二度目の王都


 魔王の部屋入ると、その床には、大きな六芒星の魔方陣が描かれていて、その六つの頂点にはそれぞれ一本ずつ蝋燭が立てられていた。部屋は暗く、ぼうっとした蝋燭の炎が怪しく光を発している。


「私も王都には行った事がない。少し座標がずれるかもしれないが、その時は団長殿が二人を案内してやってくれ」


「心得た」


 団長とリュカが陣の中心に立つ。リュカは小さなニット帽で一応角を隠していた。その彼女が準備した着替えや携帯食が入ったカバンを抱えて、オレもそこに並ぶ。


「リュカよ。団長殿と婿殿の言う事を良く聞いて、気を付けて行くのだぞ。おてんばは発揮せぬように」


「も、もうお父様! 私は小さな子供ではありません。自分の分と言うものを弁えております」


「そうだと良いが……。では始めよう」


 魔王が小声で詠唱を開始する。この点から見ても、やはり魔女の魔法はレベルが高く、さらにポンコツはその上を行くことが分かる。


「虹の彼方・天と地・黎明の終焉・瞬き視る者・光陰・彷徨う御心・今ここに飛び立たん!!」


 長い長い詠唱の過程で、魔王の魔力が高まる。それに呼応して、六芒星が青白く光り始める。最後の一声と共に、胃の腑をかき回すような、恐ろしく不快な感覚が全身を巡る。横隔膜がせり上がってくるようになって、酷い吐き気を催す。

 一瞬の後、固く閉じた瞳を開くと、そこは小さな街道の真ん中だった。こちらは雨が降っていないようだが、空は重たい雲で覆われている。転移が成功したようだ。しかし、ここは王都ではない。


「ここ、は?」


「ふむ。やはり少しズレているか。一時間程歩く事になりそうだ」


「そ、それよりエドガーさま! 大丈夫ですか? お顔の色がゾンビのようになっておりますが……」


「ちょ、ちょっと待ってて……」


 口を両手で抑えて、街道の脇へ走る。大きな岩を見つけたので、そこの陰で盛大に胃の中の物を吐き出す。朝食で食べた物を全てリバースした感じだ。それでも一度吐いてしまえばそこそこすっかりするもので、口元を拭って二人の所へ戻る。


「ごめん。また酔ったみたいだ」


「まあ、慣れてないとそうなる。こればっかりはどうしようもない」


「本当に大丈夫ですか? 少し休んでいかれますか?」


 リュカがオレの背中をさすりながら、心配そうに顔をのぞきこむ。


「いや、大丈夫。行こうか」


 これ以上気を遣わせてもいけないので、先頭に立って歩き出す。しばらく行った所で、二人がついてきていない事に気がついた。


「ダーリン。そっちは逆だ」


「早く言えよ!!」


 唾を飛ばしながら怒鳴る。どうしてそんな意味のない意地悪をするのだ。無性に腹が立ってきたので、団長の頭をはたく。つもりだったのだが、軽く片手で受け止められた。お前の考えなどお見通しだと言わんばかりに団長がにやりと笑う。


「のやろ……」


「仲良く行きましょう! 仲良く!」


 ここ最近は喧嘩ばかりで、一番に団長に噛み付いていたリュカが、慌ててオレと団長の間に割って入った。仕方なく三人並んで道を歩く。


「さて、道すがら今日の予定を話そう。ダーリンはとにかく勇者に会いたい、で良いか?」


「ああ、とくにそれ以外用事はない」


「私としては、親書の返事を国王様にお届けしたいし、報告すべき事も多い。リュカは……」


「はい。わたくしは城下町を見て回りたいです」


 道は歩きやすいように整えられていて、人間界が隅々まで管理が行き届いていることが見て取れる。ただ、やはり魔界と比べてこちらの空気はオレの肌に合わない。どこがどうとは明確には言えないのだが、こののんびりした雰囲気に上手く浸れないのだ。


「ふむ。では先に勇者に会ってしまおうか。私はその後登城するから、二人はゆるりと城下を見て回ると良い」


「それが良いか」


「是非、そうしましょう」


 これで予定が決まった。オレとしては牧村にサインを渡して、すぐそのまま外に引っ張り出したい所だ。リュカと三人になるが、不思議とあいつはほとんど人見知りをしないし、リュカもそうだ。心配はいらないだろう。


