闇のように不吉な男


「随分楽しんでるみたいね」


 気がつくと、オレはまた船のはるか上空に浮かんでいた。


「うおっ!? ちょ、ちょっと! いきなり浮かさないで下さいよ!」


「汗だくね。アイドルとか興味ないって言ってたくせに」


 オレの抗議は無視して、魔女は笑う。彼女も頬が上気していて、少なからず独唱会に興奮していることが伝わってきた。


「いや、はい。自分でも衝撃です。まさかここまで楽しいなんて……」


「まあ、誰でもそうなるわ。独唱会の完成度は年々上がってるしね」


 高度が高くなったからだろうか。猛烈に喉の渇きを感じる。どこかで飲み物を調達したい。あと、せっかくなので知のエキスパートに聞きたいこともあった。


「あの、さっきレヴィアが人魚から人の姿になったの、あれも魔法ですか?」


「ん? そうよ。人化の魔法。あの七言魔法をあれだけの速度と正確さを持って出来るのはレヴィアだけね」


 また新しい単語が出てきた。


「七言魔法ってのは?」


「ああ、魔法の難易度によるランク分けよ。一言、三言、五言、七言。上に行くほど難しく強力な魔法になるわ。言ってのは必要とする詠唱の数ね」


 なるほど。そう言えばリーリも、ハルバードを召喚する時いつも必ず同じ詠唱を唱えている。しかし、レヴィアもそうだが、魔女が詠唱をしているのを見たことがない。いつも手を叩くだけで魔法を行使している。


「ちなみに、魔王クラスにもなれば、ほとんどの魔法は詠唱破棄で使えるわ。それが私なら尚更ね」


 ほう。何とも痒いところに手が届く解説だ。オレもこっちの世界に来てからそこそこ経つ。そのうち魔法が使えるようになったりするのだろうか。魔女くらいとは言わないまでも、リーリくらい使えれば、きっと楽しいはずだ。自分の秘めた可能性を発見してワクワクする。


「じゃあマミン様。オレ、喉が渇いたんで下ろしてください。どっかに売ってるだろうから、買いに行きたいんです」


「あら、それなら大丈夫よ。チケット代にはこの船の全ての飲食費も入ってるから、売店に行けば無料で貰えるわ」


 マジか。チケット代がどれほどのものかは知らないが、なかなかサービスが行き届いている。一人勝手に感動していると、次の瞬きの間に、また甲板に戻ってきていた。ここまで自由自在に魔法をかけられてしまうと、危機感すら込み上げる。これがもし悪意ある攻撃魔法だったらどうなるかは想像に容易い。


「お、おいお兄ちゃん……。あんたどっから現れたんだ?」


 そして、ご丁寧に飲み物を置いているブースの前に送ってくれている。頭に角の生えた小太りのおっちゃん魔族が目を白黒させていた。


「ずっといたよ。どうかしたのか? それより飲み物くれないか」


「あ? ああ、そうか、そうだよな。いや、悪いな。今ちょっと在庫切らしてて、別の所ならあるはずだから、そっち回ってくれ」


「ありゃ。まあ仕方ないか」


 このブースはステージから一番近い。今もたくさんの魔族や人間が、水や食べ物を求めて歩いてきている。品切れが起こるのも納得だ。


「分かった。どこに行けば良いかな?」


「船首の方に行ってみな。あそこなら間違いないさ」


「サンキュ」


 おっちゃんに軽く手を上げて、教えてくれたブースに向かう。そこで確かに木で出来た水筒をゲットした。せっかくなのでアスタルの分も貰い、二本の水筒を抱えて列に戻ろうと歩く。自然と足早になってしまうのは、まだ興奮が収まりきっていないせいだ。

 再びおっちゃんがいたブースの前を行き過ぎる。しかし、そこにおっちゃんの姿はなく、代わりに別の魔族が立っていた。

 不思議と、その魔族はオレの目を引いた。手足はすらりと長く、身長も高い。顔の上半分を牛の頭蓋骨で隠していて目は見えない。それだけなら普通の魔族だ。ただ、オレが目を離せないのは、そいつの服装だ。そいつが着ているのは、まるで喪服のようなダークスーツ。シャツとネクタイまで黒一色で、その立ち姿はあまりに不景気だ。明るく照らされた会場の中で、ただ一人全ての光を吸収してしまったみたいな、闇のような魔族だった。この世界にスーツという物があるのかという疑問もわく。数秒目を奪われて、オレは自分の中の、そいつから目が離せない違和感の原因に気がついた。


