サタニキアはかつて竜の咆哮で空に浮かぶ月を破壊したのよ」


「嘘だろ!? そんなの……あり得ない!」


 それでは物語の中の世界だ。しかし、オレの動揺と驚愕も、ギラは相手にすることなく紫煙をくゆらせる。煙が天井まで昇って、室内に広がっていく。


「……本当よ。サタニキアはそれが出来る魔王なの。魔界に空いてる穴はたいてい月の破片よ」


「マジ、かよ……」


 スケールが違い過ぎる。そんなの最早神の領域じゃないか。


「じゃあ、昔は魔界には三つの月があったのか」


 だとしたら、人間界の月はいくつだったのだろう。想像も出来ない。


「……ん? 何言ってるの? 魔界の月は一つよ?」


「え、いやだって、二つあるじゃん。赤と青の月が」


「……ああ。魔界は空気中の魔力が濃いから、遠くのものは位置や時間がズレて見えるのよ。要するに、昔二つあった月はサタニキアが一つ撃ち落として、今は一つなの。二つに見えてるけどね」


「へ、へぇ」


 勉強になった。それなら人間界の月が一つなのも説明出来る。時間もズレると言っていたから、二つの月の満ち欠けが違う原因にもなる。


「ま、何言おうが昔の栄光だけどね」


「お前、本当にサタニキアアンチだな。何かあったのか」


 へっと、吐き捨てるようにまとめたアキニタの過去が気になる。


「でも、何で月を撃ち落とすなんてことしたんだよ」


「……色々言われてるけど、つまるところイライラしてたかららしいわよ」


「とんでもねぇな」


 流石は憤怒の魔王。むしろ絶対これが名付けの理由だろ。


「……昔はヤンチャしてたらしいからね。山削ったり湖作ったり」


「だからスケールがおかしいんだって」


 オレも山なら一度削ったことはあるが、でかい山ではなかったし、四分の一くらいだった。しかし、ここでギラの言う削ったは、おそらく根こそぎ持っていってる。だが、ここまでサタニキアのとんでもエピソードや武勇伝を聞いてきて、ムクムクと湧き上がってきた一つの疑問があった。


「何で引きこもっちまったんだろ」


 その強大な力は間違いない。いくら歳を取ったからと言ってそうそう衰えるものではないだろう。むしろ多少衰えたとところで何の問題もないと思えた。部下も強者を揃えているはずだし、崇拝されている。今から魔界を支配しようとすれば可能なように感じる。しかし、サタニキアはそれを実行することなく、誰とも会わない隠居生活をしている。幸せの形としてはそれもありだと思うが、それを良しとする魔族が一度だって魔王になどなるのか。


「疲れたんだよ、きっと」


 六杯目、いや、七杯目のミルクを片付けながら、アキニタが呟いた。カウンターの奥に座ってキセルを楽しむギラが、片目をちらと開いた。


「憤怒なんて傍迷惑な二つ名をもらったせいで、肌に合わない恐怖政治敷いたりしてさ」


「……そうかもね」


 ギラも一言同調した。どこかしんみりとした空気がカウンターに流れる。あまりにもしんとしすぎていて、おそらくは防音だったはずの扉から外の宴会の音が聞こえてくる。オレも何故かその空気に馴染んでしまって、酒を一気に飲み干した。疲れた、というアキニタが言った理由は、何故か酷く理解できた。オレも、似たような部分があったから。

 日本にいた頃は、一番強いという事実が肩にのしかかってきて、いつも気を張っていた。この世界に来ることがなければ、いつかその重圧に押し潰されていたかもしれない。何かを為し、何かを為されたわけでもないというのに、オレの心にはいつも足枷が付いていた。だが、


「まぁさ」


 だからこそ、自身の身になって言って欲しいことが分かった。


「疲れたんなら、休んで良いだろ。部下も良くやってるみたいだし、不満に思ったりしてねぇよ、多分。だから、しばらくゆっくり休んで、また元気になったら戻ってきてくれるさ。一番偉大な魔王がさ」


 きっと、この魔界を真に支配する者はサタニキアだ。本人にその気があるのかどうかは知らないが、いつか戻ってきた時に穏便に話が進んでくれることを願うばかりだ。すると、隣のアキニタが少し驚いたような顔でオレを見ていた。必ず飲むか食うかしていた手が止まっている。


「どうした?」


「あ、いや。何でもないよ」


 目を伏せて頭を振った。


「そうだね。戻って来てくれると良いね」


 ギラが煙を肺に取り込みながら、静かに言う。


「……手に負えない時も、ヘナチョコだった時もあったけど、私達の王様は、彼だけだから」


 煙を吐き出すギラは、優しく笑ってアキニタを見ていた。その視線から逃げるように、アキニタはミルクを飲み干した。

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