生き抜く覚悟と

再び人間界へ


「おはよう。ダーリン」


「あぁ、おはよう」


 今朝はあいにくの雨模様だった。空と大地を繋ぐ糸のように、か細い雫は草花を濡らす。その小さな音は決して嫌いではないのだが、今日からまた人間の城下町に行くつもりだったので、悪天候は何とも残念だ。


「なあダーリン」


 レヴィアが描いてくれたサインを、早く牧村の元に届けたい。あいつは一日経つごとにそのニート力を高めるだろう。迅速な対応が求められる。


「早く縄を解いてくれないか」


「…………はぁ」


 朝から頭が痛い。脇腹だってまだ痛むし、左手に関しては痺れに似た感じがあって動かし辛い。魔女が言うには、腱が切られていたため、完全復活には少し時間がかかるそうだ。


「縄抜けとか出来ないのか、あんた」


「出来るならとっくにしているさ」


 現在オレの寝室の隅には、縄で手脚を固く拘束された団長が転がっていた。昨晩、リュカの監視の元行われたマッサージの後、テンションの上がった団長がこの部屋に侵入してきたのだ。


「しかし驚いたぞ。まさかダーリンに緊縛の心得があったとは」


「変な風に曲解すんな。適当に縛っただけだ」


 背中に折り畳むようにして縛っていた手脚の縄を解く。かなりきつく縛っていて、当時のオレの焦りが伝わってくる。この人を野放しにすることとオレの危険はイコールだ。


「くそ。ちょっとやりすぎたかな」


 団長の心身を慮っての発言ではない。左手に上手く力が入らないので、大変解きづらいのだ。龍王の右腕ドラゴン・アームで千切ってしまっても良いのだが、この縄は対団長用に今後も使いまわしていきたいので、その方法は最終手段だ。


「いやあ、昨晩は私も柄にもなく興奮してしまってな」


「肩揉まれただけで興奮すんな」


 本当に迷惑な変態だ。よし。やっと緩んできた。


「そうそう。それでダーリン。脇腹と左手の具合はどうなんだ?」


「あぁ、まだちょっと痛むが大分マシに……てあれ?」


 いま、何て言ったこの変態。


「だ、団長もしかして……」


「む? あぁ。隠していたつもりだったのか? ふふ。見くびらないで欲しいな。庇うような歩き方、左手での作業を避けていたこと。数多の怪我人を見てきた私が気づかない訳がないだろう」


「マジか……」


 何故この人は変態なのだろう。いや、そんな事考えても仕方ないのは分かっている。だが、それでも事あるごとに思ってしまう。


「それに、おそらくだがアヤさんも気づいていたぞ。リーリも、患部までは把握したいないようだったが、ダーリンの怪我自体は分かっていたようだ」


 団長が教えてくれる状況に辛くなる。つまり、下手にオレが隠そうとしても無意味だと言うことか。まあ、闘いと常に背中合わせの彼女達に、オレが隠し事が出来ると考えていたことが間違いか。


「じゃあ、リュカも気づいてたのかな」


「それはどうだろう。あの娘はあの娘で読み切れん所もある」


「そうなのか」


 オレからしてみれば、リュカが一番分かりやすいのだが、それは勝手に分かった気になっているだけで、実際は違うのかもしれない。


「ほら、解けたぞ」


「おお、ありがとう。んん、流石に身体が固まっているな。どうだ、ダーリン。運動がてら朝稽古と行かないか?」


「いや、辞めとく」


 そうか。そう言って大して残念がることもなく団長は出て行った。さも当たり前のように動き出したが、あの人ついさっきまで縛られてたんだぜ。


「オレは、分かってないことばっかだな」


 胡座をかいた姿勢から、そのまま仰向けに倒れた。天井が、遠い。







 朝の食卓には、魔王も姿を見せていた。ただ、まだ顔色が優れない。食べているのもスープだけで、胃が復活し切っていないことがうかがえる。


「おはようございます、エドガーさま」


「ん、おはよう」


「はよぉさん」


 リュカが笑顔で、アヤさんが欠伸まじりで挨拶してくれる。オレが席に近づくと、リーリが嫌そうに紅茶を注いでくれた。サラダを自分の皿によそいながら、魔王に話を切り出す。