「なぁ、あんた」


「はい、何でしょうか?」


 スーツの魔族の声は低い。落ち着いた雰囲気の声は、何故か安心感より不安感を募らせる。


「さっきまでここに居た、魔族のおっちゃん知らないか? 頭に角生えてたんだけど」


 自分のこめかみの辺りを指で叩く。


「さあ? 存じませんね。私はずっとここに居ましたよ。見間違いではありませんか?」


「ああ、そうかよ」


 オレは、そいつの襟元を掴んで引き寄せた。頭蓋骨の下にあるその、線のように細い目を睨み上げる。


「じゃあ、このネクタイについてる赤い斑点。オレには血に見えるんだが、これも見間違いか?」


 そう。汗と潮の香りが充満する船の上で、わずかに鼻をつく嫌な匂い。一度だけ嗅いだことのあるそれは、あの獣人の村で経験した血の匂いだ。


「フフ。フフフ」


 男の笑い声から、強烈なまでの不吉さを感じて、オレは後ろに飛び退いた。手から滑った木の水筒が、真っ二つに切り裂かれて中の水を撒き散らす。


「フフフ。なかなか勘の鋭い方だ。この混雑に乗じて、あと数十人は殺すたべるつもりでしたが、私も歌姫のバックミュージックに浮かれ過ぎましたかね」


 男がゆっくりと左手を振るう。その背後にあった木箱が崩れ落ちた。そこから転がるのは、猛烈な血の匂いを放つ肉塊。おっちゃん魔族が目を見開いたままはらわたをこぼしていた。


「それにしても、貴方。とても興味深い匂いスメルをしている。人? 魔族? 竜? どれでもない。独特な匂いスメルだ……」


 抑えの効かなくなった、鼻を曲げそうな悪臭に、流石に周囲の男達も気づき始めた。その目が状況を捉え、オレを視認し、そして、


「ベルゼヴィードだぁ!! ベルゼヴィードが出たぞー!!」


 耳をつんざくような悲鳴となって会場を駆け抜ける。その叫びは瞬く間に恐慌へと変化した。魔族も人間も関係なく、男達は訳もわからず一目散に逃げ惑う。しかし、混乱した人混みがどうなるかなど目に見えている。彼らはほとんど動くことすら出来ず、押し合いへし合いを繰り返す。


「ハハハ! なんと楽しい! 興奮と狂騒が入り混じった匂いスメル! 私の食欲をどうしようもなくかき立てる!!」


 ダークスーツの男が両手を高々と掲げる。その姿はどこまでも優雅で、それでいて不気味だった。オレはそいつから目を逸らせない。もう何人もにぶつかられたが、本能がけたたましく警鐘を鳴らす。

 

 目をそらせば死ぬ。


 初めての感情だった。これほどまでの恐怖を初めて知った。そこから導き出される答えは一つ。先手必勝。殺される前に、こちらからーー


「うおお!!」


 即座に龍王の右腕ドラゴン・アームで殴りかかる。と、見せて左脚で腹を蹴りつけた。渾身の速攻は、男の右膝で軽く受け止められる。


「らぁっ!!」


 構わず振り切る。踏み込みの鋭さを利用して、そのまま弾き飛ばした。しかし、


「ほうほう! 貴方からは優秀な戦士の匂いスメルもする!」


 男は低空で身体をひねり、難なく着地。


「死ねぇ!!」


「うらぁ!!」


 するとそこに、そいつの背後から三人の男達が武器を手に襲いかかった。ダークスーツの袖がキラリと光る。次の瞬間、三人の男達は全身から出血する血だるまへと成り果てた。ダークスーツの魔族はその頬についた鮮血を舌で舐めとる。


