魔界アイドルレヴィア
「おぅぇえぇ……。ゴホッゲホッ!」
何度も経験した転移魔法のはずだが、今回に限って何故かオレは目を回していた。吐瀉物が草の上に落ちる。もちろんモザイクかかってるよ! どうやら、あのポンコツの転移魔法は恐ろしく高水準なようだった。この人の発動した魔法ですらこのレベルなのだ。初めて女神を尊敬した。
「弱いわねぇ。そんなことだからダメなのよ」
「……あなたがオレの何を知ってるんですか。マミン様」
オレを呆れたように見下ろすのは、全身黒ずくめの美女魔法使い、マミン様だ。オレが選んだのはリュカでもリーリでも団長でもなく、この魔女だった。
「ヘタレよねぇ。ビシッと一人選びなさいよ」
「無理っすよ。どうしたって怨恨が残るじゃないですか」
誰を選んでも恨まれそうだったので、一番角の立たない人をセレクトしたのだ。魔女ならば、立場的にも誰も文句は言えないからな。我ながらなかなか機転の効いた立ち回りだったと思う。これはこれで散々不平不満が飛び出したが、知ったことではない。
「しかし、懐かしい香りがするな」
オレと魔女が立っているのは、少し高くなっている崖の上。そこから見下ろすことが出来るのは、群青色に煌めく広大な海だった。寄せては返す波が岩肌に当たり、飛沫となってまた海に戻っていく。遥か彼方まで見渡せば、空の青さと混ざり合ってしまいそうだ。そして、その海の側にあるのは大きな港町。数百隻もの漁船が停泊していて、海の幸を次々と下ろしている。たくさんの魔族達が汗水たらして働いていた。
「それで、会場はどこにあるんですか? それらしい建物は見当たりませんけど」
「あそこよ。丁度来たみたいね」
魔女が指差すのは遠く水平線、そこに点のように浮かぶ船だ。
「え、なんかえらく小さくありませんか?」
「よく見なさい。ほら、寄港するわよ」
海上の船はどんどん近づいてくる。その船の全容が朧げに見えてきた頃、オレは自分の目を疑った。海の風をその帆一杯に受けながら、高速で港にやってくるその船は、
「……マジか」
海を両断するかのように迫ってくるその船が起こした波だけで、漁船がいくつも転覆した。海の向こうでは点に見えたその船は、間近にくれば何と港町よりも巨大だった。船の中央の帆に使われている木材は、まるで東京タワーかと思うほどの大きさと太さ。帆船だと言うのに、船の高さは何十メートルもある。タイタニック号が複数スッポリ収まってしまいそうだ。
「なんだあの船……」
「海の幻想号。レヴィア海軍旗艦にして海上の要塞。魔界の海のほぼ全てを統べる船よ」
そのあまりの巨大さに、遠近感が馬鹿になりそうだ。
「会場はあの船よ。行きましょうか」
港町に入れば、当然途轍もなく注目された。なんと言っても魔王が平然と町を歩いているのだ。道行く魔族全員が自然と道を開け、時には跪く者もいる。正直魔女のことは変な女くらいにしか思っていなかったが、やはり魔王なんだと思い知らされた。
「あそこに並ぶんすか」
船から三つ降ろされた桟橋の前には、長蛇の列と言えば可愛いくらいの数の人間と魔族が並んでいた。よく見れば、その列は港町の外まで続いている。皆ハチマキを巻いたり、うちわを持ったり、ティーシャツを着たり、それぞれ日本のライブ会場と大差ない装いだ。見ていて面白いのが、そいつら魔族も人間もなく、本当に待ち遠しそうに独唱会について言葉を交わしているところだ。ただ、その列に並ぶ気にはなれない。船に乗るまでに陽が沈みそうだ。
「普通のファンはね。でも私は魔王だし、特別なチケットをもらってるから、別の所から乗れるわ。感謝しなさい」
「あざっす」
三つの桟橋の奥、一つ降ろされた、見るからに豪華な桟橋を登る。オレと魔女以外にも数人がその橋を利用している。
船に乗れば、手すりの向こうに港町が見下ろせる。それほど船が高いのだ。
「ほら、レヴィアの控え室はこっちよ」
「独唱会はいつから始まるんすか?」
「夜、陽が落ちてからね。その方が魔法のライトが綺麗に当たるのよ。それと、先に言っておくけど、レヴィアはかなり気難しいわ。下手なことすれば船から叩き落とされるから、そのつもりでね」