「魔王様、オレはまた王都に行こうと思ってます」


「ん、ああ、勇者のサインか」


 どうやら、魔王もオレの事実はすでに知っているみたいだ。


「では、団長殿と一緒にグリフォース王への親書の返事を届けてくれまいか」


「分かりました。じゃあ馬車を……」


「いや、前回はリーリとの親睦を深めるのも目的だったため馬車を使ったが、今回は私が転移魔法で送ろう。返事は早い方が良い」


 これは嬉しい事態だ。馬車の旅も嫌いではないが、魔王の言う通り何事も早い方が良い。しかし、


「なら、わたくしとエドガーさま、団長さんの三人ですね」


 リュカが楽しそうに呟いた発言に、空気が止まる。


「なっ!?」


「え? あ、熱い熱い熱い!!」


 いきなりリュカが突拍子も無いことを言うものだから、紅茶のお代わりを注ごうとしていたリーリが、それをオレの脚にぶちまけた。


「何を言ってるんだリュカ!!」


「そうだ! あとリーリはまずオレに謝れ!」


 ズボンから紅茶の甘い香りと湯気が沸き立つ。絶対火傷した。急いでズボンを脱ぐ。


「ふむ。リュカ、それはどう言う意味だ?」


 だが、リーリと違い魔王はそれほど驚いた様子はない。静かにリュカに問う。


「はい。私も以前から人間界には興味がありましたし、それに……」


「それに?」


 リュカがびしりとオレを指差す。その目は鋭く、オレも背中に寒いものを感じる。


「エドガーさま一人で行かせると、また別の女性を連れ帰ってくる可能性があります!!」


「うっ!!」


 確信と不信の両方を宿した瞳をしていた。しかし、それを強く否定出来ないオレがいる。もしかしたら牧村をこの屋敷に連れてくる必要もあると思っていたからだ。


「なるほど、一理ある」


 魔王も納得してしまった。


「だからってリュカ!!」


 もちろんリーリは断固反対の姿勢だ。オレも流石にリュカを人間界に連れて行くのは危険だと思っているので、ここは彼女に頑張ってもらいたい。


「返事のことを考えると、しかし、うーむ……」


 魔王はその太い腕を組み、目を瞑って熟考する。考えるまでもなく反対するかと思ったが、何か思惑があるのか。


「団長殿」


「なんだ魔王」


 そして、団長に話を振った。


「リュカが人間界に行った場合、危険度はどれくらいだ?」


「魔王様!?」


「いってぇ!!」


 予想外の事態に慌てたリーリが、紅茶のカップを取り落とし、それがオレの頭に当たる。


「そうだな……。魔王の娘ならば、論ずるまでもなく危ない。多くの者がその命を狙うことは確実だ。だが、普通の魔族としてなら、さほどの事ではない。エルフやドワーフの例もあるからな」


「ふーむ。分かった。許可しよう」


「な!? な!?」


「やった!」


「だから痛いって!!」


 リュカは拳を握って喜び、リーリは持っていた盆でオレの頭を乱打する。


「何故です魔王様!! お考え直し下さい!!」


「いや、私にも考えがあってな」


「そんな……」


 何かこれと似たような光景を見たな。絶望するリーリの顔は面白い。


「ただ、私も心配ではある。アヤよ、ついて行ってはくれぬか?」


「嫌やめんどくさい。うち暇やけど、めんどいことはしたないんよ」


 魔王がアヤさんに頼んだが、間を置くことなく断った。ええ。この人、一応は魔王の頼みを、めんどくさいの一言で切って捨てた。それに、魔王もそれ以上無理強いしない。この二人の力関係が分からない。


「セルバスもおらぬしな……。もちろん婿殿を信用していない訳ではないが」


「では魔王様!! このリーリをお供におつけ下さい!!」


 当然リーリはそう言うだろう。必死である。しかし、


「いや、お前には別の仕事を頼みたい。それは出来ぬ」


「そ、そんな……」


 絶望顔二つ目、いただきました。それだけでなく、リーリは糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた。


「大丈夫ですよリーリ。私もそれなりに自衛出来ますし、何よりエドガーさまのお側にいますので!! 監視をかねて!!」


 監視されるのか……。そうか……。


「分かった……。おい貴様!! その命を懸けてリュカを守れよ!! 死んでも守れ!!」


「分かってるよ」


「さて、転移魔法の準備をする。朝食が終わったら、私の部屋に来なさい」


 これはまた、かなりしんどい旅になりそうだ。うきうきと頬を染めて朝食を食べるリュカを横目で見ながら、こっそりため息をついた。

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