一人だけ
「よいしょっと!」
倒れたまま動かないベルゼヴィードを、突如空中に現れた巨大な黒い拳が叩き潰した。家一軒すら握り壊してしまいそうなその拳は、肘から先だけ夜空に召喚されている。オレの背後に立つのは、全身黒一色の魔女だ。
「 他の客の避難を優先してたの。あなたなら一人で持ち堪えられると思ってたからね」
「期待に……応えられなくて、悪かったな……」
二人の魔王がオレを置いて前に出る。普段は一切見せることのないその強大な魔力を発しながら、悠然と構える。
「くっそ変態野郎が!! 血祭りにしてやるわ!!」
レヴィアの怒声がメガホンを突き抜けて、夜空と甲板に叩きつけられた。
「やった……のか?」
黒い拳に叩き潰されたベルゼヴィードは、まだその姿を見せない。
「はぁ? んな訳ないでしょ。あんたさっきまで闘ってた癖に、そんなことも分かんないの?」
レヴィアがオレの頭をメガホンで小突く。いや、オレ怪我人なんだけど。
「ベルゼヴィードの強さははっきり言って圧倒的よ。何せ、領地も領民も持たない、一匹狼なんだから」
「……それは、つまり?」
「魔王ってのは、その率いてる軍を引っくるめて魔王なの。私十万、アスモディアラ八万、マミン五万。それに対してあいつは一人でその秤を平衡にしてるわ。わかったらとっとと引っ込みなさい。怪我人がいたって邪魔よ、邪魔」
レヴィアが膝をついているオレの頭を叩く。分かってるなら叩かないで欲しい。
「簡単に止血魔法をかけておいたから、多分死ぬことはないわ。少しそこで休んでなさい」
魔女もオレの事を労ってくれない。おそらく、それほど彼女達も余裕がないのだ。数でこそ上回っているものの、その力量まではそうはいかない。彼女達の目は黒い拳から離されない。すると、
「フハハハ! 素晴らしい! なんて素敵な夜だ! まさか、魔界の華と宝石と呼ばれる二人に一度に会えるなんて! あぁ月よ! どうか何時までも輝いていてくれ! この楽しい時間を永遠に味あわせてくれ!」
ベルゼヴィードを押し潰す巨大な黒い拳に、何条もの光が走った。次の瞬間、硬そうなその腕が細切れにされる。そこから飛び出してくる奴の身には、傷一つついていない。
「やっぱ出てきたわね。変態が」
「あぁ、なんて魅惑的な声だ。その喉にかぶりつけば、一体どんな味がするのだろう。そしてマミン。貴女の変幻自在の魔法を生み出すその脳は、一体どんな香りがするのだろう。クゥゥゥ!! 想像するだけで唾液が泉の如く湧き出してくるよっ!!」
レヴィアが、チラとベルゼヴィードから視線を外した。その先には、無惨にも喰い散らかされた男達の死体がある。すでに血溜まりは赤黒く変色していた。レヴィアは一瞬その肩をいからせて、そして大きく深呼吸した。
「私の、私の可愛いファン達を殺したこと、絶対に許さないわ」
「怒ると肉が悪くなるよ。クールに行こう」
ベルゼヴィードが口の前で人差し指を左右に振る。その態度にレヴィアの怒気が膨らむ。
「……水平線・海底神・波飛沫と泡沫・撃ち抜く弾丸・逆鱗の顕現・かますわよ。
長い詠唱の後、レヴィアのその両手に現れたのは、水色と黄色の玩具のような水鉄砲。ピストル型ではなくバズーカ型だ。小柄なレヴィアは、その大きなバズーカを背負うように構える。
「手抜きしないわよ」
そう呟く魔女の周りには、七色に輝く七冊の書が、ゆっくりと回転しながら浮遊していた。
「その陰気臭い身体、消し炭にしてやるわ!」
バズーカの照準を合わせる。そしてそこから射出されたのは砲弾ではなく、水の弾丸。レーザーのように一直線に飛翔する。
「フハハハ!!」
