隠れ家の女主人


 この子供と会話をしながら思い出した。さっきの連中にサタニキアについて聞くのを忘れてしまっていた。また辺りに静寂が訪れる。本当に誰もいない。


「まあ良い。ほんじゃ、オレは行くから」


「どこに?」


「サタニキアの城。欲しい物があるんだ」


「ふーん」


 子供が少しだけ興味ありげな声を出す。ただ、もうこいつに拘ってられない。

 この子を置いてまた走り出そうとした時、突然サイレンのような黄色い音が洞窟内に鳴り響いた。あまりの大音量に頭が割れそうになる。思わず耳を塞ぐが、おかまいなしに鼓膜が揺れる。


「なんだ!? うっさい!」


「戻ってきたんだよ」


「はぁ!?」


 すると、洞窟の反対側、鍾乳洞の壁だったところがゆっくりと上に向けて開き出した。薄暗い町に光がさしこんでくる。しばらくするとサイレンも鳴り止む。


「何だったんだ」


「見てみなよ」


 まだ座っている子供が、ズボンのポケットから双眼鏡を取り出して投げてきた。訳のわからないまま開かれた壁の方を見ると、


「魔、族……!?」


 うつり込んできたのは、数百、いや、数千、それ以上の数の魔族達だった。巨大な斧を肩に担ぐ者、双剣を両脇に提げる者、槍を振る者。全員が武装し、その鎧や身体には真っ赤な鮮血を塗りつけていた。


「サタニキア軍だよ。レヴィアとの抗争から帰ってきたんだ」


 そいつらは、オレがこれまで見てきた魔族とは、まるで様相が違った。身体は大きく、筋骨たくましく、その笑い方すら豪快だ。アスモディアラみたいな体格は当たり前で、大きい者は十メートルを軽く超える奴らもいた。


「この町は戦士だけが住んでるから、抗争の時は誰もいないんだ。ん? どうしたのお兄さん」


「いや、少し身震いが……。そうか。戦争をしてる奴らってのは、あんな面構えしてんのか」


 こんなにも距離が離れているのに、彼らの放つ殺気と闘気に鳥肌が立っていた。だが、


「だが、軍が帰ってきたってことは、サタニキアもいるよな。早く交渉に行こう」


「無理だよ」


 走り出そうとするオレの服の裾を掴んで、こいつは言った。


「なに?」


「サタニキアは、三百年誰とも会っていない」


「いや、でも軍が……」


「彼らはサタニキアに心酔してるから、ほっといても勝手に戦うんだよ」


 教えられた事実に絶望した。オレはレヴィアに会うのだって黒魔女マミンの仲介を必要とした。魔王に会うことがそう簡単ではないことくらい分かっている。だと言うのに、それに輪を掛けて割り込んでくるのが三百年間誰とも会っていないと言う事実。この町に来てすぐだと言うのに、もう先が見えなくなっていた。


「いや、待てよ」


 靄になっていく思考を繋ぐ。


「別にサタニキアに会う必要なんてない! 勝手に採ってくれば良いじゃないか! 売ってるのを買ったって良い!」


 そうだよ。難しく考え過ぎていた。見えた光に頬を赤くしていると、


「お兄さん、何がそんなに欲しいの?」


「シミズ草って薬草だ。仲間が火毒蜂に刺された。だから、薬草を採って帰る!」


「ふーん。でもその薬草、サタニキアが群生地を含めて独占してるよ。どっちにしろ会わないといけないね」


「う、そ……」


 何なんだこのガキは。さっきからああ言えばこう否定してくる。無駄な行動をしないで済む分有り難いが、イライラしてくる。そうこうしている内に、軍の連中がこの近くまで戻って来ていた。ガヤガヤとした喧騒が洞窟を埋め尽くす。彼らの匂いと熱気が凄くて、一歩下がってしまった。