「フム。悪くない。なかなか良い味だ!」


 背後で倒れる男達を一瞥すらせずに、しかし、左手でその頭を鷲掴みにした。そして、


「なっ!?」


 その首を引きちぎった。そして唐突に頭に噛り付き、口の端から赤い汁をこぼしながら、くちゃくちゃと咀嚼音を鳴らして肉を貪り喰らう。


「とは言え、所詮は前菜か」


 歯型の残る頭を投げ捨てる。オレは込み上げてくる吐き気を抑えるのが精一杯だ。


「安心したまえ。メインはもちろん君だ。丁寧に料理するよ!」


「……てめぇが、ベルゼヴィードか」


 あのポンコツは、確か剣鬼ベルゼヴィードと呼んでいた。六体の魔王の一人。ただ、こいつはオレがこれまで会ってきた魔王達とは、明らかに一線を画している。


「いかにも! 巷では剣鬼などと不名誉な名で呼ばれているが、その真の姿は料理人であり美食家である! 私こそ究極の美味を追求する者! 魔王ベルゼヴィード!!」


 舞台役者のように、朗々と名のりを上げる。そして、


「君の味に、興味がある」


 その声は、オレの背後から聞こえてきた。振り下ろされる右の一撃を、振り向きざま龍王の右腕ドラゴン・アームで受ける。それは、妖しく月光を反射する刀身だった。ベルゼヴィードの右手の掌から、一本の長刀が伸びてきていた。


「刀っ!?」


「フン!!」


 次の左の薙ぎ払いをバックステップでかわす。その手からも刀が生えていた。刀を握っているのではない。柄も鍔もない、抜き身の刀身のみ。それが肉体から直接生えているのだ。


「良い動きだ! 程良い運動は筋肉をほぐす! つまり!!」


 再び突進してくる。疾い。龍王の右腕ドラゴン・アームだけでは捌き切れない。


「肉の味を更に引き立てるのだよっ!!」


 左からの刃を弾いた。右の突きも半身になってかわす。しかし、弾いたはずの左手の人差し指から、細いレイピアのような刀が出現し、オレの右鎖骨あたりの肉をえぐり取る。たたらを踏むようにして、後ろに下がった。左手で出血を抑える。


「では、早速実食と行こうか……!」


 人差し指から伸びる刀身の先に、その長い舌を這わせる。自分の肉を喰われると言う奇怪な光景に、上手く現実を受け入れ切れない。ベルゼヴィードは、その舌を転がすようにして、オレの肉を味わう。次の瞬間、


「フォオオオォオオ!?!?」


 拳を握りしめ、雄叫びを上げた。


「何だこの味は!? 何だこの味は!? 何だこの味は!?!? 甘い?  辛い? 苦い? 渋い? どれでもない! それなのに口の中で弾けるように広がる濃厚な匂いスメル……! 踊るように溢れる旨味……!!」


 はぁはぁと吐息を漏らしながら、その頬を両手で撫でまわす。


「何なんだね君は!? 一体どこの誰なんだっ!! 素晴らしい、素晴らしいよ! ありとあらゆる人間、魔族を食してきた私だが、こんな味は初めてだ!!」


 蝋燭の炎のように揺らめくベルゼヴィードの懐に、オレは下から潜り込んでいた。


「気っ色悪いんだよっ!!」


 龍王の右腕ドラゴン・アームの一撃をみぞおちにぶち込む。その衝撃でベルゼヴィードの足が甲板から離れた。宙に浮いたその顔面をもう一度龍王の右腕ドラゴン・アームで撃ち抜く。そのままスーツの襟を掴んで、投げつけるように甲板に叩きつける。


「どうだっ!!」


 数歩下がって間合いを取る。確かな手ごたえはあった。普通の相手ならこれで沈む。甲板に深く突き刺さったベルゼヴィードの尻を見つめる。


「ああ。何てことだ。唾液が溢れ出して止まらない……。食欲がどこまでも暴走していく……」


 しかし、ベルゼヴィードの唄うような呟きが聞こえる。


「本当は、こんなことしたくない。だが、仕方ないんだ……!」


「ぎゃっ!?」


「グアッ!!」


「ガッ!?」


 遠巻きにオレ達の闘いを見ていた連中の数人が、突然叫び声を上げた。そいつらの腹や首には、鋭い刀が突き刺さっている。


「君は一筋縄で逝きそうにない。だから、これはそれまでの虫抑えだ!」


 ベルゼヴィードが穴から起き上がる。その右手の指からは、三振りの長い長い刀が生成されて、男達まで繋がっていた。その刀が徐々に短くなっていき、彼らが引きつけられていく。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」