「ぜ、善処します」
この世界に来てから、変な奴とは散々会ってきたが、気難しい奴とは会ったことがない。いや待て。会う奴ほぼ全員が変な奴だった気がする。少しビクビクしながら船の上、魔女の背中について行った。
控え室は拍子抜けするほど、えらくちんまりした物だった。この船の大きさとまるで釣り合わない。本当に一部屋分と言った感じだ。「レヴィア様控え室」と張り紙されているのもまた滑稽だ。魔女が小さく扉をノックする。
「誰よ? 今集中してるとこなんだけど?」
すると中から聞こえてきたのは、少し神経質そうな声。ただ、どこか愛嬌も感じられて、なるほどかなり魅力的な声だ。
「マミンよ。入って良いかしら?」
扉の向こうが少し驚いたことがわかった。
「あら、珍しいじゃない。良いわ。入って来なさい」
「失礼するわね」
先に魔女が部屋に入る。オレもその後に続いた。カーテンで隠れていて、まだレヴィアのその姿は分からない。黒いシルエットからして、座っているようだった。
「あんたが私の独唱会に来るなんて、何百年ぶりのことかしらね。とうとう私に敗北した事を認めたのかしら?」
「そもそも勝負してるつもりすら無いわよ」
魔女は近くの椅子に腰掛ける。
「あれ、もう一人いるの? 付き人?」
「違うわ。むしろこっちがメイン。私はおまけ」
カーテンの奥に座るレヴィアの雰囲気が変わった。どこか腹を立てたようなその空気に、オレは緊張感を募らせる。
「はぁ? その生意気な奴は、一体どこのどいつかしらっ!?」
突然シャッとカーテンが開かれた。そこに座る、小柄な女魔族と目を合わせる。
その魔族は、長い綺麗な銀髪を輝かせ、意思の強そうな青い瞳でオレを睨む。独唱会用の衣装なのだろう、セーラー服のような格好だった。肘まである長い白手袋に包まれた細い腕。手首から先は露わになっていて、細かい煌びやかなネイルが施されている。美しい、と言うより可愛らしさのある顔は幼くて、中学生でも通用しそうだ。ただ、特筆すべきはその下半身。スカートから伸びるそれは、脚ではなく魚の尻尾だ。座っているのではなく、きっと立ち上がれないのだろう。いわゆる人魚と言うやつだ。
「誰よこいつ」
一瞬だけオレに目をやって、すぐにそらした。その綺麗な指でオレを指差しながら、魔女に視線を向ける。
「あなたも噂で聞いたことくらいあるでしょう? アスモディアラの所の婚約者よ」
「はぁ? こいつが? 全然冴えないんですけど。笑えるわね」
レヴィアは小馬鹿にしたように笑う。魔女ともアスモディアラとも違う、また独特な雰囲気がある。カリスマ性と言うやつだろうか。
「で? あのモコモコ娘の婚約者が、スーパーアイドルレヴィア様に何の用? 下らない理由だったら三枚におろすわよ」
魚類の言うセリフとは思えない。三枚におろされるのはお前らだ。しかしその言葉は喉もとに引っかかって止まった。レヴィアの圧力に押されたのだ。
「サインが、あんたのサインが欲しいんだ。オレに描いてくれないか?」
「はい、つまんない。死刑」
レヴィアが横に振るった左手から、口を鋭く尖らせた三匹の魚が襲い掛かってきた。それを右腕で全て叩き落とす。
「む。生意気ね。私に殺されるなんて名誉なことなのよ? 有り難く受け取りなさいよ」
「馬鹿なこと言うな。サイン描いてくれるまで帰らないぞ」
「好きになさいよ。絶対描かないから。そこで干からびてると良いわ」
全くオレを相手にしようともせず、レヴィアは鏡の方へ向き直る。頬を両手でマッサージしながら、笑顔を作る練習を始めた。
「あんたが滅多にサインを描かないことは知ってる。それでも欲しいんだ」
「だったら尚更よ。九官鳥みたいに欲しい欲しい言ったってどうしようもないことくらい分かるでしょ。馬鹿なの? 馬鹿は嫌いなの。帰ってよ。アスモディアラも意外と見る目が無いわね。今ならあいつの領地も簡単に切り取れそうだわ」
暴言を吐き続けるその唇に、紅いルージュをそっとぬる。
「あんたもよ、マミン。久しぶりに顔出したと思ったら、こんなつまんない奴連れてきて。ボケちゃったの?」