「よし。じゃあリュカ。特に見ておきたい所はあるか?」


「そうですね。やっぱりお城と、市場は外せません。あと、大神殿も見たいです」


「オッケ。そうしようか」


 魔族が大神殿を見たいなどと言って良いのかな。その場所は言わばポンコツの本拠地でもあるはずだ。レギオンはそこまで教会が力の強い世界ではないようだが、あいつがこの世界でどう言う存在なのか見ておくのも良いな。大神殿が無人駅みたいな状況なら、後で励ましてやろう。

 しばらく歩くと、大きな森が見えてきた。その向こうに小さく王城も確認出来る。


「この森は魔族はいないが、たまに盗賊が出る。一応気を付けておけ」


「そんなのいるのか」


「どんなに平和だろうと、はぐれ者はいる。魔族と敵対している現状ならなおさらだ」


 団長は、少しだけ残念そうに言った。彼女も魔族との全面戦争は望んでいない。リュカやリーリと対話を試みていたし、魔王達に対しても友好的だった。彼女のような人が魔族と人間にもっと増えれば、世界も変わってくるのだろうか。しかし、それはやはり難しいと言わざるを得ない。


「あ! お二人とも、少し良いですか?」


 すると、突然リュカが立ち止まって、道の脇に駆けて行った。


「どうした?」


「いえ、ここに綺麗なお花が咲いていたので、ぜひ勇者様にお贈りしようと思いまして」


「ああ、良いんじゃないか?」


 何ともリュカらしい素朴な考えだ。ただ、牧村が花などで喜ぶだろうか。あいつの欲しい物など、ネットの中か画面のあちら側にしかない気がする。


「良かった。この花は友情と言う花言葉もあります。これはきっと、私と勇者様がお友達になれる予兆だと思いませんか」


「へぇ、ならたくさん取って行くと良いよ」


 もちろん取りすぎは良くないが、そう言うことなら花も大目に見てくれるだろう。それに、牧村がどうこうではなく、リュカがどう思うかが大事だ。リュカと二人で花を摘んで、小さいの花束を作った。黄色い花弁が可愛らしい。うん。もしこれをいらんとか言ったら一発しばいてやろう。やはりリュカがいると空気が和やかになる。団長と談笑しているリュカの横顔を見ながら、優しい気持ちで森中を歩いた。










「うわぁ……! 凄い! 大きいですね!」


「まあ、人間界最大の街だからな」


 森を抜けると、城下町がはっきりと見えてきた。白亜の城の下に、円形状に広がる街は、以前来た時と変わらない。街の塀の外には、今日も行商人や冒険者が列を作っている。


「さて、街に入るぞ。リュカ、帽子をちゃんと被っておけ」


「はい!」


 嬉しそうな声でリュカが帽子を引っ張る。あまり引っ張りすぎると角の形が分かってしまうので、それをオレが背後から直す。


「っ! えへへ……」


 それに気づいて、リュカが振り向きながら上目遣いで笑った。その頭を帽子ごしに撫でて、オレも微笑み返す。

 関門は、以前シャンとくぐった冒険者向けの場所ではなく、騎士団用の関門を選ぶ。そっちなら団長のおかげで顔パスだからだ。


「あ、クリスティア騎士団長! お帰りなさいませ!」


「うむ。今帰った」


「休暇はいかがでしたか?」


「ああ、久方ぶりにゆっくり休めたよ。ありがとう」


 団長に気づいた衛兵が駆け寄ってくる。そうか。団長の魔界訪問は休暇扱いになっているのか。だが、ここである事に思い至る。彼女ほどの発言力と影響力がある人が魔界に行き、無事帰ってきたとあれば、魔界と人間界の友好のとっかかりになるのではないか。完全にオレの素人考えだが、筋は通っているはずだ。王国の方針に疑問を感じる。