 まだ息のある人間の男が手足を振り乱して暴れるが、刀から逃れることは出来ない。その首筋に、ベルゼヴィードは無慈悲に牙を突き立てた。肉と筋のちぎれる嫌な音が響く。噴水のように首から血を撒き散らして、男は絶命した。ピクピクと小さく身体が痙攣している。他の二人も、同様に頭を噛みちぎられる。


「ああ、あぁ、何てことだ。君の味を知ってしまっては、もう他の物を食べられないじゃないか! 何と罪深い味か!」


 実に残念そうに首を振る。目を背けたくなるような凄惨な光景を前にして、オレの脚は震えていた。今攻撃されたら動けない。そこに声が響いた。


「リューシ殿! 逃げるでござる!」


 それは、アスタルの声だった。見ると、彼と同じハチマキをつけた数人の男達が、サイリウムを両手で構えて仁王立ちしている。


「おや?」


「なにを!?」


「そぉぉっれ!!」


 そして、何故かアスタル達はオタ芸を始めた。右に左にサイリウムを振り回し、掛け声とともにその身を躍動させる。オレにはまるで意味がわからない。


「何やってんだ! 逃げろよ!」


 しかし、彼らの舞は終わらない。徐々にそのボルテージが高まっていくにつれて、ある変化が起き始めた。


「ふむ」


 それは、オレにも分かる魔力の集約。アスタル達を銀色のオーラが包み込む。


「我らがレヴィアたんの独唱会を邪魔したこと、同士を惨たらしく殺したこと、その身で後悔するでござる!!」


 オタ芸の最後、サイリウムが振り下ろされると共に放たれたのは、目がくらみそうな程の光弾。一直線にベルゼヴィードに向けて襲いかかる。巨大な光弾がベルゼヴィードの肉体を呑み込んだ。かのように見えた。


「児戯に付き合ってる暇はない」


 光弾は、ベルゼヴィードの刃によって斬り刻まれて、無数の光の雨となって周囲に着弾した。それだけで甲板に穴が開く。相当の威力の魔法攻撃のはずが、奴はものともしない。


「死ね。君たちは後でスタッフが美味しくいただこう」


 ベルゼヴィードが視界から消えた。何十メートルもあった距離を瞬きの間に詰めて、その右手がアスタルの頭を鷲掴みにしていた。ハチマキに亀裂が走る。左の刀が首を切断する角度で振り下ろされていく。


「やめろぉお!!」


 オレはベルゼヴィードの背後から龍王の右腕ドラゴン・アームを撃ち抜く。鋭利な爪がその背中に届く一つ手前、


「え……?」


 ベルゼヴィードの腰と尾てい骨の辺りから突き出してきた三本の刀が、オレの左脇腹を三箇所、刺し貫いていた。


「意外に君は激情家だ。だが、それも素敵だね」


 オレの脇腹から刃が抜かれていく。それを追いかけるように鮮血が噴き溢れた。甲板に赤い斑点が広がっていく。痛みで呼吸が出来ない。手足も言うことを聞かなくて、膝をついて倒れ伏していく。


「さて、それよりも先に君たちだ。見苦しい真似をしてくれた。当然その報いは受けてもらおう」


 再度、今度は両手の刀が左右からアスタルを襲う。肉体を斬り裂く鈍い音が、オレの鼓膜を揺らす。


「……見事だ」


「させ、ねぇ、ぞ……!」


 オレは、アスタル達を蹴り飛ばし、ベルゼヴィードの刃を受け止めていた。龍王の右腕ドラゴン・アームで届かない左からの刃が、オレの左腕に突き立つ。骨が切断されていないのが奇跡だ。さらに、急な動きをしたために、脇腹から激しく血が流れ落ちる。口から吐き出された赤い液体が喉をつたって服にシミを作っていた。


「私はおあずけにされるのが嫌いだ。そうだな。君からいただこうか」


 ベルゼヴィードの尖った犬歯が迫り来る。避けるとかかわすとか、もうそう言う段階ではない。動けないのだ。ただ、オレは目をそらすことなくその牙を睨みつけていた。


「グハァッ!?!?」


 その歯がオレの額に触れた瞬間、ベルゼヴィードが突然背後に吹っ飛ばされた。その身体が甲板を削っていく。


「……お、せぇぞ!!」


「うっさいわね! 花摘みに行ってたのよ!!」


 オレの頭を支点にして、その美しい鱗の尻尾でベルゼヴィードを蹴り飛ばしたのは、この船の長、レヴィアだ。

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