ベルゼヴィードはそれを両手から生成した刀で弾いた。次々と襲いくる水流弾を、横から斬りつけることでいなし続ける。そこに、
「お?」
魔女の書の一冊が開かれる。すると先ほどの巨大な黒い腕が、ベルゼヴィードの背後から現れ、その掌で奴を潰しにかかる。しかし、それは横っ飛びで難なくかわされた。だが、その着地点からも再び黒い腕が出現。大きく振りかぶってベルゼヴィードを殴り飛ばす。
「そこよ!!」
魔女の一声で、さらに弾かれたベルゼヴィードを巨大な掌が握る。トドメに見えたが、それは刀で指を斬られて逃げられる。
「逃げんじゃ、ないわよ!!」
ベルゼヴィードの頭上から、高く飛翔したレヴィアがバズーカを振り下ろす。交差した刀で受けられるが、一撃が重い。バズーカが刀を押し潰し、奴の頭にめり込む。
「ハハハハ!!」
しかし、ベルゼヴィードがその力を利用し、バズーカをそらす。それを右脚で踏みつけ、態勢を崩したレヴィアに左の刀で斬りかかった。その凶刃がレヴィアの喉元に届いたかのように見えた瞬間、
「やられそうになってんじゃないわよ」
「うっさいわね……」
レヴィアはベルゼヴィードのはるか遠く、魔女の隣に移動していた。よく見ると、巨大な黒い腕を操っていた時とは違う書が光りながら開かれている。
「なんだ、これ……」
正直、血の流し過ぎで意識が遠くなりかけてたが、それどころではない。魔王三人が繰り広げる、当然だが人間離れした闘いから目が離せない。美しい甲板が一瞬で荒れた戦場と化した。
「何というハーモニーだ!!」
ベルゼヴィードが飛燕の速度でレヴィアに襲いかかる。レヴィアはその右の刃をバズーカで受け止めると、薙ぎ払い、距離の空いたところに一気に水流弾を連射する。彼女自身も奴に突撃し、バズーカを上から叩きつける。
「蕩けそうだ!!」
ベルゼヴィードが両の掌から何十という短い刀をハリネズミのように生成した。その凶悪な拳を振り抜くべくレヴィアに接近するが、その足が止まった。
「うぬぅ……?」
ベルゼヴィードの身体を、何本もの光の糸が縛り上げていた。激しく巻き付き拘束するそれに、奴は身動きが出来ない。
「うりゃ!!」
そこに畳み掛けるようにレヴィアが魔法を発動。見上げるような高波がベルゼヴィードを飲み込む。水中で奴がもがく。溺れているのだ。さらに魔女が右手を振るうと、電柱のような太さの槍が七本、上下左右からダークスーツを貫く。最早ベルゼヴィードはその原型を留めていない。
「ナーイスアシスト!!」
そして、器用に甲板を尾ひれで叩き、月光を背にして飛び上がったレヴィアが、右手にメガホンを構える。
「
月光を背にして空中に舞うレヴィアのメガホンから飛び出したのは、超音響攻撃ではなく、完全に物理攻撃。レヴィアが叫んだ言葉が、現実の物体となってベルゼヴィードに叩きつけられていく。けたたましい轟音がして、奴が木っ端微塵にされた。
「ふぅ」
「ま、もしこれで生きてたら私は帰るわ」
「バカ言わないでよ」
レヴィアは軽々と魔女の隣に着地した。二人の魔王は攻撃を停止し、様子を伺う。あれだけ圧倒的に攻め込んだのだ。いかにベルゼヴィードが強力だと言えども、無事では済まないはずだ。今なお波の中に閉じ込められている奴に目を向ける。
「あぁ……。あぁ……」
波の中でミンチにされたベルゼヴィードの口からは、呟きのような声が漏れ聞こえてくる。
「何と言うことだ……。この私が攻撃に転じることすら出来ないなんて……。流石は魔王。その力に疑いの余地なし……」
あまりの饒舌さに、ベルゼヴィードの生存を悟る。オレと魔王二人が舌打ちした次の瞬間、
「うおっ!?」
「はぁ……」
