助かるために


 魔王の言っていることはつまり、他の魔王に助けを求めることに他ならない。そして、それを成功させることは……


「リーリは私とリュカの家族だ。何としても助けたい。最善以上を尽くす。そこで婿殿」


「オレが、どっちかに行けば良いんだな」


「そうだ。私は資金と転移魔法の準備をする。婿殿は少しの間待っていてくれ」


 二人で頷きあって別れた。黙って待っていることなど到底出来なくて、勝手に足がリーリの部屋へ向かう。絡まりそうに、わずかな段差にすらつまずきそうになっても、それでも部屋へ向かう。真っ暗になっていく視界に響くように声がこだまする。

 あれ、オレはどうしてこんなに必死なんだ? だってあいつは、オレが嫌いで人間が嫌いで、会えばゴミを見るような目でしか見てくれなくて、悪口と文句ばっかりで、一緒に過ごしたのだって本当に短い間だけだ。今オレとあいつの関係性は、他人か、リュカの友達で従者だと言うだけだ。なのに、どうして、脇腹を貫かれるより胸が痛いんだ。


「エドガーさま……」


「リュカ……」


 グルグルと回り続ける思考の終点はどこにも見つからず、もう目の前にはリュカの泣き顔があった。リーリのすぐそばで、彼女の手を両手で握るリュカは、涙を流して震えていた。


「リーリが、辛そうなんです。苦しそうなんです。もう、意識も途切れ途切れになるくらい、熱が高いんです。どうしたら、わたくしどうしたら良いの……? 何もしてあげられないの……?」


 もう見ていられない。嗚咽交じりに呟き続けるリュカの顔はボロボロで、弱くて卑怯なオレは、目をそらしてしまった。


「すみ……ませ……」


 その時、リーリが苦しみを抑えつけるように何か喋った。囁きのような言葉は、血と咳とがごた混ぜになって、かすれた音としてしか聞き取れない。


「リーリ! リーリ! リーリ!」


「落ち着けリュカ!」


 涙腺の堤防が決壊したリュカは、リーリの身体を激しく揺すりながら泣きじゃくる。その肩を掴んで力ずくでベッドから引き離した。


「だ……じょ、ぶ?」


 苦悶に揺れるリーリの青い瞳がオレとリュカを、いや、誰もいない方向へ向けられた。


「泣……いで。……じょぶ……だか、ら……」


「っ!!」


 リュカの手を握るリーリの手が、わずかにか握られた。こいつは。こんな状況でも、リュカの身を案じているのか。リュカは放心状態で、涙だけを床にこぼし続ける。


「リュカ!!」


「ふぁ……」


「しっかりしろ!」


 涙を流し続けるリュカの頬を手のひらで掴む。力のない朱と蒼の瞳と間近で視線を合わせる。


「オレと魔王が、必ず薬草を採ってくる! だからそれまで、リュカがリーリを守るんだ! それが出来るのはお前だけだ!」


「……は、あ……」


「オレの目を見ろ!」


 これだけ強い言葉を叩きつけても、リュカの目に生気は宿らない。完全に混乱し切っているみたいだった。無理からぬことだが、そんな事では困る。ここを任せられるのは、リュカしかいないんだ。


「っの! 許せ!」


 両手でリュカの耳を引っ掴んで首を固定した。表情は虚ろだから抵抗もしない。今のリュカを何とかするには荒療治しかないと判断した。そのままゆっくり、リュカにオレの顔を近づけて……


「痛っ!?」


 頭突きした。渾身のヘッドバットがリュカのおでこに打ち込まれる。白い髪の生え際が赤くあとになる。


「目ぇ覚めたか!?」


「痛いじゃないですか! 酷い!」


「うるさい! オレはもう行く! リーリのこと頼んだぞ!」


「言われなくても!」


 二人しておでこをさすりながら睨み合う。もう相手をしていられないので、転移魔法の準備をしている魔王の元へ走る。部屋から駆け出そうとした時、


「信じています!」


 リュカが、拳を握りながら一言叫んだ。オレは片手を上げる。


「おう。信じて待っとけ」


 振り返ることはしなかった。後ろを見てしまうと、不安で押し潰されそうだったから。苦しむリーリを前に待ち続けるという重い役割をリュカに押し付けて、オレは全力で走った。

 助けたい。助かって欲しい。ただそれだけを願うことで、余計なものを全て取り払った。












「私はルシアルの所へ行く。私とアヤとあいつは古い飲み仲間だ。もしかしたら無償で譲ってくれるかもしれん」


「絶対じゃないのかよ」


 それと、何で魔王二人と飲み仲間なんだよアヤさん。あの心強いお姉さんの不在を心から悔やむ。

 魔王の朱い瞳は決意で固まっている。逞しい筋肉を包む服装は、オレの目から見ても正装だった。


「そしてサタニキアだ。あの方は行動が読めん。細心の注意を払うように。誰かの命と引き換えでない限りは全ての要求をのんで良い」


「分かった」


「事細かく説明している暇はない。ここからの判断は任せる。これは金だ。町八つは買える金額だ。使い所を見誤るな」


 神妙に頷いて麻布の袋を受け取った。ずしりと重い金貨に、より心が引き締まる。肩から提げたカバンに押し込んだ。


「それでは始める。乱暴なのは覚悟しろ」


「どんと来いよ!」


「うむ。虹の彼方・天と地・黎明の終焉・瞬き見る者・光陰・彷徨う御心・今ここに飛び立たん!!」


 早口で唱えられた詠唱の終了を合図に、全身に超振動がわき起こり、頭の中がかき乱される。これまでになく荒っぽい。魔王の焦燥を形にしたような不安定さだ。それでも、やはりそれは一瞬の出来事だ。