「三百歳になろうかって言うアイドルに言われたく無いわね」
「それってかなりギリギリじゃねぇか?」
リュカが百六十歳だと言っていたから、おそらくこいつは人間で言えば三十路近い事になる。
「うっさいわね。私は永遠の百八十歳なの。アイドルは歳を取らないの」
言ってる事がめちゃくちゃだ。
「だいたい何よ。どうせ、またあのモコモコ娘にでも頼まれたんでしょ? あーやだやだ。いちゃいちゃしやがって。爆発すれば良いのよ」
「違う。リュカは関係ない」
「じゃあ、あんたが欲しいの? それだったら……」
「欲しがってるのは勇者だ」
レヴィアの青い瞳がオレに向けられた。一瞬だけ手が止まる。
「勇者って、あのマミンの巨大ゴーレム瞬殺したって奴?」
「そう。王都にいる奴よ」
「あの巨大ゴーレムはあんたの仕業かよ」
新たな事実だった。この魔女は人間界征服は頭にないんじゃなかったのか? そう不思議に思って目をやると、
「あぁ、違うわよ。色々実験してたら間違えて送っちゃったのよ」
「間違いで王都を滅ぼしかけたのか……」
やはり人間界と魔界のパワーバランスはおかしい。
「そんなことより! 勇者が私のサインを欲しがってるってのは確かなのかしら?」
「あぁそうだ。だから……」
「巫山戯てるわね!」
「え?」
レヴィアが両手で机を叩く。
「私のサインが欲しいなら、独唱会に参加して、その後直々に私の所に来るべきよ! それを人づてで済まそうなんて、私のこと舐めてるとしか思えないわ。却下よ却下。一昨日きなさい!」
「い、いや! 待ってくれ! あいつには事情が……」
「はん! そんなの私の知ったことじゃないわ! 全く、独唱会前に嫌な気持ちにさせてくれたものね」
ブツブツ文句を言う姿に、オレも言葉が出ない。なるほど。確かに気難しい。むしろ、これまでの連中は、どうやってこいつからサインをもらったのか分からない。
「そ、それでも! それでも欲しいんだ! 描いてやってくれよ!」
色紙とペンを取り出して、レヴィアに突き出す。
「嫌よ。あんたもしつこいわね。しつこい男は嫌われるわよ。とっとと失せなさい」
「どうしてもあんたのサインが必要なんだ! ずっと引きこもって出てこれなくなっちまってるあいつのために、あんたの力を貸してやってくれよ!」
オレは身を投げ出し、床に膝を折り、手をついた。額を擦り付ける。こんなことをするのはもちろん初めてだ。今可能なオレなりの最大級の誠意のつもりだったが、しかし、
「私が何度同じことをされて来たと思う? そんなことで気持ちが揺らぐなら、アイドルなんてやってないわ。見苦しいわよ」
取りつく島もない。オレのことを見てすらいないのが分かる。オレでは思いつくことさえ出来ないような罵詈雑言を上から叩きつけられる。そんな時、
「ったく。だいたい。何で一日に二枚もサイン描かなきゃいけないのよ。今まで十七枚しか描いてないってのに」
「え?」
レヴィアが気になる事を言った。
「二枚?」
「そうよ。勇者の分とあんたの分。欲しいんでしょ? 描かないけどね」
何か、食い違いがあることに気づいた。
「いや、二枚もいらないんだが……」
「はぁ? 自分の分は良いから、友達の分は描いてくれってこと? そんなことで私がほだされるとでも?」
確かにその通りなのだが、それだとニュアンスが違う。やはり微妙に噛み合っていない。
「本当に、オレの分はいらないんだ。だから、一枚で良いんだよ」
鏡に向かって様々な笑顔を作っていたレヴィアの、その口元がヒクついた。
「は?」
「だから、オレはいらない。欲しいのは勇者の分だけだ」
影がかかった気がして顔を上げる。すると、レヴィアのしかめっ面が目の前にあった。
「あんた、今何て?」
「だ、だから。ずっと言ってるだろ? サイン は一枚で……」
「ちょぉっと待ちなさい!」
レヴィアが器用に魚の尻尾で立ち上がった。ひょこひょこオレに近づいてくる。
「いらない? 私のサインがいらない? 巫山戯てるのあんた!?」
「い、いや! オレは本気だよ!」