「……しゃあねぇ。ダメ元でも突撃して」


「やめときなよ。戦争終わりの、それもこんな夜中にやってくる客にいい顔したりしないよ」


 言われて気がつくと、洞窟の上の上空から入ってくる光は消えていた。土と石の町に灯りが灯り始めていたため分からなかったのだ。至る所に取り付けられた松明が燃え、鍾乳洞の天井にいくつもの影を作る。キラキラと光り輝く鍾乳石は不思議な色をしていて綺麗だった。


「大宴会が始まるよ。見つかったら朝まで付き合わされるから、隠れた方が良いね。こっちだよ」


「お、おい……」


 子供がオレの手を引いて進んでいく。その顔が振り返った。


「そうだ、お兄さんの名前は? 僕はアキニタ」


「オレは、江戸川竜士だ」


「ふーん」


 少し驚いた。オレの和名は、この世界の連中は発音しづらいらしく、皆エドガーと呼ぶ。それはそれで気に入っていたのだが、いつも必ず聞き直された。しかしこの子供はそれをすることがなく、一回で頷いた。些細なことだが、それが妙に気にかかった。

 オレの手を引くアキニタは、路地の狭い方狭い方へ進んでいく。迷路のように入り組んだ土壁の道を曲がり、昇り、降りる。遊園地のテーマパークを歩いている気分になってきた。そしてこいつは、子供のくせにとにかく歩くのが早い。オレの方が小走りになってしまう。

 とうとう、オレ一人がやっと通れる程度にまで道幅が狭くなった。これではあのサタニキア軍の奴らは通ることは出来ないだろう。傍に立つ建物も、家屋と言うよりは物置や倉庫のようだ。町の中心から外れていくことで、自然と灯りは減り、薄暗くなっていく。


「おい、いつまで歩くんだよ。てかどこに向かってんだ」


「もう着いたよ。ほら」


 そこは路地の行き止まり。何もない場所かと思ったが、下へと続く狭い狭い階段があった。それが螺旋が回りきる途中で、土の扉に行き着き、中の灯りを弱々しく漏らしている。アキニタはその階段をゆっくりと降りていく。都内の隠れ家的飲み屋みたいだと思いながら後に続く。


「……いらっしゃい」


 中は、本当に飲み屋だった。狭いカウンターには丸い椅子が五つだけ。他の座席はなく、客もいない。一つだけの灯りが赤と黒と白のレンガの壁を照らしていて、レトロな雰囲気が漂っている。店の隅で、顔色の悪い女性がキセルの煙をくゆらせながら脚を組んで座っている。暗い色のドレスを着ていた。


「久しぶり。マダム・ギラ」


「……珍しい。あなたが誰か連れてくるなんて」


 二人は顔馴染みのようだった。マダム・ギラと呼ばれた女性は、顔を斜めに横切る縫合跡が特徴で、話し方も独特な間がある。


「そこで会って助けてもらったんだ」


「……そう。よろしく」


「あ、ああ」


 アキニタのような子供が何故飲み屋の女主人と知り合いなのかとか、ここは何なのかとか疑問は尽きないが、何より何故オレがここに連れて来られたのかが分からない。外の宴会から逃げるためだと言う説明だけでは納得しきれなかった。


「お、オレは急いでるんだ。あんたらに付き合ってるヒマは……」


「……あら、どうして?」


「仲間が火毒蜂に刺されたんだって。シミズ草が欲しいんだよ」


「……大変そうね」


 抑揚のない声で心配されても何にもならない。オレはここで何も得られそうにない。そう見切りをつけて出て行こうとすると、


「マダム・ギラはサタニキアと古い知り合いだよ」


 アキニタがカウンター席に座りながら、ボソリとこぼした。その内容に驚愕を持って振り返る。マダム・ギラは迷惑そうな目でアキニタを見て、脚を組みかえる。


「本当か?」


「……えぇ。まあ」


 カウンターを乗り越える勢いで飛びついた。


「教えてくれ! どんな些細なことでも良い!」


「……ふぅ」


 マダム・ギラは、もう一度煙を深く吸い込み、オレの顔にほうと吐き出した。煙の独特な薫りが鼻を襲うが、目は閉じない。


「……何か飲む?」


 立ち上がったマダム・ギラは、億劫そうにメニューを手渡してきた。

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