「着い、たか……」


 オレは硬い岩盤の上に四つん這いになっていた。とりあえず気持ち悪くて仕方ないので、喉深くに指を突っ込んで吐く。激しい頭痛もするが、それは我慢出来ないほどじゃないし、どうでも良かった。


「ここが、洞窟都市……」


 見渡す巨大な町全体が、青黒い鍾乳洞の中にあった。高い高い天井からは家を押し潰しそうな鍾乳石が数えきれないほど垂れ下がってきている。陽光はほぼ全て遮られてきて、町は一様に薄暗い。扇状に広がる町の大きさは、王都と同じくらいだ。そして、その扇の要に位置する場所に、石を掘って造られた刺々しい城が鎮座している。その上空部分だけ大穴が開いており、そこから光を取り込んでいた。

 町は石や土で出来た家で埋め尽くされていて、その他の建物は見当たらない。本当に家だけのようだった。しかし、何故か誰の声も聞こえてこない。これだけ広大な洞窟の中だと言うのに、物音一つしない静けさで、精巧な絵画を見ているような錯覚を起こす。


「んな事どうでも良い。とにかく急いであの城に……!」


 こうして一秒立ち止まっている間にも、リーリは汗を流し血を吐き、高熱に苦しんでいる。ちんたらしている暇なんてどこにもない。

 町の中に入ってみても、やはり魔族の気配が感じられない。狭い迷路のような入り組んだ道を駆け抜けるが、誰ともすれ違わない。窓や開けっ放しの扉の中を覗き込んでみても、荒れた室内の様子がわかるだけだ。


「……だよ! で……さ!」


 その時、初めて声が聞こえてきた。オレには、この町やサタニキアについての情報が何一つとしてない。余計な時間を費やしている暇はないが、それでも最低限の情報は必要だ。声のする方へ走る。見えてきたのは、大きな荷馬車の周りで口論する魔族達だった。赤い肌をした左手が鋏の男に声をかける。


「おい! ちょっとあんたら!」


「うお!? 人間!? あ、いや、魔族か。なんだよにいちゃん。今忙しいんだよ」


 オレを見て飛び上がるが、すぐに魔族だと勘違いしてくれた。こう言う時この右腕は便利だ。


「時間は取らせない。ちょっと聞きたいことが……って」


 思考と視界が狭くなっていたせいで、今やっと気づいた。この荷馬車からはいつくもの木箱が転がり落ちている。中を見ても、ほとんどが空だ。


「どうした? 何か事故か?」


「事故じゃねぇよ! あいつだ! あのガキだ!」


 別の魔族が困ったように叫ぶ。


「……」


 その指先、荷馬車の上に子供が胡座をかいて座っていた。その両手には、角の生えた魚が抱えられている。子供とそう変わらない大きさだ。それをその子供は、


「んが」


「え!?」


 一口で飲んだ。一瞬口があり得ない大きさまで広がった気がして目をこする。バリボリと鱗や骨を噛み砕く。その子供は腹をさすりながら立ち上がり、一度大きくげっぷした。緑色の半ズボンに白シャツ。黒髪黒目のどこにでもいそうな普通の男の子だ。


「このガキ! 結局積荷全部食い尽くしちまった!」


「殺せ! いや、捕まえて売り飛ばすぞ! 商売丸潰しにされたんだ! このままじゃ文無しだ!」


 下の魔族達がこんなにも怒りで荒ぶってきるのに、しかし子供は眉一つ動かさない。どこか遠くを見つめる視線は、まだまだ満足していないと言いたげだ。自分の状況がよく分かっていないようだった。


「おいあんたら。損害はどれくらいなんだ?」


 おそらく、このまま放っておけば、この子供は魔族達のリンチにあって殺されるか売られるかしてしまう。その原因がこの子にあるとしても、一度その現場を見てしまった身としては、放置出来なかった。


「あ、ああ? えっと、川魚の木箱が二十。肉の香辛料漬が三十。あと少しの香辛料と野菜……だいたい金貨十枚だ」


 思ったよりも少ない。オレの金銭感覚がおかしいだけかもしれないが、提示された金額は、魔王から預かった金貨の二十分の一にも満たない。その程度なら払っても良いと思えた。


「ほら、それならこれでどうだ」


 金貨を十枚、麻布袋から取り出して魔族達に投げ渡す。


「う、うお!? 本当に十枚ある……。何だにいちゃん、こんな見ず知らずのガキのために……」


「見ちまったもんは仕方ないだろ。ほら行けよ」


 それで魔族達は満足したようで、それ以上ふっかけてくることもなく荷馬車を走らせて消えて行った。タチの悪い連中じゃなくて良かった。


「それで、おいお前」


 オレの隣に体育座りする子供を睨む。ぼーっとした表情で、干し肉を噛みちぎっている。


「お礼を言えとは言わねぇ。けど、なんであんなことしたんだ。あと胃袋どうなってんだ」


 子供が初めてオレには目を向けた。


「お兄さん変な人だね。普通助けないでしょ。仲間だと思われて殺されることだってあったよ」


「お前が言うな」


 当然声がわりしていない。この不思議な子供は、珍しい物を見る目でオレを眺めていた。

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