青い瞳がオレを刺すように見下ろす。腰に手を当てるレヴィアは、額に青筋を立てていた。
「……じゃあ聞くわ。もし、もし私がサインを二枚描いてあげるとしたら、あんたはどうする?」
「え? ええ、そうだな……」
リュカもリーリも団長も、とても欲しがっていた。そこにサインが一枚あれば、またいらぬケンカが勃発するだろう。そうなれば目も当てられない。
「いや、やっぱりいらない。オレ以外の奴らで取り合いになるからな」
「オレ以外ってことは、あんた初めから自分のものにするって気がないのね」
後ろで椅子に座っている魔女が、口元に手を当ててクスクス笑っている。
「あんた、自分が手に入れるっていう選択肢はないの?」
「あ、そ、そうか」
言われて初めて気づいた。そう言えば、牧村のために描いてもらう事だけが目的で、その発想はまるで無かった。しかし、
「いや、無いな。オレ、アイドルとか興味ないし」
「はぁ!?!?!?」
レヴィアが再び机を叩く。木で出来たそれに、大きく亀裂が走る。
「いらない!? 興味ない!? 本当に巫山戯てんの!? 私のサインよ? 魔界のスーパーアイドルレヴィア様の、手描きのサインなのよ!? 何考えてんの!?」
「だ、だって。いらんもんはいらん」
その長い指をオレの額に突きつけてくるレヴィアは、完全に怒り心頭だった。ここである考えに思い至る。これからサインを描いてもらおうとしてる相手に、オレのこの態度はあまりにも失礼だ。
「あ、すまん忘れてた。やっぱり欲しい。オレの分も描いてくれよ」
「なにそのムカつく気遣い!!」
レヴィアがまた机を叩く。とうとう完璧に粉砕された。木屑がパラパラと舞ってオレの顔に降りかかる。
「あり得ない! あり得ないわ! こんなにコケにされたのは、魔界美女コンテストでそこの魔女に負けて以来だわ!」
なんか変なイベント名が聞こえてきたが、ツッコムまいと口を手でおさえる。
「なに? あなたまだそんな昔のこと根に持ってたの? しつこいのはどっちよ」
「やかましいわ! 私のプライドは北辺山脈よりも高いのよ! あったま来たわ!」
レヴィアがオレの頭を鷲掴みにする。その細腕に似合わぬ握力だ。長い爪が頭皮に刺さる。
「私のサインをいらないなんて言ったこと、死ぬほど後悔させてあげる!」
なんだ。拷問とかされるのか? それとも今すぐ船から叩き出されるのか? どっちも勘弁願いたい。
「ジャーマネ!」
しかしレヴィアは、逆の指をパチンと鳴らす。すると音もなく一人の魔族が現れた。髪を七三にきっちりと分け、整髪剤で撫で付けている。黒ぶちの眼鏡の奥が見えない。
「はっ! 何でしょうか」
「特別指定席、今すぐ二つ開けなさい」
「そうなると、二人分の補填が必要になりますが」
「その二人には、次とその次の独唱会で同じ席を用意してあげなさい。出来るわね?」
「御意に」
そう言うと、黒魔族は霧のように消えた。
「あの、これはどう言うことだ?」
「あんたら二人に、一番良い席を用意したわ。そこで私の独唱会を、目ん玉かっぽじって見なさい。サインがいらないなんて、口が裂けても言えなくなるくらい、私の虜にしてやるわ!」
「いや、んなことよりサインは……」
「そんなの後! さあ開演まで二時間を切ったわ! 集中するから出て行きなさい!」
文字通りレヴィアに部屋から蹴り出されてしまった。控え室の扉に鍵がかけられる。
「し、失敗したのか?」
「どうかしら。まあ、ああなったレヴィアは誰にも止められないわ。大人しく独唱会が始まるのを待ちましょう」
魔女は呑気に構えているが、オレはそれどころではない。せっかくの、千載一遇のチャンスを不意にしてしまった。あの様子からして、次があるとは思えない。廊下で尻餅をついたまま動けない。牧村がニートキングになってしまう……!
「ちょっと何暗い顔してるのよ。まだ終わった訳じゃないでしょう。会場に行くわよ」
「いや、でも……」
魔女に首根っこを掴まれて、引きずられながらその場を後にした。
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