「む、団長殿、この二人は?」


「ああ、二人は私の友だ。気にしないでくれ」


 これですんなり通れると思ったが、その時衛兵の背後からもう一人の騎士の男が凄い速度で走ってきた。


「く、クリスティア騎士団長!」


「なんだ騒々しい」


 その騎士は、額の汗を拭うこともせずに肩で息をしながら団長に敬礼する。


「私、黎明の騎士団団長クロード様より、クリスティア騎士団長をお連れせよと仰せつかさって参りました」


「む、奴め帰ってきていたのか。ならば仕方ないな。二人共、私は先に登城する」


「おいおい。なんでまたそんな急に……」


 黎明の騎士団、初めて聞くワードだ。その名前からして暁の騎士団と似たような物だとは分かる。


「暁、黎明、曙。王国騎士団から独立した遊撃部隊だ。その中でも黎明は、攻撃的戦術を得意としている」


 なるほど。団長同士話があるのだろう。


「まあ、大方次の作戦の会議だ」


 やはりこの人は王国の重要人物だ。後回しに出来ない仕事もある。変態だが。


「ではこちらへ。アーノン殿が首を長くしてお待ちです」


「ふむ。それにしても随分と対応が早いな」


「はい。団長殿を発見したら、速やかかつ問答無用で執務室まで連行せよとの指示を受けておりますので」


 ……アーノンも苦労してるなぁ。案外リーリと最初に仲良くなる人間は彼かもしれない。かつてオレが団長達に囲まれながら登城したように四方をがっちりと固められて彼女は連れて行かれた。その隙をついてリュカと二人で関門からそっと離れる。


「ふぅ。いつ呼び止められるかとドキがムネムネしてしまいました」


「ドキがムネムネとか言うな」


 古い。古すぎる。完全に死語だ。


「それにしても……。本当に人が多いですね! 今日はお祭りですか?」


「いや、違うと思う。前来た時もこんなだったし」


 リュカが驚いてしまうのも無理はない。老若男女の別なく人が行き交っている。買い物袋を抱えた女性。追いかけっこをする子供達。大きな斧を担いだ男は、店で食料を仕入れている。綺麗な服を着た女性達が、楽しそうに定食屋に入って行った。活気ある城下町は、人々の平和な営みで溢れている。


「あ! あの果物は何でしょうか。それとも野菜?」


「さぁ、オレには分かんねぇな。試しに一つ買っていくか」


 リュカが露天に並ぶ黄緑色の果物を指差す。オレも興味があったので、購入を提案したが、ここで思い出した。オレは金を持っていない。と言うより、この世界の通貨に触れたことも、見たことすらない。必要になった場面はこれまで何度かあったが、その度に周囲の厚意でうやむやになってきた。


「やっぱゴメン。オレ金がない」


「大丈夫ですよ。少々無茶出来るくらいは預かって来てますから、果物くらいなんて事ありません。エドガーさまの分も買いましょうね」


「お、おう……」


 我ながら何と言うヒモ感。果物すら買う事が出来ず、連れの女の子に支払わせるなんて。ベルゼヴィードに負けた時と同じくらいの不甲斐なさを痛感した。そんなオレの思いなど露知らず、リュカはとてとてと店に駆け寄っていく。


「すみません。この果物二つ、下さいな」


「へいまいど」


 店の軒先に立っていた爺さんに、リュカが銀色の硬貨を手渡す。


「はい確かに。お嬢ちゃん可愛いから、一つおまけしとくよ。彼氏さんと食べな」


「え? あ、か、彼氏……」


 爺さんの何気ない一言に、リュカが頬を赤くする。オレも暑くなってきて、服の襟元を扇いだ。小さな黄緑色の果物を三つ抱えて、俯向きがちにリュカが戻ってくる。


「お、おまけしてもらっちゃいました……」


「あ、ああ。良かったな」


 お互い顔が見られない。周囲の雑踏が何故かより大きく聞こえる。


「じゃあ、先に街を見て回るか」


「いえ、エドガーさまのご用事の方が大事ですから」


「そうか。ありがとう」


 結局目すら合わせる事が出来ずに、三つの果物を受け取って前を行く。その時、オレの左手に柔らかい物が触れた。


「あの……。その、はぐれて、ご迷惑をおかけしたくありませんので……」


 それは、リュカの小さな右手だった。おずおずと差し出されたそれに、一瞬目が釘付けになる。そして、


「そう、だな。はぐれられちゃ、迷惑だからな」


 オレはその手を包み込むように握った。リュカの顔は耳まで赤いのに、その手はとても冷たくて心地良い。二人して苦しい言い訳をしながら手を繋ぐ。その真意がお互い分かりきっている分、余計に照れくさくて、


「ふふ」


「はは」


 二人で小さく笑いながら、通りを進んで行った。青い空に浮かぶ雲が微笑んでいる気がした。

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