「うっざ」
太い槍が、光の糸が、波が、全て弾かれた。そこから甲板にグシャリと音を立てて落ちたベルゼヴィードは、身体の至るところに大穴を開け、四肢が千切れている。
「まさしく荘厳!! 筆舌に尽くしがたい力だ!! 今、私の夢が決まったよ! マミン、レヴィア、アスモディアラ、そしてサタニキアとルシアル。五人の魔王全員の血肉を使った極上フルコースを作ること!!」
ベルゼヴィードはその身体をみるみるうちに再生させていく。化膿した傷口のような色合いになりながら、穴が塞がり手足が生えてくる。
「そして勿論! メインは君だ! そこの名もなき青年よ! 最高の食材の中で一際輝くメインディッシュ! あぁ、あぁ!! 本当に、今からでも頬が落ち、気が狂いそうだ!!」
気色悪い宣言をしながら、とうとう元のダークスーツ姿に戻ってしまった。疲れも傷もなく、その変態性すら衰えていない。
「だが、流石に私一人で魔王二人を相手にするの骨が折れる。今日はこの辺りで退散させてもらうよ」
「はぁ? 私達が逃がすとでも思ってんの?」
「かなり前から魔法結界を張ってあるわ。ここから転移魔法で逃げ出すことは……」
しかし、ベルゼヴィードは余裕の笑顔で優雅なお辞儀をする。そして、その背に現れたオレンジ色の光に吸い込まれるようにして消えてしまった。そこにはもう影も形もない。あまりに呆気ない幕切れだった。
「テレポート……。やられたわね」
「詰めの甘い魔女ねぇ。ま、今回は撃退出来ただけで良しとするかしら」
呆れるように腰に手を当てるレヴィアだが、怒ってはいないようだ。オレの方へ振り返り、詰め寄ってくる。
「あんた、まだいたの? 邪魔だって言ったでしょ」
「動けないんだよ……」
戦慄するような闘いが終わって、また痛みが再燃してきていた。出血こそ止まっているが、失血で頭が朦朧とする。それなのに脇腹と左腕の激痛で目が冴えてくるという、訳の分からない状態だった。
「まぁ、私のファンを守ってくれたみたいだし、大目に見てやるわ」
「それは……」
レヴィアから目をそらす。守れてなどいない。オレは自分が死なないことで手一杯だった。そのせいで何人もの人や魔族が殺された。それも途轍もなく惨たらしい方法で。彼らの遺体はもう見るに堪えない有様になっている。
「すまん。オレは何も……」
「良いのよ」
レヴィアは穏やかな表情で、オレの頭を撫でた。
「あんた一人で、ここにいた全員を守れるなんて思っていないわ。そんなの私達にだって無理よ。そうじゃない。一人で良いの。あなたともう一人だけ。弱い私達は、それが出来れば充分なの。そして、あんたはそれを確かにやってのけた。……アスタル達を助けてくれて、ありがとうね」
「名前が……わかるのか」
「私のファンなんだから当然でしょ」
当たり前のことのように、レヴィアは言う。しかし、それがどれほど大変な事かは、オレにも分かる。そしてだからこそ、彼女の大切なファン達が何人も殺されてしまったことに深い後悔と悲しみが押し寄せてくる。
「次は、次こそは負けない。あいつに勝ってみせる」
「期待してるわ」
独唱会で歌っていたのと同じ笑顔で微笑みかけられた。今一番悲しいはずの彼女の笑顔には、本当に力がこもっていて、それが心に溶け込んでくる。
「さて、そろそろ寝なさい。あなた、本当に死ぬわよ」
レヴィアの背後で腕を組んでいた魔女が、側まで歩いてきて、その長い指がオレの額を小突いた。優しく微笑むレヴィアの顔を最後に、オレの意識は途切れた。
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